第17話 始動
「納得いかん、私はまったく納得いかんぞアキラぁ……!」
先の騒動から以降、姉の機嫌は
ことあるごとに僕に文句を寄越し、寝起きから寝入りまで散々な程の恨み節を吐かれる。
「お姉ちゃんが何をいおうが意思は変わらないよ。僕はあの二人とバンド活動をするの!」
「音は聴いちゃいないがな、やはりあの女は気に入らん! 男の子の方はまだまともそうだが、あの小娘は生意気が過ぎる!」
「そんなのお姉ちゃんがいえた義理じゃないでしょ! 元より音楽界の問題児だとか揶揄されるくらい破天荒が極まってるのに、似た気質の人をどうして非難できるのさ!」
「そこは
「自分でいってて情けなくならない? どうしてこんな滅茶苦茶な人柄で人気が出たのか不思議でならないよ……」
「それはあれだ、抑えきれぬ程に放たれる我が覇気と圧倒的なカリスマ性が故だな!」
日曜日の午後、僕の部屋にやってきた姉は相変わらず文句ばかりを口にする。
姉はどうやらサイコが気に入らないようで、虎徹先輩を強く非難することはないにせよ、どうにかして僕からサイコを遠ざけようとする節が伺えた。
「兎に角だ! 今日はお姉ちゃんと遊ぼう! 日がな一日ギターでも弾きまくろう!」
「そうは問屋が卸しませんよ、と……よし、準備完了!」
背後からやってきた姉は、先からいそいそと準備を進める僕に
先のバンド結成から早二日、本日は早速サイコ達とスタジオ入りする約束をしていた。
あの夜に盛り上がった僕達は、やはり音を合わせるのが何よりも手っ取り早いし、行動を渋る理由もないからと、複数の楽曲を課題としてコピーすることになった。
一人一曲を持ち寄る形となったが、存外、僕達には共通する好みがあった。
それは現代ロックシーンの典型的とも呼べるオルタナやミクスチャー、総括してラウドな楽曲だった。
果たして二日程度でどれ程の完成度になるか。
また、各々はしっかり練習してきたのか否か。それが音として浮き彫りになる。
けれど、実のところ不安はなかった。
何せサイコも虎徹先輩もやる気に満ちた風だったし、僕自身もこの二日間に三曲を問題なくコピー出来たから、あれ程の実力を持つ二人が手古摺ることはないだろうし、いっそのこと、どういった形に収まるのかと楽しみが勝る。
「ぐぬぬ……何をそうも浮かれたように笑いやがって、おいアキラぁ! お姉ちゃんよりそいつらの方が大切だってのか!?」
「どっちも大切だけど、お姉ちゃんこそ僕を想うのなら応援くらいしてよ……」
頭上から顔を覗いてくる姉は涙声だが、そんな彼女に呆れつつも答える
「応援はしているぞ! アキラのことはな! だがやはり他の奴等は別だぞ! 特にサイコとかいう小娘はな!」
「お姉ちゃんも、一度だけでも彼女のベースを聴けば納得すると思うよ。それこそ僕が全幅の信頼を寄せる理由も分かってくれると思う」
姉の抱擁から脱出し、僕はギターケースを背負い、エフェクターボードの入ったケースを手に持つ。
久しくフル装備となり、俄然にやる気が湧くけれども、姉は玄関まで後をついてきて恨めしそうに僕を見つめている。
「それじゃあ行ってくるよ。お姉ちゃんも明日からは忙しいんでしょう? なら、今日くらいはゆっくり過ごしてなよ」
「ふん、別に忙しくないぞ! レコを挟みつつ幾らかの取材をするくらいだしな!」
二カ月も家を空けていた彼女だが、その理由は至極単純で、彼女は全国ツアーとして各地を巡る旅に出ていた。
今時は
ましてや超絶の勢いを誇る姉達のバンドがそんな真似をするからバンド界隈は大層賑わった。
存在が大きくなればなる程に行動の幅は限られてくる。
仮に先のツアーを取りやめて、それこそ武道館等の大きなステージで一発のライブをした方が利益は望めるし無理も減る。
だのに姉は「うるせえ全国巡らせろ!」の一点張りで、彼女の我儘に契約会社は苦労をしただろうが、仮に利益的にマイナスの結果になろうとも、彼女等の粋な全国
後々に対する布石だったか、或いは策士の一面もあるのか――勘繰ったような識者は幾らか記事を打ったけれども、我が姉にそんな目的はない。
彼女の行動原理は全て〈楽しいからやる〉だ。
そんな彼女の横暴とも身勝手とも取れる考えに振り回される多くの企業や管理する会社の心労は
兎角、現状、彼女は一週間程度の休息を挟み、明日からは新曲のレコーディングだとか、先の全国ツアーを終えてからのドキュメンタリーだの何だの、様々な取材を控えていて、忙殺されるだろう日々を思うと他人事ながらに気が滅入る。
「全国ツアーで唯一の後悔といえばアキラの卒業式と入学式をこの目で見れなかったことくらいだな! まったく、我がチームといえばまるで一分の隙もないんだぞ! こっそり抜け出そうとしても即座に捕縛されるくらいに私の警備は厳重でな!」
「そりゃ買い食いの果てにライブに一時間も遅刻したり路上で泥酔したり、気分転換に豪遊すればそうもなるよ……」
「豪遊じゃあない! 美味い飯や酒が欲しかっただけだし、普段から頑張っている自分へのご褒美だ、何を咎められる謂れがあるんだ!」
「理由は分かるけどさ、世間からすれば道楽に映りもするんだよ。そこは仕方ないって」
さて、と僕は装備を確認し靴を履きこむと外へ出ようとする。
