29.出会い

 高校受験の日、私は緊張していた。きっと、生きてきた中で一番緊張していたと思う。そんな緊張の中で試験が始まると、私のお腹が次第に痛くなった。


 始めは堪えられるくらいの痛みだったけど、次第に痛みが強くなって我慢できなくなってきた。休憩時間にトイレに駆け込むが、出るものは出ないし、そういう意味でお腹が痛くなったんじゃなかったとその時知った。


 トイレの洗面台の前でお腹を抱えて痛みに堪える。ずっとこのままじゃいられないし、試験会場に戻らなくちゃいけない。だけど、ここを離れるには勇気がいた。


 早く戻らなくちゃという焦燥感と試験の緊張でさらにお腹は痛くなった。その時、このお腹の痛みが緊張によるものだと知ったけれど、どうすることもできなかった。


 次第に焦りが大きくなって、痛みが強くなってきた。このままじゃ試験が受けられない、試験に落ちちゃう。泣きそうになった、その時だ。


「あの……大丈夫?」


 誰かが声をかけてきた。私は顔を上げてその人を見た。その人こそ、佐々原さんだった。


「さっきから、痛そうにしていて……。どこが痛いの?」

「えっと、お腹が……」

「そっか、お腹が痛いんだね」


 佐々原さんは見ず知らずの私に優しく声をかけると近寄ってきた。そして、私のお腹と腰に手を当てると優しく撫でてくる。


「こうすると、少しは楽になるよ」


 そう言って、佐々原さんは優しくお腹と腰を撫でてくれた。それだけで痛みが治まるわけない。そう思っていたのに、強い痛みは段々と引いてきた。


 嘘……あんなに痛かったのに、こんなことで痛みが引いてくれるなんて。私は引いて行く痛みに驚いた。人に優しくされるだけで痛みが引くなんて、本当に精神的に参っていただけなんだなっと思った。


