街灯に照らされた道は人影が少なく、ときどき自転車や車が通り過ぎるだけだった。

 肌にぶつかる風が冷たい。吸い込む空気は、痛いくらいに肺を突き刺した。

 もう少し厚手の上着を着てくるべきだったと反省した。けれど、家に戻って着替える時間さえ惜しかった。

 一分一秒でも早く十夜に会いたい。会って、謝りたい。

 五分間走り続け、ようやく辿り着いた。都会の中にある、都会の喧騒から離れた、静かな区画。その中心に、人気ひとけのない公園が淡く浮かび上がる。

 公園に到着するやいなや、キィッという錆びついた音が、怜の耳を引っ掻いた。音のするほうへと視線を遣れば、そこには、ブランコに腰かける十夜の姿があった。

 怜が駆け寄る。十夜が顔を上げる。目と目が合う。

 怜は、その整った顔をぐしゃぐしゃにしながら、誠心誠意十夜に頭を下げた。

「……っ、ごめんなさい……」

 声を震わせ、結婚して以来……否、それ以前から抱き続けている正直な気持ちを、十夜に打ち明ける。

「十夜の気持ちは、すごく嬉しい……ほんとに……っ、けど、十夜の……みんなの、邪魔にだけは、なりたくない……」

 皮膚が引き攣る。胸が苦しい。鼻の奥がつんと痛み、視界がぼやけた。

 原因は、疲労でも寒さでもなく、心の底から込み上げてくる情動。

「ずっと、見てきたから……みんなが、がんばってるとこ……」

 大粒の涙が、ぽろぽろと零れ落ちる。しゃくり上げそうになるのをどうにか堪えながら、怜は精いっぱい言葉を縒って繋いだ。

 この場所で十夜に拾われたあの頃から、ずっと四人のことを見てきた。必死で練習する姿を。上手くいかずにもがく姿を。ライブハウスを沸かす姿を。より良い音を作るために言い合う姿を。

 夢を語らう、眩しい姿を。

「……だから、せっかく掴んだ夢を壊すようなこと……っ、したく、なかったんだ——」

 怜の喉から漏れ出る、叫びにも似た哀声。両手で顔を覆い、その場に膝から崩れ落ちる。

 世界は残酷だ。昨日存在したものが、明日も存在するとはかぎらない。ある日突然、大事なものを、予期せぬ形で奪われてしまう。

 怜はそのことを知っている。痛いくらいに知っている。小さな小さなこの体で経験しているのだ。——二度も。

「……ふっ、うっ……」

 咽び泣く声が、暗がりを静かに揺らす。

 まるで、わずかな灯火が、力なく明滅するように。

「……ったく。オマエってほっとくとどこまでも穴掘って埋まってくのな」

 そんな怜の頭上に、ふわりと落とされた、優しい声。

「なめんなバカ」

 背中に腕を回され、思わず息を呑む。

 慣れ親しんだぬくもりが、耳朶じだを撫でる吐息が、冷えた体を芯から包み込んでいく。

「邪魔なんかじゃない。誰もそんなこと思ってないし、結婚を公表したくらいで、オレの……オレたちの評価は下がったりしない」

 鼓膜に当たる、甘く掠れた声。彼のこの声を聞いていると、どんなに荒れた気持ちも凪いでしまうから不思議だ。

 ゆっくりと顔を持ち上げる。長い睫毛が、ふるりと揺れる。

 怜の目元にそっと口づけた十夜の瞳は、暗い中にもかかわらず、鮮やかな光彩を放っていた。

「オレが今こうして歌えてんのは、オマエのおかげ。オマエが隣にいてくれたから……諦めるなって言ってくれたから、歌い続けてこれた」

「……」

「だから、結婚公表して、今よりもっとずっと近い距離で、オレのこと見ていてほしい」

「……とぉ、や……、っ——」

 堪えきれずに溢れた涙が、怜の頬を滔々とうとうと流れ落ちていく。

 ここに来て声を上げることなくだばだば号泣する怜に対し、「目ぇ剥いたまま無音で泣くとかマジ器用すぎんだろ」と、十夜は声を出して笑った。

 夫の指にきらりと光る、互いのイニシャルを刻んだ結婚指輪。

「帰ろうぜ」

 差し出された手は、掴んだ手は、あの日と同じ。

 狂おしいほど、あたたかかった。

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