第2話 優希さん
伝統と習慣、それに退屈を凝縮したような僕らの町には、唯一の観光スポットがあった。それが「わだつみ博物館」だ。二階建ての役場の隣にある
木造の平屋が多い青葉町にしては珍しく、博物館は五階建てのビルになっている。ビルの博物館というのも珍しい話だ。雄斗が言うには、金城議員による「青葉町にも目立つ高層ビルを」という(ごもっともな!)意見によって建てられたのだとか。
安直な建物だなあ、と秋奈と話したのを覚えている。
「マ、直接は言えないけどさ」
天まで届きそうな博物館を見上げながら、人知れず呟いた。
火曜日の青空はひどく晴れ渡っていて、「いやあ、勉強日和ですね」とかいう増田先生の口癖が聞こえてくる。学校を休んだことに後悔はないけど、本来すべきことをしないというのは、結構体調を悪くするみたいだ。
朝ご飯だって喉を通らなかったし。
「おまたせ」
視界の隅から、ひょこっと舞香が現れた。憂い事を隠すように、僕は努めて明るく「おはよう」と声をかけてみる。
「今日はわたしと海星だけ?」
「そうだね。あいつらはあいつらで、別々のところに行くらしい」
この時代は携帯こそなかったが、固定電話が一般家庭に普及し始めた頃だった。
今朝の七時から八時にかけて、舞香、蓮、モリリン、秋奈の順番で、僕の家に電話がかかってきた。この時間に電話してくれ、と昨日の時点で決めておいたのだ。
「わたしは博物館に行くよ。できれば一緒に来てほしいな」舞香が言った。
「俺は役場に行って、失踪した人の名簿でもパクってくる。ンで全部の家に押しかける。消える前に何をしていたか聞き出してやるよ」蓮が言った。
「蓮に『お前も来い』って言われたから、あいつについていく。一日中、町を走り回ってるよ。ま、野球部時代の練習だと思うことにするわ。任セロリ」モリリンが言った。
「図書館で文献を読み漁りますわ」秋奈が言った。お嬢様の家は裕福だから、電話越しの声が異様に澄んで聞こえた。「過去に失踪事件がなかったか、タイムトラベルがなかったか、歴史的観点から分析しますの。ね、海星、ミステリーには捜査がつきもので――」
途中で電話を切った。秋奈に決め台詞を言われると、なんだか負けた気がするからだ。
と、まあ、各々の得意分野で調べることになった。地道な聞き込みは体力自慢の蓮とモリリン、データの分析と推理は頭脳派、ついでにミステリオタクの秋奈。
タイムトラベルについては、当事者の舞香、そして付き添いの僕。
僕らがRPGのパーティーだったら、かなりバランスがいい。魔王でも神でも難なく倒せるんじゃないかって、当時はそう本気で考えていた。都心部でドラクエが流行っていたのもあってさ。
「優希さんは?」舞香が僕の顔を覗き込む。「体調は大丈夫かな」
「一応話せる状態みたい。電話の声を聞く限り、元気そうだったよ」
よかったあ、と舞香が胸をなで下ろした。ほんの一瞬だけ、建物に影が差した。
僕らが博物館へと足を踏み入れる。自動ドアがウィンと開く。
エントランスは一面のクリーム色で、目の前にはエレベーターなんかが佇んでいる。この博物館だけは、青葉町じゃなくて、神奈川県って感じがする。モリリンの言葉を引用すると、横浜の高級マンションをそのまま片田舎に持ってきた、というイメージだ。
エレベーターの上の数字が、四、三、二、一と下がっていく。チン、という無機質な音がした。お偉いさんが通るかのように、エレベーターの扉はひとりでに開いた。
外と中の気圧差からか。その人のウルフヘアがふわりと揺れた。
この町で、蓮以外でウルフの髪型をしているのは、一人しかいなかった。
「会えて嬉しいよ」
その細い足を包むデニムに、ダボダボの黒いパーカー(夏だというのに!)。僕よりわずかに背が低く、鼻が高くて、中性的な顔をしている。
どこかオーラが違う、ミステリアスで、魅力的な女性。
古賀優希さんだ。
「あんなに小さかった君たちが、もう受験生だなんてね。時の流れは早い。おまけに不可逆なのだから、意地悪なものだ」
