第18話 水色のタオル

「おはよ〜」

「……おはよ」


 リビングに顔を出してみれば、朝だというのにも関わらず母さんの元気な声が耳に届く。


「おはよ祐希くん」

「おはようございます……」


 ダイニングからはコーヒーを喉に通したお義父さんの声。


 けれど、いるのはその2人だけ。

 俺よりも先に部屋を出た美結の姿がどこにも見当たらなかった。


「美結ちゃん探してるの?」

「あーうん、まぁ」


 まさかの探し人を当てられるとは思わず、歯切れの悪い言葉を返してしまう。


「それなら洗面所にいるわよ。先に顔洗うってさ〜」

「ん、ありがと」


 そんな俺なんて寝ぼけている程度としか思っていないのだろう。

「はいは〜い」と相変わらずの元気な声で返してくる母さんはトースターにパンを入れた。


(……腰いった……)


 結局あの後もしてしまった。

 けれど、あんなことをしておいて歯止めが効くわけがない。


 腰を擦りながら自分に言い聞かせる俺は、扉の開いた洗面所に顔を覗かせる。


「おはよ」


 ヘアバンドを身につけ、顔に水色のタオルを当てる少女に言葉をかければ、鏡越しに美結と目が合う。


「あ、おはよ。バレなかった?」

「2人ともリビングいたからな」

「そっか」


 今日で2回目になる朝の挨拶は昨日までと同じで呆気ない。


 あれだけ『好き』と言い合った夜は夢だったのか?と思ってしまうほど。


「祐希も顔洗いに来たの?……いや、髪を整えに……?」


 タオルから目元だけを覗かせる美結はふにゃっとその目元を緩ませる。


 そんな美結に続くように鏡越しに自分の頭を見つめた俺は、


「これが真のナチュラルパーマだ」

「ただの寝癖でしょ」


 美結からふふっと自然な笑いが漏れ出る。


「……人聞きの悪い」

「馬鹿言ってないで早く頭治しなさい〜」


「言われずとも」なんて言葉を返しながら洗面所に立つ俺の頭に手を伸ばしてくるのは美結。


 未だに収まらないその笑みを隠すようにタオルを当てているが、目元からバレバレだ。


「……笑いすぎだろ」

「だって変な頭なんだもん」

「寝起きは普段からこんなもんだよ。……というか昨日も見たろ」

「今日は特別なの〜」


 寝癖を治すわけでもなく、弄ぶように毛先をクルクルといじる美結はなんともまぁ楽しそうだ。


「特別な日ねぇ」


 分かりやすく含みを帯びた言葉を漏らした俺は、棚からタオルを1枚取って――


「私の使っていいよ?洗濯物増えるし」

「あー……じゃあお言葉に甘えて」


 握ったタオルを手放した俺は、代わりに美結の顔にあった水色のタオルを貰い、肩にかけた。


 そうして体を倒した俺はジャバジャバと顔を洗うのだが……隣のやつの気配が気になって仕方がない。


「…………一応聞くけどさ?」


 不意に紡がれたのは顔を洗い終わったはずなのに帰らない美結の口から。


「ん?」と顔に水を当てながら答える俺に、ストンと腰を当てた美結はやおらに言葉を続ける。


「……一応、私たちって……その、『両思い』……なんだよね……?」


 恥じらいながら口にされた言葉は耳に降り注ぐ。


「…………うん」


(やっぱり夢じゃなかったんだな……)


 頭を縦に振る俺に宿るのは、どうしようもない高揚感。


 そんな高揚感とともに、水を止めた俺はタオルで顔を抑えながら体を上げる。


「……けど、この両思いは顕にしちゃダメだ」

「……分かってる。私には彼氏匠海がいるし、祐希にも彼女瑞月がいるからね」


 くっつけた腰だけは飽き足らず、クイッと服の裾を掴んだ美結は「でも」と言葉を続ける。


「バレなかったら大丈夫だよね?」


 タオルで顔を追う俺には美結の顔は見えない。

 けど、その言葉の節々にはいたずらに満ちた悪い笑みが含まれており、『覚悟しておいてね』と言わんばかりに擦り合わせてくる腰。


「……悪い女だな」

「でも否定しないんでしょ?」

「うん。しない」

「即答ね。悪い男」

「悪い気はしないな」


 タオルに声をかけてやる俺は、痛かった腰なんて忘れて美結の『甘え』に付き合う。


 そうしてそろそろ水気が取れたかな?という頃、顔からタオルを離した俺は流し目で美結を見やる。


「ん?なに?」

「昨日あれだけやっといて欲求不満だなと思ってな」

「…………すみませんね……!欲求不満で……!!」

「別に責めてはねーぞ?美結の我慢できてないところも好きだし」

「……そりゃどーも……」


 分かりやすく赤くなった顔を逸らす美結だが、合わせた腰と掴んだ袖は離さない。


「ななっ、美結。ちょっとこっち向いてくれね?」

「……なによ――」


 不承不承ながらもこちらを向いてくれた美結に、水色のタオルを回す。

 まるで俺たちの顔を隠すように。


 ――ドラマやアニメのようにリップ音は響かない。

 けれど、美結の声にもならない驚きは目を見開き、顔を離した俺を一心に見つめる。


「びっくりしすぎだろ」

「い……や、え……!?あ、朝、から……そんなこと……!!」


 ワナワナと更に赤くなる美結の顔は、不意に逸らされる。


「どした?」


 思わず苦笑を浮かべてしまう俺は首を傾げて問いかける。


 さすれば口を尖らせた美結は横目に俺の顔を見上げ、


「…………もっとしたくなっちゃうじゃん……」


 慌てて俺は顔を逸らした。


「……すまん」

「……別にいいけどさ……」


 美結の言葉がいたたまれない洗面所内に響く。


 不意打ちでやった俺ですら恥ずかしくなってしまうこの状況は、朝とは思えないほどの濃密さ。


 そんな気まずい空気を斬り裂いたのは、リビングから小さく聞こえるトースターの音。


「パ、パン焼けたみたいだしリビング行くか!」

「う、うん……!だね!」


 慌てて裾から手を離す美結と同じく、急かされるように水色のタオルを洗濯かごに放り投げた俺たちは洗面所を後にする。


 もちろん誰もいないことを確認して。

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