ゴーストパラダイス—the heartful day's—

猫牛 いちご

episode1.友達って響が少しくすぐったい

 煌々と太陽の光がアスファルトに照りつけ、空気が揺らいでいる。もう九月だというのに、東京の気温は三十五度を超えていた。

 そんななか、メガネの青年と髪の長い可愛らしい少女が暑さから逃れるようにファミリーレストランへと足を踏み入れた。扉に取り付けられた鈴の音色が店内に鳴り響く。


「いらっしゃいませー」


 店の奥の方から活気のない店員の声が聞こえてきた。平日の昼間、昼ごはん時だというのに客は殆どいない。空調もあまり効いておらず、かろうじて外よりも涼しく感じる程度であった。


「あんまり涼しくない。それに、この店ちょっと薄暗いし。他のところにしない?」


「ここでいいよ。人が多いところだと変な目で見られるかもしれないだろ」


 暑さに項垂れる少女の要望をメガネの青年はばっさりと切り捨てた。


「一名さまですね、こちらにどうぞー」


 奥からやってきた気怠げな店員が、メガネの青年を4人掛けのテーブル席へと案内する。黒色の無地の半袖シャツにカーキ色の短パン姿の青年が席に座ると、向かいの席に死装束のような服装をした少女が腰を下ろした。


「注文が決まりましたらお呼びください」


「あっ、バニラアイスを一つ。あとドリンクバーつけてください」


「……かしこまりました〜。お飲み物はあちらの機械からご自由にお取りください」


 青年は立ち去ろうとする店員に急いで注文を伝えると、ドリンクバーへと向かった。



「いいなー、達海たつみくんは冷たい飲み物を飲めて」


 ドリンクバーからメロンソーダを持って帰ってきたメガネの青年、達海に向かって少女は羨ましそな声をあげると、テーブルに顎を乗せて項垂れた。


「しょうがないだろ、レイは幽霊なんだから」


「それはそうだけど……」


 レイと呼ばれた少女は、テーブルに顎を乗せたまま頬を膨らませた。

 レイは何を隠そう、本物の幽霊である。幽霊は生者せいじゃ(生きている人間)とは少し違う次元に存在しているため、普通、生者から見られることも触られることもない。稀に霊感が強いと言われる人からは、ぼんやりとだが目撃されることもあるようだ。そのため幽霊は得体の知れない恐ろしいものとされているが、生者となんら変わらない人間である。いや、“人間だったもの”と言った方が正しいだろうか。


「っていうか、レイは幽霊なのに暑いとか寒いとか、ちゃんと感じるんだな」


「あっ、ひどーい。いま幽霊のことバカにしたなー? 幽霊だって生きていた頃と同じでちゃんと感覚もあるんだよ」


「バカにしたわけじゃないよ! ただ、ちょっと驚いただけ」


 眉を顰めるレイに向かって、達海は慌てて弁解した。

 達海も少し前までは、幽霊なんて見えないただの人間だった。しかし、少し前にトラックに轢かれる事故に遭ってしまったことで、幽霊の存在をはっきりと視認できるようになってしまったのだ。レイとの出会いは病院から退院して、その直後のことであった。


