第24話 魂


「〈青い雨〉です! 宜しくお願いします!」


――轟、と僕は言葉を終えると同時にギターを掻き鳴らし、サイコも虎徹先輩も当然のように最初の一音に合わせて音を弾き出す。


 互いに合図はない。

 だが疎通がなくても僕達は繋がっている。

 ギターを振り上げてコードを刻み、そんな僕に対抗するかのようにサイコが最前線へと躍り出てベースを縦に構える。


 それは最早、狂気だったろう。

 満面の笑みを浮かべて派手に右腕を振り上げるそのプレイスタイルは誰が見たって普通じゃない。


 だが、こと、それが通用する世界がある。

 それは普段の日常生活には存在しないけれども、今、ここには確かにある。


 僕は腰溜めにギターを構え、眉根を寄せて、掻き毟る程の勢いでギターを鳴らす。

 音はシンプルにディストーション一発。ゴリゴリのラウドサウンドにサイコのド派手でテクニカルなベースが完全に調和する。

 締めるように世界を纏め上げるのは虎徹先輩だ。

 鋭い瞳に狂気を宿し、有り余るほどの膂力を出し惜しみもせず、かといって乱雑とも呼べない丁寧な操作でドラムを叩く。


 一曲目――虎徹先輩が持ち寄った曲で、ハイテンポのアグレッシブなロックだった。


 のっけからベースはスラップで、ギターはコード一発と清々しい程にパワー重視。

 だがこの分かり易さがいい。

 過剰なテクニックは不必要で、ひたすらに熱量でゴリ押すような曲調――最高だと素直に思う。


 そんなイントロに観衆は最初、驚いたようだったが、それでもストレートなサウンドとサイコのプレイスタイルを見て、皆は早々に席を立ちあがる。


「すげえ、おいやべえぞこの女子! なんちゅー派手なやつだよ!?」

「ギターの小僧、いや小僧なのか!? 何にせよゴリゴリだわ、やべえアチィ!」

「ドラムの人もすげー、今ハイハット軽く浮いたぞ! だのに耳に痛くねえし、音も大袈裟じゃねえし、どうなってんだ!」


 僕はその光景を見た。ステージの上で。

 我先にと駆け寄り、詰め寄り、溢れる程の轟音を前にしても構わんとする人々を。


 先まで皆は不可解そうにしていたのに、皆は即座に僕達という存在を理解してくれた。


 それはサイコや虎徹先輩の存在が大きいだろう。

 最早説明する必要もない程にサイコの技量は天才のそれで、虎徹先輩の醸す空気や生み出す音の質というのも異常の域にある。

 そんな二人の存在に僕は間違いなく救われている。


 でも、それでも――僕だって同じだ。


 僕だって二人と肩を並べているんだ。

 二人に助けられるだけの存在じゃあない。


 だから僕はマイクスタンドに接近すると己の存在を誇示すべく、そして煮え滾る程の情熱を証明すべく、歌を紡いだ。


「う、わっ――」

「なんちゅーパワー感だよっ――」


 僕の声質は高域にプラスされる中域に、加速するようなドライブ感が顕著だという。

 その質感というのは自分では分かり難いけれども、サイコも虎徹先輩も、僕の歌を聴いてボーカルに相応しいと口を揃えた。


 未だに実感はないし、付け焼刃にも等しい練習程度では通用するレベルに達していないと思っている。

 けれども先々でもいったように、僕達は技量というのを然程重要視していない。


 そりゃ上手いにこしたことはないだろう。

 下手だと笑われるよりも遥かにマシだろう。

 けど、本当に重要なのはそこじゃない。


 如何に技術を誇れども、或いは持ち前の天稟てんぴんを誇れども、人の心に突き刺さるものというのはもっと単純なものだ。


「すげえ、真っ直ぐな歌だなぁ、おいおいぃ……!」

「圧がやべえ、圧が! すっげえ迫ってくる感じが!」



 〈魂〉だ。



 これが全てだ。


 これがなければ何もかもが糞だ。


 技量を気にするのは当然だ。

 幾度と口にした「音楽は競技ではなく競争でもない」という言葉は実際にその通りだ。


 だが欺瞞ぎまんでもある。

 どうあっても他者と比較するのが人だ。

 優越感や劣等感を持つのが人だ。

 故に盲信的に技量を崇拝する人もいる。

 未熟な人をあざける人もいる。


 それでも、皆、本当のところでは気がついている筈だ。


 何故に大衆に好まれる曲や過去に流行った曲は技量を必要としないような、手軽で安易な曲ばかりなのか。


 簡単なコードばかりだ。

 ベースもルートをなぞる程度のものばかりだ。

 ドラムも単調なエイトビートばかりだ。


 だがそれらは流行った。

 多くの人々に愛された。

 まるで児戯じぎに等しいような楽曲の完成度だろうと皆はそれを欲した。


 ではその理由はなんだ。