「優希さんだって、大学生でしょう。それも二年生。東京都民」僕がクスリと笑う。「こちらこそ、会えて嬉しいです」
「元だよ。元東京都民。あと一年はこの町でゆっくりするさ」
恥ずかしそうに、優希さんが首を撫でた。耳たぶに付いたピアスが照明を反射した。
僕ら二人と長い握手を交わしたあと、優希さんはエレベーター、ではなく入口横の階段を上っていった。彼女が言うには、エレベーターは三階までしか止まらないんだとか。
僕らの目的地は、もっと上の場所にあった。
「ついておいで」
声に誘われて、後を追う。
階段に足をつけるたび、ギイ、と耳障りな音が響く。この博物館も老朽化が進んでいるのだろう。博物館ができて――古賀家が青葉町に引っ越して――今年で二十年になるらしい。ビル自体の寿命は百年かそこらのようだけど、数十年も海風に晒され続けている博物館が、平均寿命まで生きられるかは知れない。
「着いたよ」
五階――古賀家の居住スペースに到着する頃には、舞香はゼエゼエと息を切らしていた。舞香のやつ、運動苦手だもんな。
靴を脱いで、リビングに入ると、優希さんのサッパリとした匂いがした。懐かしいとうか、感慨深いというか、とにかく僕の心を揺さぶる何かが、そこにはあった。
ふいに思い返す。僕はこの場所で、いくつもの時間を過ごした。優希さんは昔から民話や神話が好きで、よく物語を教えてくれたんだ。勉強以外に何もないこの町で、自分の知らないことを学べるのは、とても新鮮な体験だった。
ちなみにこの場所は、僕の初恋が終わった場所でもある。優希さんと二人きりのときに、僕が告白して、ごめんなさいのハグをされた。それだけだ。中一の話になる。
もっとも、断られた理由が「持病の気分障害が悪化して、君に迷惑をかけるかもしれないから」だと知ったのは、優希さんが大学を休学したとき――僕が高三になった春のことだけど。
もちろん、こんなことは覚えなくていい。
「適当に座っておくれ。お茶は出せなくて申し訳ないけど」
ロッキングチェアという名前の、前と後ろにゆらゆら揺れる椅子がある。そいつに優希さんが座った。僕らは二人がけのソファに腰かける。
この居住スペースには、リビング、古賀夫妻の寝室、そして優希さんの部屋がある。優希さんの部屋は完全密閉の扉がついている。気分障害を患っており、よく叫んでしまうため、音を遮断するためなんだとか。
「さて」
優希さんが深呼吸をした。人と話すのは、親御さんを除けば三ヶ月ぶりらしい。
「海星から話は聞いた。舞香、海に溺れたのは災難だったね。だけど、あれだ、タイムトラベルができるようになったらしいじゃないか」
「あっ、そうですそうです」舞香がウンウンと強く頷く。「信じてもらえるか分からないけど」
「信じるさ!」優希さんが両手を広げる。「そうでもなきゃ、大学に入ってまで宗教学なんかやらんよ」
あとから知ったことだが、優希さんの通っていた大学は、どうやら超名門の文学部・宗教学科があるらしい。会ったときから賢い人だとは思っていたが、まさかそこまでとは。
「ついでに、民俗学も守備範囲ね。任せて」
と、優希さんがグッジョブをする。モリリンの次にグッジョブが似合う人だ。
「でもさあ、海星。神道的視点からタイムトラベルを分析するって、君も大概トンチキなこと考えるよね。SFをファンタジーで解読するようなもんだよ」
「ハハ」苦笑する。「だけど、青葉町なら理に適った分析だと思いませんか? 青葉祭だったり、ナカダチだったり、こんな神様神様してる町なんて他にありませんよ。本当に神様の力なんじゃないかって思います」
「ウン、ウン。なるほどね。じゃあさ」
カーテンがわずかに揺れた。優希さんの空っぽの瞳が、ほんのちょっとだけ光った。
「ナカダチが、青葉町以外にも存在するって話から始めようか」
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