「あっ、そうだ! 良いものがあるよ」


 すると、佐々原さんはポケットに手を入れて何かを取り出してきた。


「はい、これ。ホッカイロ」

「えっと……」

「これをお腹に当てて。そしたら、痛みが和らぐと思うから」


 服の下にホッカイロが差し込まれると、それを服の上から押さえつけられる。すると、ホッカイロの温かい温度が伝わってきて、じんわりとお腹に広がっていく。


 温かいだけなのに、ホッと安心してきた。じんわりと温かい温度が広がっていくと、さらに痛みが引いてきた。それと同時に私の焦りも薄れていき、精神的にも楽になってくる。


「どう? 効いてる?」

「……うん。すごく、楽になったよ」

「そっか、良かった。そのホッカイロはあげるね」

「そ、そんな……悪いよ」

「大丈夫! 沢山持ってきているから平気だよ」


 佐々原さんの優しさに私自身落ち着いてきていた。撫でてくれる手がどこまでも優しくて、安心できて、落ち着かせてくれる。


「ありがとう。お陰でお腹の痛みも引いたよ。でも、どうして優しくしてくれたの?」

「そりゃあ、困っている人を見過ごせなかったからだよ。それに大事な日だから、全力を出せなかったら悲しいでしょ?」

「それはそうだけど……。私たちはライバルでもあるんだよ。それなのに……」

「大丈夫! ライバルの一人や二人、元気になったところでウチの合格は揺るがないから!」


 私の言葉に佐々原さんは自信満々に答えた。自信満々に合格すると宣言してビックリした私は目を丸くした。そんなに頭が良い人なのかな? と、言葉を鵜呑みにする。


「……まぁ、気持ちだけはそう思っているんだけどね。苦手な教科があるから、不安で不安で」


 というのは見栄らしかった。正直な気持ちを打ち明けると、困ったような表情になった。やっぱり、普通の受験生なんだ。私と変わらない。


 急に親近感みたいなものが湧いてきて、さらに安心できた。やっぱり、私の腹痛は精神的なものだったらしくて、落ち着けば落ち着くほど痛みが消えていった。


「顔色良くなったね。もうお腹は大丈夫?」

「うん、もう大丈夫。私に話しかけてくれてありがとう」

「どういたしまして。ウチも誰かと喋りたかったから良かったよ。ウチも緊張してたから、お陰で解れたし」

「そうだったんだ。少しでも力になれたなら嬉しい」


 そう言って二人で笑い合った。それだけなのに、私の胸は温かい感覚に包まれる。この感じ……気持ちいい。もっと、この子と一緒に居たい気持ちがどんどんと膨れ上がる。


 なんだろう、この気持ち。誰かに対してこんな思いになるのは初めてだ。心地いい鼓動に温かさ、この気持ちは一体何? 突然湧いた気持ちに戸惑っていると、手をギュッと握られた。その瞬間、心臓がドキッと鳴る。


「お互い頑張ろうね!」


 その子が満面の笑みでそう言った。すると、私の体温が急上昇する。体も心も熱くなり、鼓動が高鳴った。私が佐々原さんに恋をした瞬間だった。



「ふー、頂上に着いたよー」


 佐々原さんの背に乗って揺られながら、頂上まで来てしまった。


「ありがとう。大変だったんじゃない?」

「水島さんが思ったより軽くて、全然大変じゃなかったよ」

「そ、そう? 下ろしても大丈夫だよ」


 そういうと、佐々原さんは優しく私を下ろしてくれた。佐々原さんと離れるのは寂しいけれど、これ以上くっ付いてたら自分がどうにかなってしまいそうだ。


「足は大丈夫?」

「うん。休んだお陰で痛みは引いたみたい。佐々原さんが背負ってくれたお陰だね」

「ふふん、もっと感謝してもいいよ」

「もう、佐々原さんったら」

「こんな時に調子がいいんだから」


 背負って山道を登るのは大変だったのに、そんな雰囲気は出さない。ちょっとした佐々原さんの気遣いに、私の心は自然と温かくなる。


 私は佐々原さんのそういう優しさに惚れたんだ。さりげない気づかいをしつつ、人に寄り添って優しくする。あの時の気遣いと優しさに私は救われた。


 今もあの時みたいに救われた。大した怪我でもないのに、おぶってくれた。少し手を貸すだけでもいいのに、わざわざ背負うという重い判断をしてくれた。


 申し訳ないという気持ちがありつつも、心の底では嬉しい気持ちはある。こんなに気を使ってくれたことが純粋に嬉しくて、もしかして特別なんじゃないかって勘違いしてしまいそうになる。


 だけど、佐々原さんは私のことを普通の友達としか思っていない。その現実を見せつけられると、とても寂しい気持ちになる。今も普通に泉さんと話しているし、特別私の事を思っている素振りはない。


 だけど、それは仕方がない。ようやく友達になれたんだから、仲良くなるのはこれからだ。私がちゃんと行動をして、楽しい時間を過ごすことができるようになれば、きっと仲良くなってくれるはず。


 今はまだ泉さんの方に意識はいっているけれど、泉さんには負けない。今度は私の方に意識が行くように、もっと仲良くなるんだ。


「ほら、水島さんも景色を見て! いい景色だよ」


 私の気持ちを知らない佐々原さんが明るい表情で私を呼ぶ。嬉しいはずなのに、ちょっと切ない気持ちになる。ううん、切なくなってなんていられない。私の頑張りでこれからの未来が変わっていくんだから。


 違和感の残る足で佐々原さんの隣に移動すると、一緒の景色を楽しむ。


「本当にいい景色。佐々原さん、私をここまで連れてきてくれてありがとう」


 私にできる精一杯の感謝を笑顔と共に伝えた。すると、佐々原さんは一瞬目を丸くすると、すぐに満面の笑顔を見せてくれる。


「もちろんだよ。だって、いい景色だったら一緒にみたいでしょ」


 その言葉だけで、胸がキュンとなって勘違いしそうになる。大丈夫、佐々原さんの気持ちは分かっているから勘違いしない。今に見てて、同じ好きになってくれるように仲良くなってみせるから。

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