[第二章:変わる日常、潜む者]その2
「今日は早いのね、お姉ちゃん」
「ええ、そうなんです。帰りは昨日より早い、ですけど」
翌朝。いつもるいが登校する時間帯に、今日は珍しくも月音が出勤しようとしていた。
今日は連休で、補習も昨日時点で一旦終わっているため、るいはこの日に関しては暇だ(とはいっても、成績のことがあるので勉強はしなければならないが)。
一方で、月音はこの休日も仕事である。変わりに別の日に休みは貰っているらしいが、それはしばらく先になりそうとのこと。
そういうわけで、月音はいつもの格好で玄関に立っている。
その後ろで、るいは制服と似たようなデザインの私服を着て、見送りに出ていた。
「まぁ、早いと言っても夕方になりそうです。それまでは」
ミィちゃんとるいだけになる。
月音はるいにそう言った後、少し心配した様子でるいに視線を寄こす。
「…大丈夫ですか?二人だけで」
「…そう、ね」
正直、るいとミィの仲は昨日二度顔を合わせた程度のものだ。仲が悪いというわけでは決してないが、二人残されて上手くやれるかどうかは微妙なところである。
それに、今日は大雨である。
外に出ることもできない以上、二人は家の中にいるしかない。
そうなれば二人一緒にいる時間も結果的に増えるであろうし、月音としては二人の様子は少し気になるところではあったのだろう。
「…正直、あんましわかんないわね。ミィのことはよくわかってないし」
るいは、ミィがいるリビングの方へ一瞬視線を寄こして言う。
そこでは、月音にくつろいでいいと言われたミィが何かしらしているはずである。
「…そうですか」
月音はるいの言葉に少し不安げな声を漏らす。
それを聞いたるいは、
「まぁでも、なんとかするわよ。顔つき合わせて、雰囲気が微妙になったりしたら」
と、姉を心配させないように軽く言う。
それに月音は、ふっと笑う。
「そうですか。…まぁ、ミィちゃんは悪い子じゃないようですし、落ち着いてたら話も普通にできます。昨日も言いましたが、できれば仲良くしてあげて下さい。その方が、ちょっと幼いところのあるあの子も安心できるはず、です」
「…分かったわ、お姉ちゃん」
若干自信がなさ気でこそあるものの、るいは頷く。
それを見た月音ははいと応答した後、
「…まぁ、ミィちゃんはるいのことを私より好意的に捉えてる節はあるので、悪くは転ばないでしょう」
そんなことを言ったところで、月音は玄関の外から聞こえる雨音に反応する。
「おっと。あまり長時間の立話はいけませんね。…それじゃぁるい、行ってきます」
「うん。行ってらっしゃい、お姉ちゃん」
「はい」
月音は少し笑い、傘と軽い荷物を持って玄関の扉を開ける。ついで傘を差し、玄関の扉が閉まると同時に[守護剣]たちの事務所へと向かい始めた。
「…」
手を軽く振りながらそれを見ていたるいは、完全に扉が閉まったところで防犯のための施錠をする。
「…さて、と。お姉ちゃんの見送りもしたことだし」
(…昨日ラピラリに貰ったノートもあるし、ちょっと勉強でも、ね。…このままラピラリに負けてるのはムカつくし)
そんなことを思い、るいは自室の扉を開ける。
「……。ミィ、か…」
るいはそこで立ち止まり、閉まっているリビングへの扉を見る。
(…あの黒ずくめに襲われて逃げてきた、[不確定存在者]…)
扉の向こうの少女について、昨日姉に聞いたことをるいは思いだす。
(身寄りがないのよね)
ミィという名である、まだ保護者が必要そうなあどけなさと幼さを残す彼女は家族を持たず、独り身であるそうだ。
そして[不確定存在者]故か、あちこちでやけに襲って来る[UCEE]から逃げつつも各地を放浪してきたらしい。
(彼女としばらく一緒なのよね)
昨日見た薄紫と水色の色彩が頭をよぎる中でるいはそう思い、自室に入り、扉を閉める。
「…まぁ、始めよ」
そう言って、るいはラピラリのノートを広げ、しばしの間勉強に取り掛かった。
…だが、三十分程が経過したところで、彼女の手は止まる。
「…なんか、集中できないわね」
るいは呟き、自分の手元を見る。
そこにあるノートの見開き一ページには、雑念が混じっている証拠である、意味のない妙な形の線が描かれていた。
「…なんだか気になる」
集中しようとしても、どうにも気が散ってしまう。雨音のせいではない。
原因は別にあった。
それと言うのは、
(ミィ。…なんだか気になるわね)
そう。るいが先ほどからさっぱり集中できないでいる原因は、ミィだ。
どうにも彼女の姿が脳裏にちらつき、問題に集中して取り組むことができない。
(…これ以上やってると時間の無駄ね)
るいはそう思い、立ち上がって勉強を打ち切ることにする。
「…まぁ、勉強は後にするとしても。どうしよ」
るいは窓の外を見る。
そこは今なお激しい音が聞こえてくるほどの大雨。外出などの選択肢はない。
