第17話 白い足元
平成の1990年代後半、女子高生の間では「ルーズソックス」が爆発的な人気を誇っていた。真っ白で長いソックスを足元にたるませる独特のスタイルは、女子高生ファッションの象徴として定着し、街を歩けば至るところでその姿を見ることができた。厚底ローファーや短いスカートと合わせることで完成するコーディネートは、誰もが憧れる「カワイイ」の代名詞だった。雑誌やテレビで紹介されるルーズソックスの流行に乗り遅れないため、女子高生たちは日々ファッションの研究に余念がなかった。
高校2年生の紗季もまた、その流行の真っ只中にいた一人だ。彼女の学校では校則が厳しく、スカートの丈や髪型にも細かな制約があったが、なぜかルーズソックスだけは黙認されていた。だからこそ、生徒たちはこぞってそれを楽しみ、誰が一番「可愛く」見えるかを競い合っていた。紗季も毎朝アイロンを使ってソックスを綺麗に伸ばし、完璧な状態で学校に向かうことを習慣にしていた。
ある朝、紗季はいつものように制服を整え、足元に自信を持ちながら登校した。自分のソックスが綺麗にたるんでいるか確認しながら、友人たちと教室に向かう。
「紗季、今日のソックスもバッチリじゃん!」
親友の理奈が笑いながらそう言うと、紗季も「でしょ?」と得意げに返した。彼女たちにとって、この些細なやり取りが日常であり、ささやかな楽しみでもあった。
しかし、その日の午後、体育の授業が終わり、ロッカールームで着替えていた時だった。紗季がふと自分の足元を見ると、いつもと違う違和感を覚えた。
「……なんか、重い?」
履き替えたばかりのルーズソックスが、まるで足に吸い付くような感覚があった。普段ならサラリとした感触が心地良いはずなのに、その日は妙に湿っぽく、嫌な重さを感じる。
「汗かいたからかな……」
そう自分に言い聞かせ、紗季は特に気にせず授業に戻った。だが、その日の放課後、さらに奇妙なことが起きた。
校門を出て歩き始めた彼女は、ふと背後に足音が聞こえることに気づいた。
「……誰かいるの?」
振り返ると、そこには誰もいなかった。周囲には下校中の生徒たちがちらほらいるだけで、特に怪しい人物はいない。それでも足音は確かに聞こえた。それは、紗季が歩くたびに、彼女の足音にぴたりと重なるように響いていた。
「気のせいだよね……」
紗季はそう自分に言い聞かせ、少し早足で家に向かった。しかし、家に着いて靴を脱いだ時、また足元に違和感を覚えた。
「……これ、何?」
ルーズソックスの表面に、うっすらと汚れがついていることに気づいたのだ。それは泥のような茶色い跡で、特にどこかにぶつけたりした覚えもないのに、つま先から足首にかけて広がっていた。
「こんな汚れ、つくわけないじゃん……」
紗季は不思議に思いながらも、それ以上考えないことにした。ルーズソックスを洗濯機に放り込み、明日は新しいソックスを履けばいいと割り切った。
その夜、紗季はベッドに入った後も妙な感覚に苛まれた。部屋は静かで、窓の外からは遠く車の音が聞こえるだけなのに、どこからともなく微かに足音が聞こえる気がしたのだ。
「また、気のせい……だよね?」
自分に言い聞かせながら、紗季は布団を頭までかぶった。
次の日の朝、紗季は昨日洗濯したばかりのルーズソックスを手に取った。しかし、取り出した瞬間、思わず息を飲んだ。
「なんで……これ……」
昨日の汚れが、消えるどころかさらに濃く広がっていたのだ。洗濯したばかりなのに、つま先から履き口までびっしりと茶色い跡がついている。しかも、その跡はどこか「足跡」のようにも見える形状だった。
「……もう、これ使えないじゃん!」
紗季は気味が悪くなり、そのソックスをゴミ袋に入れて捨てることにした。そして新品のソックスを履いて学校に向かったが、心のどこかで不安な気持ちが拭えなかった。
その日の放課後、紗季は再び足音に悩まされることになる。誰もいないはずの廊下で、背後からついてくるような足音が、彼女の耳元に響き続けた。
「誰なの……?」
振り返っても誰もいない。だが、その足音は止むことなく、まるで紗季の足に何かが絡みついているようだった。帰宅後もその感覚は消えず、彼女はついに恐怖で涙を流してしまった。
そして夜、眠りにつこうとした紗季の耳に、またあの足音が聞こえ始めた。それは今度こそ彼女の部屋の中から聞こえている。さらに、その音に混じるように、誰かが微かに囁いている声がした。
「……終わらないよ……ずっと……」
紗季は布団を握りしめたまま、声を出すこともできなかった。やがて足音は、彼女のベッドのすぐ下で止まった――。
紗季は震えながら布団の中で息を殺していた。足音は確かにベッドの下で止まり、それ以上は動かない。しかし、紗季にはどうしてもその場から逃げ出すことができなかった。
「お願い……誰か助けて……」
微かに漏れた声は、誰にも届かなかった。しばらくして静寂が訪れたものの、紗季にはその静けさが逆に恐ろしかった。音も気配もない空間にいるということは、自分が完全に孤立しているのだと感じさせたからだ。
それでも勇気を振り絞り、紗季は布団を少しだけめくり、そっと顔を出した。
部屋は暗闇に包まれていたが、かすかな月明かりが差し込んでいる。その光の中で、紗季はベッドの下に目をやった。
何もいない――はずだった。
だが次の瞬間、ベッドの下から白くて細長いものがゆっくりと伸びてきた。
「嘘……やだ……!」
紗季は悲鳴を上げ、布団から飛び出した。しかし、飛び出した瞬間に足元が何かに絡み取られる感触があった。それは彼女の両足首に巻きつき、次第に強い力で引っ張り始めた。
「離して!やめて!」
紗季は必死に足を振り回し、ベッドから遠ざかろうとした。しかし、その白い布状のものはまるで生き物のように紗季の動きに合わせて締め付けてくる。
床に倒れ込んだ紗季は、部屋のドアに向かって這い出そうとした。しかし、今度はその布が彼女の首元に絡みつき始めた。
「苦しい……誰か……」
布がさらにきつく締まり、紗季は息ができなくなった。その時、耳元で囁くような声が聞こえた。
「終わらない……ずっとここにいるの……」
それは紗季自身の声に似ていたが、何か異質で、ぞっとする響きを持っていた。
視界が次第に暗くなり、意識が遠のいていく中、紗季の最後の記憶に残ったのは、ベッドの下からこちらを覗き込むように伸びた白い「何か」だった。
紗季の両親は、学校に行くはずの娘がリビングに降りてこないことに気づき、彼女の部屋を訪れた。ドアを開けると、紗季は床に倒れており、首には何かで締め付けられたような痕がくっきりと残っていた。
警察が到着し、室内を調べたが、外部から侵入された形跡は一切なかった。紗季の両足にはルーズソックスがしっかりと履かれていた。それは、彼女が昨日捨てたはずのソックスとそっくりだった――。
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