とある門へ至る為の物語

蔦野道

第零話 物語の星々

 懐かしい匂いがするその荒野に彼女は一人忽然と立っていた。荒野の天井には残酷な程までに美しい。蒼穹はどこまでも広がっており、人間が図るにはあまりにも大きすぎる。

 彼女は言葉を紡ぐ。

「此処は何処?」

 その彼女の鈴のような声は荒野の遥か彼方まで届くように響いた。彼女はまるで悪い事をしてしまったかのように驚いて手で口を押さえた。しかし、咎める者はここには居ない。彼女は安心して手を口から離す。

 間も無くして、彼女は歩き始める。彼女の意思でと言う訳では無い。この空間の意思で。しかし彼女はその現象に怖がる事なく、ただただ一歩ずつ着実に歩みを進める。荒野に少しばかり植っている草が彼女の脛を撫でる。

 歩みを進めるうちに彼女は自分自身の存在が揺らぐ。と言った感覚に何度か襲われた。それは恐怖でもあり、進展でもあった。

『今の自分はいつの自分なんだろうか?』

 彼女は疑問を呈する。しかし、自分以外誰も居ないこの空間にて誰もその疑問の答えは示さなかった。

 歩き始めてどれほど経ったのだろうか? 一分? それとも一時間? 若しくは一日……そんな短い期間では無かったのかも知れない。それは千年にも感じたし、一万年にも感じた。若しかしたらこの歩いている間に『宇宙』と言うモノは崩壊し、また再構成されているのかも知れない。誰も分からないし、彼女なんかは観測することすら出来ない。

「貴女にはその答えを識る事は出来ない。何故なら、貴女は所詮ただの無力な人間のうちの一人に過ぎないから……」

 彼女にとって聞き覚えのあるような無いような声が聞こえてくる。彼女が一つ瞬きをすると荒野に居た筈の彼女はいつの間にか豪華絢爛な館の一室に居た。部屋には大きな窓があったが、その先の景色はまだ見るモノでは無い。と彼女の直感が言った。

 その他に部屋には豪奢な椅子が二脚。そして椅子の間には質素な机。壁には満遍なく本が詰められた本棚があった。

「ようこそ。我が愛すべき……神よ──」

 彼女の目の前には黄金の髪を揺らし、黄金の瞳を輝かせる若い女が居た。若い女は上等な布で作られたであろう華美なドレスを着ている。

「貴女は一体?」

 彼女が問いかけると若い女は僅かに笑みを溢す。その表情は蔑みにも哀しみにも見えた。

「私は……今はただのこの館の主人とでも名乗っておこう」

 若い女。館の主人がそう言うと彼女に椅子に座るように促す。彼女は恐る恐るその豪奢な椅子に腰掛けた。館の主人も彼女と対面するように椅子に深く座り込み足を組んだ。

「窓の外をご覧?」

 館の主人が何の脈絡も無く言った。彼女は大きな窓を見つめる。窓の向こう側は漆黒に塗りつぶされていた。しかし、よく目を凝らすとキラキラと輝く青や白。赤い光が細々と見えてくる。

「あれは『宇宙』だ」

 館の主人がそう呟くように言った。

「ミッシェル! 葡萄酒を持ってくるんだ」

 誰かに命令するように言う。少しすると館の主人と同年代と見られる女が現れた。

 女は給仕役なのかメイド服に身を包んでおり、館の主人よりも少し彩度が落ちた金髪を揺らしていた。給仕役の女は先ほど見た空よりも蒼い瞳を煌かせおり、その温かみのある頬には確かに微笑みを浮かべている。館の主人よりはずっと愛想が良さそうだと思った。

 そして、きっとこの女の名前は『ミッシェル』なのだろう。彼女は容易に想像が付いた。

「はい。エレオノール様。持って参りました。」

 ミッシェルの手には葡萄酒の瓶が握られていた。

「『フリュギア』の一六九五年でよろしいでしょうか?」

「あぁ」

 エレオノールと呼ばれた館の主人はミッシェルから葡萄酒の瓶を渡され、自分の目の前にあったグラスに注いだ。

「あの……此処は、一体?」

 彼女は目の前のエレオノールに問う。エレオノールは葡萄酒を一口飲んでいた。

「──此処は全ての終点。終わりなき終わりの場所。謂わば『虚無』」

 エレオノールの声は低く、彼女に何かを言いつけているような声音だった。

「人類が最も避けたかった末路。……それでも人類は……いや、あの人はその末路を選ばざる他……道は残されていなかった。」

 エレオノールはぽつぽつと言葉を紡ぐ。

「貴女はあの人を救う為に私を利用した。……今となってはそれはどうでも良い。しかし、私は私達が面倒な道を辿る事になったのは確かだ……」

 彼女はエレオノールの話が理解出来なかった。

「あっ、あの、エレオノール……さん? 一体何を言って……?」

 彼女がそう問う頃にはエレオノールは椅子から立ち上がり、窓へと近づいて行った。

「あの光は……星は、全て物語だった」

 エレオノールは窓に手を突く。先ほどと同じく『宇宙』が広がっており、光が煌めいている。その光が『星』なのだろう。彼女はただただ、その星々が綺麗だと思った。

「箱庭は崩壊した。物語は宇宙の彼方へ堕ちていったが、それを私は最期のその時を観測する。と言う役目を受けた。

 箱庭の生き残りとしても……彼ら観測隊の者達からも。その使命を承った。」

 エレオノールはそう言葉を続けた。エレオノールの顔は彼女の方からだと薄らとしか見えないが、哀愁漂うものに見えたのは確かだった。

「あの人の友人である作家が綴った物語は結局歪められ、哀しい結末を迎えた。されど哀れむ必要は無い。始まりのその時からこの『宇宙』の運命に定められた事なのだから──」

 彼女にとってエレオノールの語る話はよく分からないモノだった。エレオノールは何を言いたいのか。それが一切分からなかった。

「私が扱える運命の範囲はとても狭いモノ。どんだけ解釈を広げてもこの『銀河』で力は尽きてしまう。しかし、それで良い。星々物語達はこの銀河のみに存在するのだから……」

「あの……その、何を言いたいんでしょうか?」

 彼女は遂に口を開きエレオノールに問う。エレオノールは彼女の方へ振り返る。

「天体観測。と言うものは非常に趣深い行動だ。貴女も楽しめばいい」

 エレオノールはそう言うとまた椅子に戻り深く座った。


 

 ──そうして館には静寂が訪れた。

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