となれば、家にいるしかないわけだが…。
「…なんか作品作る気にはなんないし…。今日は昨日みたいに飲むのも無理だし」
正直、やることがない。
そう思ったとき、るいの脚は自然と動いていた。
(ミィ。…あの子と)
るいは昨日のミィの姿を、頭の片隅に意図せず思い浮かべながら歩き、自室の扉を開ける。
そして、リビングの扉の前に立ち、
「…ちょっと話そう」
姉が仲良くしてくれと言っていたこともあってか、なんだかそんな気分になったるいは、扉の取っ手を握り、開ける。
そうして彼女の目に入ってくるのは、見慣れたリビングの光景。
それと、その中にいるまだ見慣れない一人の少女だ。
「…?」
扉を開け、リビングに入ったるいは、それまでソファに座って目を瞑っていたミィを見る。
彼女の格好は白色で花びらを模したスカートのワンピースと、袖が花弁を模したワンピースと隙間なくくっついた同色の上着。昨日玄関先で出会ったときと同じである。
るいはそんな恰好の彼女をゆっくり見る。
(…やっぱり綺麗で、可愛いわね)
それが、るいがミィを見ての正直な感想だ。
掃除された床につくほどの髪は、リビングの照明に照らされ、陽の光に照らされた昨日ほどではないが美しく輝いている。
その間にある顔はふっくらとして幼く、丸みのある目は鮮やかな水色をしている。るいより背が低く起伏の少ないその体は、可愛らしいデザインの服とあっていてまるで人形のようであった。
(…マジカルセイバーみたいに、機械かそれまじりの[確定存在者]で似たような感じのはたまに見るけど…でも)
それより断然、美しく可愛らしい。るいは姉の同僚を比較対象にしつつそんなことを思った。
…と。
「どうか、したの…?」
ミィがソファから身を乗り出し、るいに聞いてくる。
仲がそこまで良くないがゆえか、声は押しが控えめだ。
ただ、恐れているわけではない。どうやら遠慮である面が強いようである。
「あ、えっと、…」
ミィの言葉を受けたるいは、特に何か用事があったわけでもないため、返答に困ってしまう。
その様子を、ミィは不思議そうに見、首を傾げる。
「…?」
「…」
「…」
るいがそうして答えに窮しているうちに、ミィも喋らなくなり、二人の間には沈黙が横たわる。
「……ぅ」
ミィは何か言おうとしているようだが、先ほどるいがまともに返答できなかったことで余計に気でも引けたのか、視線をちらちらと寄こすだけでまともに喋らない。
一方のるいも、話しかけるタイミングを失ってしまい、黙ってしまう。ただ、視線だけはミィのほうへ向けながら。
そういったことにより、二人はなんとも言えない空気感のまま、一、二分程リビングには静寂が訪れる。
外から、雨の音がくぐもって聞こえる中、お互いの存在を気にしながら。
(…不味いわ)
そんな状況が続いた中で、るいは思った。
(…この微妙な空気感、かなりしんどい…!)
正直、るいは短気と言うわけではないが(普段ラピラリに怒っているのはプライドの問題で本来的には別に気が短くはない)、こんな空気感に長時間耐えられるほど忍耐強い性格もしていない。
このまま行けばストレスが限界に達してしまう。
しかしこの空気感と、ミィが視線を寄こして来ることもあって、この場を離れるのも気が引ける。
(…でも、このままはかなり…。…なにか、なにか策が必要よ!)
一刻も早くこの空気を打ち破らなければ。そう思うるいは視線を目まぐるしく動かす。
(何か、何かないの?この状況をどうにかするものは…!)
そう思ってテレビへと彼女が視線を動かした時だ。
「あ…」
ふと、るいの視界にあるものが映る。
黒光りする四角いそれは、るいがたまに使うゲーム機だ。
テレビに接続して使うもので、多人数で使用できる(基本るいしか使わないが)。
(これよ…!これを使えば)
ゲームをする。この提案をし、一緒にゲームをすればこの空気感はどうにかなるはず。
もはや限界に近い彼女は直感的にそう思い、やろうと自分を鼓舞するように頷く。
そして、ミィに視線を戻す。
「…えっと…ミィ!」
「ぇ!?…な、なに…るい…」
ミィは少し驚いた様子で見てくる中、るいは彼女と目を合わせる。
そして、力強く言った。
「…ちょっと、一緒に遊ばない?」
「遊、ぶ?」
「そうよ。テレビの下にゲーム機があるから、なんかやるの!今日は大雨で、やることないしね」
るいは少し勢いづいた状態でそう言う。
その様子にミィは最初の少しだけ戸惑いを見せたが、
「…あそぶ…あそぶ……」
遊びたい。そんなるいの発言内容を理解してくれたのか、ふと笑う。
「…うん、るい。やろ、あそぼ…」
嬉しそうに、そう返してくれる。
それにるいは安心し、
「ありがと!それじゃぁ…」
ミィのところに歩いていき、
「やろ」
笑って言った。
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