 何故に安易で簡単な曲が人心を掻っ攫い、注目を集めたのか――


「魂さぁ! それだけなんだよ! いっそ滲み出る程に過去のそいつらはひたむきだった! だから皆が愛したんだ! そうだろ、アキラぁ!」


 サイコが叫ぶ。

 その内容を聞き取り、正しくその通りだと頷きつつ、僕はサビに入ると同時に全身の毛が逆立つほどの激情を籠めて、張り裂けるようにして歌を叫んだ。


 それに皆は目を見開く。

 場の状況すら無視して飛び跳ねる。

 頭を振り乱し、誰もが思うがままに感情を表現していた。


 堅苦しいものはいらない。

 やれ技術が云々、歴史が云々、あれがどうでこれがそうで――実に糞喰らえだ。


 そんなものは全て掻き消してしまえばいい。


 必要な言葉は歌の中にある。

 大切な気持ちは音の内にある。

 それをどうにかしてでも伝えたいから、どうにかしてでも分かって欲しいから、全身全霊で歌を紡ぎ楽器を奏でる。


 それが全てだ。

 それを願い、数多の気持ちと震える程の魂の猛りを籠めるが故に、それを耳にした聴衆は素直に受け取り、魂の熱を感じるからこそ世の名曲は愛されてきた。


「はは、ははははぁっ、ご機嫌じゃねえかアキラぁ! いいぜ、もっと叫べよ! お前の全力を見せてやれや!」


 虎徹先輩が叫ぶ。

 曲は二回目のサビを終え、ソロに突入した。


 これも難しい内容じゃあない。

 だが僕は僕の抱く熱と魂を以ってアドリブへとシフトし、マイクスタンドを跳び越えるとサイコと同じラインにまで迫る。


 互いは歩み寄るようにして接近し、手の内を見せるかのように竿を抱きかかえた。


「すげー、これで高校生かよ!? なんなんだこいつら!」

「スラップの嵐に速弾き祭りだ、なんて実力を隠してやがったんだよ!」


 大袈裟に、まるで殴りつけるように派手に振るわれるサイコの右腕。

 だが指先は丁寧で程よいタッチ感。

 相変わらずの腕前に賞賛の気持ちを抱きつつ、僕は腰を深く落として左手を縦横無尽に動かした。


 観衆は大きな声で盛り上がり、サイコといえば、いよいよ狂気を全開放すると僕へと更に迫り、ギターのボディへと顔を寄せる。


「いーい風吹いてんねぇ! いいねぇ、最高だぜアキラぁ!」

「サイコも、余裕でスウィープまで挟んじゃってさぁ! 魅せてくれるよねぇ!」


 大声でやり取りをする。それは恐らく最前列の人々に聞こえたかもしれない。


 けどそれでいい。

 それがいい。

 だってライブなんだ。

 ここはステージで、そこで僕等は思うがままの演奏をしている。


 雑音なんて存在しない。

 完璧な音源を欲するならCDでも聴けばいい。

 何せライブとはその言葉のままに〈生〉なのだから、そこで生まれる全ての事柄にはストーリーがある。


 僕とサイコは笑いながらにやり取りをする。

 それに観衆は盛り上がり、背後では虎徹先輩が馬鹿みたいに大笑いをしている。


 ライブ――ライブだ。


 この何でもありで、自由で、感情のみが全てを物語る場こそが、僕が夢に見た場所で、誰よりも熱望した空間だった。


「ラスサビぃ! 気張れよなぁ!」

「サイコこそ! 下手こかないでよねぇ!」

「おいおい走れアキラぁ! ラストだぜぇ!」

「分かってるよぉ! 虎徹せんぱぁい!」


 ソロを終え、僕は最後のサビを叫び散らす。

 会場のボルテージは最高潮に達する。

 皆はサビのメロディに頭を振り、全身で跳ねつつ、僕達を強い眼差しで見ている。

 その光景を見つめつつ、汗を振りまきながらに、僕は我武者羅になった。


 何も誤魔化さない。

 一つとしてだ。

 真剣になるべきだ。

 そして必死になるべきだ。


 例え他者に嗤われても止めてはいけない。

 己の感情や気持ちに嘘を吐いてはいけない。

 さもなければ僕の音楽は嘘でしかなくなる。

 汗も流さず、熱を垂れ流さず、どうして誰かに魂を伝えることが出来るんだ。


 だから僕は叫ぶ。

 つま先立ちでマイクに詰め寄り、怒涛の勢いを以ってサビを歌い終えた。


 その勢いのまま、肩で息をしながらも虎徹先輩へと迫り、アウトロへ突入すると互いは顔を見合わせたままに楽器を大袈裟に操った。


 その状況にサイコまでもが介入する。

 小走りになって迫った彼女はバスドラムに片足を乗せながらに頭をふり、僕達は最後の一打を叩き込んだ。

 そうして適当なアドリブを挟みつつ、ドラムロールを挟みつつ、再度顔を見合わせてキメの一発を打つ。


「うおー、やるじゃねえかお前ら! おいボーカルの子ぉ! 君すげえなぁー!」

「野間さんかっこいいー! なんなの、あんなの女でも惚れるわ!」

「虎徹ぅ! スティックちょーだーい! 投げてー!」