「達海くんって、ちょっとデリカシーないよね」


「悪かったって」


 そっぽを向いてしまったレイに達海は少し困った顔で謝罪した。するとレイが何も言わずに右手を達海の前に差し出す。


「……?」


「……仲直りの握手!」


 察しの悪い達海を見て、レイは少し言葉を強めるとさらに右腕を達海の方へと伸ばした。


「……わかったよ」


 達海が周りを見渡して誰の視線もないことを確かめると、レイの右手を握った。するとレイは満面の笑みを浮かべながら握りしめられた腕を上下に揺さぶった。


「……レイ、いつまで握手するの?」


 なかなか手を離さないレイに達海が苦笑いを向けると、レイは満足そうな顔をして手を離した。


「生きてる人間とこんなに長い時間触れ合えることってないからさ。なんか、嬉しくてつい」


 レイはそう言って少し恥ずかしそうにして、はにかんだ。


「そうだね。まさか、幽霊とこんなふうに話したり触れ合ったりできるようになるなんて思ってもみなかったよ」


 達海は右手の平を見ながら顔を綻ばせた。

 そう、彼は幽霊を見るだけではなく触れることもできるようになってしまったのだ。

 幽霊は意図的に生者に触れることができるが、生者の意図で幽霊に触れることはできない。そして一部の例外を除いては、幽霊も生者に触れられる時間はごく僅かなはずなのである。しかし、そんなことわりを壊すかのように、達海は幽霊といつ何時でも接触できるようになってしまった。初めは困惑していた達海も、今ではその現実を受け入れつつある。

 すると、黒のスーツ風な制服を着こなす女の店員が、お盆にバニラアイスを乗せてやって来た。


「こちらバニラアイスでーす。伝票はこちらに置いておきますねー」


 耳にイヤホンを付けている達海が軽く会釈をすると、店員はキッチンの奥へと歩いていった。

 達海は知り合いからのアドバイスで、外で幽霊と話す時はイヤホンを装着するようにしていた。そうすることで一人で喋っていても、側から見たら『誰かと通話しているのだろう』と受け取ってもらえるからだ。

 達海は、文明の力とアドバイスをくれた陰陽師もどきのおじさんに心の中で密かに感謝した。


「そういえばさー、達海くんは最近辛くない? 大丈夫? トレーニングも私たちのために無理してやってるんじゃって、ちょっと心配なんだよ」


「んー? 全然辛くなんてないよ。俺がやりたくてやってることだし」


 少し不安そうな顔で尋ねてきたレイに対して、達海はメロンソーダが入ったグラスにバニラアイスを滑り落としながら答えた。メロンソーダが机に少し跳ねて、達海は「あっ」っと小さく声を漏らすと、机の端に置かれている布巾で拭き取った。

 レイと出会ってからの数日間で己の無力さを感じた達海は、レイとその仲間たちと共に体づくりのトレーニングに励んでいた。毎日、ランニングや筋力、体術のトレーニングを先生(レイとその仲間たち)の指導のもと行っている。

 今まで友達もつくらずに無気力に生きてきた達海にとって、とても刺激的な毎日を過ごしていた。


「それに最近、毎日が結構楽しいんだよ」


「そうなんだ、よかったー。そっかそっか、楽しいのか」


 少し恥ずかしそうに言った達海を見て、レイは「えへへ」と笑ってみせる。そんなレイに向かって達海は「なんだよ、気持ち悪いな」と悪態をついた。


「またまた、恥ずかしがっちゃって」


「うるさいなー」


 達海は誤魔化すようにストローを咥え込んでメロンソーダを啜った。レイはそんな達海の様子を見て、さらに口元を緩ませた。


「こうゆーのなんかいいね」


「こうゆーのって?」


「私さ、幽霊になってから生者と話すことってあんまりなかったからさ。友達ができてすごく嬉しいなーって」


「……友達?」


「……友達でしょ、私たち」


 ポカンとした顔の達海を、レイが不思議そうな顔で見つめ返す。


 友達……友達か……なんだか少し、くすぐったいな。


「なんだよー。なんか言ってよ。こっちまで恥ずかしくなるじゃん」


 レイは少し顔を赤らめながら再び頬を膨らめせた。


「……ごめんごめん。……そうだ、帰ったらまた稽古つけてよ。夕方になればちょっとは涼しくなるだろうし、今日はレイがやるみたいなかっこいい技を教えてほしい」


「うーん、そうだなー。それじゃあ、今日は回し蹴りのやり方を教えてあげる! でもその前に体幹のトレーニングもびっしりやってもらうからね」


「えー」


「『えー』じゃない! 体幹ってものすごく大事なんだよ!」


 気がつけば達海は、レイとの会話に夢中になっていた。

 こうゆーのも悪くない。

 グラスの中ではバニラアイスが少し溶け出し、甘い白色と鮮やかな緑色が混じり合っている。


 

 

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