第2話 お前はそのままでいてほしい

 休校になった。担任の増田先生が失踪したんだ。

 その電話がかかってきたとき、家には僕一人だった。父さんも母さんもいない。行方不明になったんだと悟った。

 それでも、妙に冷静でいられた。死体が見つかったわけじゃない、と安心さえしていた。もう慣れてしまったんだ。人が消えることにも。時間を戻すことにも。

 濡れた制服を適当に干して、シャワーを浴びて、白いポロシャツとスラックスに着替える。

 なんだかじっとしていられなかった。財布と学生証をポケットに入れて、朝焼けの町に繰り出した。セミは静かだった。止まった世界に放り込まれたようだった。

 風を浴びたくて、海沿いを歩いた。茜色の空が次第に水色へと移り変わっていく。

「お、海星」

 と、目の前から見慣れた人影が現れた。ピチピチのTシャツにジーンズ。

「オウオウ」モリリンだ。「お前も散歩かあ?」

「まあ、そんなところ」

 手を振りながら、彼に駆け寄った。さっきまで一緒にいたのに、長らく会っていなかったかのようだった。

「ちょっくら話そうぜい」

 というモリリンの提案で、適当にぶらつきながら雑談することにした。海の近くは風がうるさいから、ちょっと坂を上って、高校に向かうようなイメージで。

 思えば、モリリンと二人で話すのは珍しいことだった。あいつとサシで会うのは、舞香にも言えないような相談事があるときくらいだ。

 そしてもちろん、舞香に話せないのに僕に話せることなんか、数えるほどしかない。

「お前さ、見た?」

「何を」僕が言う。

「舞香のやつ、蓮を家に連れ込んでいたぞ」

「そっか」少しだけ胸が重くなる。「まあ、シャワーでも貸してあげたんじゃない? 舞香の家、海から近いし」

「これで八回目だぞ。八回目。セックスだろ」

 苦笑しながら「好きにやればいいだろ」と返した。

 察しがついていなかった、といえば嘘になる。舞香のタイムトラベルの特訓に蓮を同行させたのも、まあ、そういう関係なんだろうなと勘づいていたからだ。

 別に問題ない。幼馴染が友人とセックスしたところで、どうとも思わない。

 強いていえば、二人がカップルになったら、もう五人で遊べないかもしれない。それが異様に恐ろしかっただけで。

 それまでは五人で一つだ。二人が交際を打ち明けるまで、僕は舞香と蓮をただの友達として認識することにしていた。

 セックスからが交際だと思っている。だから、「ごめんなさい」の意味で、舞香にハグすることだってできる。

「もしかして、モリリンさ」僕は口角を上げた。「好きな人と友達が付き合っていたから、僕に泣きついてきたのかい」

「そんなわけねえっての」

 モリリンがバシバシと僕の背中を叩いた。

「舞香のことは好きじゃないから。あ、違う、ラブの意味で好きじゃないんだからな。友達だよあいつは。友達。最っ高の友達」

「疑ってないって」

 狼狽するモリリンを眺めるのは、僕の楽しみの一つでもある。

「でも」僕は空を見上げた。「かなり分かりやすいよ、お前」

 隣から、ゴクリと、息を呑むような音が聞こえた。

「モリリンさ。まだ秋奈のこと好きなんだろ」

 大きなため息が空にこだました。あいつなりの、バレちまったのサインだった。

「悪いかよ」すねるモリリン。「でも面食いじゃないぞ、俺は」

「知ってるって」

「声が好きなんだ。声が」

 笑うかよ、と訊かれた。笑わないよ、と返した。

「別に友達の性癖が声だろうが、鞭打ちだろうが、首絞めだろうが。僕は笑わないよ。なんでも好きになればいいじゃん」

「そっちじゃないっての。悪いかよ、っていうのは」

「へっ?」間抜けな声が出る。

「女を好きになることだ。お前、笑うか?」

 あいつは真剣な目つきをしていた。

 僕はといえば、三・四年前の古い記憶を呼び起こしていた。

 昔の僕には――今もそうかもしれないけれど――恋愛に対する嫌悪感があった。それも、可哀想なことに、優希さんにフラれたあとからだった。

 中学生の頃だったかな。生徒会長に立候補した僕は、全校生徒の前で、恋愛に関する大演説を披露したことがある。やれ未成年淫行だの、やれ梅毒だのクラミジアだのと、授業で覚えたての知識を得意げに語った。

 当然先生から説教を食らったけど、中学校は目立ったもの勝ちだったから、結局僕は生徒会長になってしまった。

「まだ、あのスピーチ覚えてるんだ」

 あの中学校時代を振り返りながら、僕は静かに言う。

「人は変わるよ。僕だって、昔より大人しくなった」

「ぬかせ」モリリンが豪快に笑う。「昼休みに学校抜け出してカレー食うやつが、昔より大人しくなったって?」

 言われた通りだ。頬を掻いて誤魔化す。

「まあ、でも。お前はそのままでいてほしい」

 遠くから、誰かが僕らに手を振っていた。女の人だ。

「お前のスピーチがなきゃ、あのままずっと、閉じこもってたんだから」

 歩いていくと、秋奈の姿が見えた。ブラウスとデニムだった。

 腕がはち切れるほど、モリリンが大きく手を振り返していた。

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