 汗まみれになって、それでも笑みを絶やさぬままに僕達は見合う。


「おい、スティック寄越せとよ、テツコぉ……投げてやれって……ふいぃ……ふぅー……」

「ははは、阿呆なこといってんなよ、センコーの目もあるってのによ……はぁ、ふぅ……」

「あはは、そうですねぇ……はぁー……いいなぁ、楽しいなぁ……」


 冷めやらぬ聴衆は騒ぎ続けていた。


 このイベントに参加する前、あれ程に嫌そうな態度をしていたのに、二人といえば実に気持ちのよさそうな顔だった。

 やっぱり出たことは間違いじゃなかったと思いつつ、僕は今一度マイクスタンドの前に歩いていく。


 皆が湧いたように僕を呼んでいる。

 それにまともな反応は出来ないけれども、僕は普段通りのままに言葉を紡いだ。


「皆さん、凄く盛り上がってくれて有難うございます。僕、今までライブをしたことがなくて、バンドだって初めてのことで。ずっと一人でギターを弾いてきたんです」


 つらつらと思いの丈が零れる。

 感情の振れ幅は既に狂いかけていて、先までの熱狂から大きくひるがえり、今にも涙が零れ落ちそうだった。


 それでも堪えるように、一度、わざと咳払いをして、言葉を再度紡ぐ。


「今、凄く楽しいんです、幸せなんです。バンドを組むことがずっと夢で、それが叶って、こうしてライブも出来て。これ以上に楽しいことなんて他にないって思えるくらいで」


 言葉を紡ぎつつ、僕は観衆を見渡す。


 存外、ステージから見る景色というのはハッキリとしていて、人の顔も分かるし、誰がどこにいて、何をしているのか手に取るように分かった。


 一メートル弱の高低差。

 それが僕と彼等の立つ位置の違いだけども、距離はとても近くて、それを初めて知った僕は全域を見渡し、この会場内全ての人を網膜に焼き付けようとする。


「あ……」


 つい、そんな言葉が漏れてしまった。

 それに観衆は不思議そうだが、僕は取り繕う事もせず、その人物だけを注目した。


(きてたんだ。お姉ちゃん)


 そこに、化け物がいた。


 僅か数十メートルの距離。

 椅子に腰かけ、冷静な表情でステージを見つめている。

 僕の視線に気がついたのか、ステージ全体を見ていただろう視線を僕に集中させた。


 互いの視線が合致する。

 その瞳の内には狂気の色があった。

 まるでいつもの姉らしくはなかった。

 それは品定めするかのような、獲物の質を見極めようとする獣のような雰囲気だった。

 ただ座っているだけなのに、こうして互いの存在を理解すると、彼女の存在感は急に膨れ上がり、不穏な空気すらも生まれたように見える。


「そんな楽しいステージもねぇ、次の曲で最後なんだわ、皆の衆……」


 釘付けになっていた僕に変わるように、サイコが僕へと歩み寄ると言葉を紡いだ。

 皆は声を揃えて嘆くけれども、そんな反応にサイコは不敵に笑い、はっきりといった。


「けど今日が全てじゃあない。まして完成された訳でもない。ここからなのさ、アタシ等ってのは。だからさぁ……いつでも会いにきなよ、皆。アタシ等はそこにいる。いつだって変わらずにそこに、ライブハウスにいるから。だからさ、また会おうぜ、皆の衆……!」


 彼女の言葉に皆はおうと声を揃え、再度湧き上がる。

 その光景に笑みを浮かべつつ、サイコは僕を優しい目で見た。


「怖いかい、あれが。不安かい、アタシ等とじゃあ」


 僕は彼女の言葉を聞いて呆けた顔になった。

 だって分かりきっていることだからだ。

 故に不要にすら思えるやり取りだったけども、それでも僕は、恐らくは言葉を欲しがっただろう、珍しく甘えたようなサイコの胸中を察して、かぶりを振り、強い眼差しで答える。


「ううん、全然。サイコと虎徹先輩がいる。だから……大丈夫!」

「いっひっひ……まったくもって、かっけー奴だよ、あんたはさ」


 照明が落ちる。

 暗転した世界の中、僕とサイコはそれだけでやり取りを終えて、彼女は己の位置へと戻る。

 観衆がざわつく最中に僕達三人は見合う。


 これで終わりだ。

 アンコールも禁止されているから実質はたったの二曲だけど、それでも僕の望んだライブはこれで終わりとなる。


 果たして後に誇れるような出来だったかどうか――それは分からない。

 何せ今はその最中にあるし、最後の曲とはいえ終わっちゃいない。


 だから描く。

 思うがままに。

 あるがままに。

 僕達が僕達であることを証明すべく。


 僕達は楽器を構え、振り上げ、四つのカウントを挟み、一斉に振り下ろした。

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