第13話 深夜ラジオの囁き
1990年代、深夜ラジオは若者たちにとって欠かせない娯楽の一つだった。テレビが主流になる以前から愛され続けたラジオ文化は、平成に入ると若者向け番組が台頭し、人気パーソナリティやリスナー同士の熱い交流が盛り上がりを見せた。番組宛てにハガキを送る「ハガキ職人」たちは、ネタを競い合いながら小さなコミュニティを形成し、採用されるとその番組内で名前が呼ばれることに喜びを感じた。深夜ラジオは、家族が寝静まった後、一人だけの特別な時間を楽しめる魔法のような存在だった。
***
大学生の健太も、深夜ラジオに夢中だった一人だ。昼間は冴えない性格で、特に目立つ存在ではない彼だったが、深夜ラジオの投稿コーナーでは「モノクロピエロ」というペンネームで知られる常連のハガキ職人だった。番組内でその名前が呼ばれるたび、健太は自分が別人になったような気がした。昼間の自分はどうでもいい。深夜ラジオの世界では、自分が必要とされているのだと感じていた。
ある夜、健太はふとした思いつきで怪談の投稿を書き始めた。それは自分の体験ではなく、作り話だった。「深夜、誰もいない部屋でラジオをつけると、見知らぬ声が聞こえてくる」というありふれた内容だ。特に目新しさもない話だったが、健太はこうした小さな挑戦が好きだった。自分の投稿が採用されるかどうかを想像しながらペンを走らせる時間は、彼にとって何より楽しいひとときだった。
その週、健太はいつものように深夜ラジオを聞きながら、投稿コーナーを待っていた。部屋の明かりを消し、ラジオの音量を少し下げて耳を澄ませる。しばらくして、ついにその瞬間が訪れた。
「ラジオネーム『モノクロピエロ』さんからの投稿です――」
パーソナリティが投稿を読み上げ始めると、健太は思わずガッツポーズをした。自分の考えた物語が電波に乗り、全国のリスナーに届いている。そのことが嬉しくてたまらなかった。
だが、読み進められるうちに、健太の胸に奇妙な違和感が生まれた。
「深夜、ラジオをつけると、知らない声が聞こえてくる……『次はお前の番だ』と。」
「え?」
健太の投稿にはそんな内容は含まれていなかったはずだ。控えを見返しても、「次はお前の番だ」などという一文は書かれていない。しかし、それは確かにパーソナリティの口から読み上げられたのだ。
「何だこれ……?」
妙な胸騒ぎを覚えながらも、健太はその夜は気のせいだと思うことにした。だが、心の片隅に引っかかるものがあり、投稿を送った時の自分の記憶を何度も反芻する。
その夜、ラジオを消して布団に入ると、健太は安堵するように目を閉じた。部屋は静かで、遠くから虫の鳴き声が聞こえている。しかし、不意に「ザー……ザー……」というノイズ音が耳に飛び込んできた。
「……ラジオ……?」
健太は布団から顔を上げ、ラジオのスイッチが切れていることを確認した。確かに電源は切ってある。しかし、ノイズ音は消えるどころか徐々に大きくなり、耳に直接響いてくるように感じた。
そして、ノイズの向こうからかすかな声が混じり始めた。
「……モノクロピエロ……聞いてるのか……?」
健太は全身が凍りついた。
「誰だ……?」
声はどこからともなく聞こえ、部屋の空気を歪ませるように響いていた。ラジオが動いているわけではない。それでも、声は健太の名前を呼び続ける。
「……次は……お前の番だ……」
布団をかぶり、耳を塞いでも声は止まらなかった。スピーカーの向こうからではなく、まるで健太の頭の中に直接流れ込んでくるかのようだった。
その声に耐えきれず、健太は布団から飛び出し、ラジオを手に取ると力任せに電源コードを引き抜いた。
「これで……!」
だが、ノイズ音も声も止むことはなかった。それどころか、声はますますはっきりと健太に呼びかけるようになった。
「……お前の番だ……隠しているのは何だ……?」
健太は耐えきれず部屋を飛び出し、夜の廊下を走り抜けた。だが、振り返ると彼の部屋のドアがゆっくりと閉まり、ノイズ音が漏れ出してくるのを感じた。
***
健太は震える手で部屋のドアを押さえ、後ずさった。ノイズ音はますます大きくなり、まるで家全体に響いているようだった。
「こんなのおかしい……夢だ、これは夢だ……」
自分に言い聞かせながら廊下を進むと、台所の隅にある固定電話が突然鳴り響いた。健太は心臓が跳ね上がるほど驚いたが、音を止めたい一心で受話器を取った。
「……はい……」
受話器の向こうからはノイズ混じりの声が聞こえてきた。
「……モノクロピエロ……隠していることを話せ……」
その瞬間、健太の頭の中に、封じ込めていた過去の記憶が蘇った。
――それは、中学生の頃の出来事だった。
当時、健太には同級生のナツキという友人がいた。二人は深夜ラジオの投稿に熱中し、よく一緒にネタを考えては送り合った。しかし、健太はある日、ナツキの個人的な秘密を冗談半分でネタにして投稿してしまった。それはラジオで採用され、パーソナリティの口から読まれたことで、クラスメートたちの知るところとなった。
「ナツキ、あれ面白かったよな!みんな笑ってたぞ!」
健太はそう言ったが、ナツキの顔は青ざめていた。その日を境に、ナツキは学校を休むようになり、最終的には転校してしまった。健太はそれ以来、そのことを考えないようにして生きてきた。
しかし、今この瞬間、その記憶が鮮明によみがえり、ノイズ混じりの声がそれを突きつけてきた。
「隠すな……話せ……」
健太は受話器を叩きつけるように置き、その場から走り出した。廊下を抜けて玄関にたどり着くが、扉を開けようとしても鍵が外れない。背後からノイズの音が迫り、部屋全体が揺れるような錯覚に陥る。
「お願いだから……やめてくれ……!」
振り返ると、ノイズが渦を巻くように濃くなり、その中心からナツキの姿が浮かび上がってきた。中学時代の姿そのままだが、顔は歪み、笑顔と怒りが入り混じったような表情をしている。
「返して……私の居場所を……笑いを……全部……」
ナツキの声が次第に重くなり、ノイズがさらに強くなる。健太は耳を塞いでその場に崩れ落ちた。
「ごめん……俺が悪かった……本当にごめん……!」
震える声で謝罪する健太に、ナツキの顔がじっと近づく。
「でも、もう遅いよ。」
その言葉を最後に、ノイズの渦が健太を飲み込んだ。
翌朝、健太の部屋には彼の姿がなく、机の上にはラジオが静かに置かれていた。ノイズは消え、部屋には静寂が戻ったかに見えた。しかし、ラジオのスピーカーからは時折、低いノイズ音が漏れ、その中に健太の名前を呼ぶ声が混じっているのを祖母が聞いたという。
それ以来、「モノクロピエロ」というペンネームの投稿が深夜ラジオに再び届くようになった。その内容は以前と変わらない軽妙なものだったが、投稿者の正体を知る者はいなかった。そして奇妙なことに、その名前が呼ばれるたび、別のリスナーが「姿を消す」という噂が広まり始めた――。
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