「あ、おい! 本当に行くのか! こんな哀れなお姉ちゃんを残して!」
「遅くなると思うから、食事は先に食べていいからね。それじゃあ行ってきまーす」
手を掴もうとしてきた姉の手を避け、僕は迷いのない足取りで外へと踏み出した。
「この姉不幸者ー! 帰ってきたら説教だからなー!」
叫ぶ姉を無視して景色を駆け出し、不思議と眩く映る風景を見て、僕は相当に楽しみにしているんだと遅れた自覚を抱く。
果たしてこうも景色は広く見えたかと疑問すら抱くが、その答えはいつも伏し目がちに歩いている僕が真っ直ぐに前を見ているからだった。
「早く会いたいなぁ、二人に」
呟くと同時、間近に迫った駅を見て、僕は浮ついた足取りのままに階段を駆けていった。
◇
スタジオに到着すると既に二人は休憩スペースにいて、僕達は待ちきれないといわんばかりの勢いで予約していた部屋へと雪崩れ込む。
はっきりいえば二人の完成度は思っていた以上だった。
持ち寄った曲のうち、僕と虎徹先輩が挙げた二曲はどちらも有名とは呼び難く、マニア向けだったかもしれない。
音楽通やロック好きからすれば馴染みのある物だったが、大衆受けするポップな空気とは違い、古風なリフと激しいディストーションが聴く人を選ぶだろう。
とはいえ特徴的なサウンドは目を見張る物があって、如何に広く知られないバンドだとしても一度耳にすれば印象に残りやすい楽曲だった。
「いい感じじゃね? 二人共よっぽど思い入れがあるのか知らんけど、やっぱアキラの持ってきた曲はアキラの腕が目立つし、テツコの持ってきた曲はテツコの腕が目立つねえ」
「そりゃまぁ、そうなるだろうよ。つっても流石っつーか、アキラもサイコも二日程度でよくここまで弾けるもんだなぁ。少し感動しちまったわ」
サイコと虎徹先輩は気持ちのよさそうな表情だった。
二人が口にした感想に僕も頷きつつ、やはり二人の技量や持ち前のセンスには脱帽するばかりだ。サイコに至ってはアレンジやアドリブを挟む程の余裕があったらしい。
彼女の実力は恐らく、僕達の中で最も高い。
毎日各バンドの練習に奔走し、その都度に楽曲を覚えるだの練習だのと時間を割き、その実は暇もないくらいに彼女は音楽に浸かる日々だろうと思う。
そんな彼女の腕前や、相変わらずの存在感や説得力を醸す演奏に僕は感無量で、二曲目の演奏を終えた時点で僕の中の満足度はとても高かった。
「でも、やっぱり歌が欲しくなるねぇ、アキラぁ」
「あはは、うん、確かにそうだよね……」
ただ、それだけに惜しいものがある。
現状、僕達のバンドにはボーカルが存在しない。
故の歯痒い気持ちというか物足りなさがあって、極上のサウンドには酔いしれる程の愉楽はあれど、絶頂に迫る快楽には未だ遠い。
「んまぁ地道に探しゃいいだろう、特に焦る必要もねーしな。それともさっさとライブしたかったかよ、サイコ?」
虎徹先輩の言葉に半ば頷きつつも、内心では僕も歌が欲しい気持ちがあった。
歌――こればかりはもう、本当に、生まれ持った物だろうと思う。
僕にとって歌というのは身近でもあり、同時に遠い物でもあった。
歌だ。
彼女の歌声はそれこそ奇跡的なものがある。
元より人の放つ声量の粋ではないと幾度といったが、彼女のパワー感は普通とは一線を画す程の異常なものがあり、また、彼女の表現力といえば、例え生中継の状況であろうと当然のように涙を流すし
その臆面のなさと当然のように放出される感情の数多を、或いは魂と呼ぶことも出来るだろうし、人の持つ情熱の全てだとも呼べるだろう。
つまり、彼女は魂と呼ばれるような、情熱という言葉が形を以って呼吸をする生物であり、故の化け物的な存在でもあり、世を席捲する程の圧倒的な存在感を醸していた。
そんな姉を持つ僕だからこそいえるが、やはり歌は重要だし、如何に楽器隊のみで形成されるバンドが心地よく気持ちのよいものだとしても、ボーカルパートの存在する楽曲というのはどうあっても歌が必要だし重要視される。
「とはいえお前を頷かせるボーカルなぁ。誰かいい奴いんのかよ?」
「難しいねぇ……幾らか候補はあれども、アタシ等に合うかどうか、なぁ……」
「やっぱ技量のある奴がいいのか?」
「いやぁ、そんなもんはどうでもいいよ。アキラもそうだろう?」
唐突に水を向けられて僕は戸惑うけれども、しかし彼女の言葉に頷く。
「うん。上手いとか下手とか、そういうのはどうでもいいかなぁ」
「だよなぁ? こう、ぐわーっと、ごばーっとくる感じの奴がいいんだよなぁ」
「感覚的にいうなよ、分かりづれえ……まあ何となく伝わるけどよ」
技量を問われた際、僕は実際問題として、それが歌であれ楽器であれ、上手いとか下手なんてものは然程重要視しない。
確かにサイコも虎徹先輩も技量は歳に見合わない程に優れているし、その経験からくる説得力や存在感というのは無視出来ない程だ。
けど僕は、そういった物で二人とバンドを組みたいと思った訳じゃない。
サイコのプレイスタイル――正しく化け物が荒れ狂うように荒々しい様子だが、しかしそれとは裏腹に安定した音の出力に繊細な指先の操作から彼女の人間性を感じられて、こんな格好良くてイかした人とバンドを組めたらどれだけ楽しいだろうかと思った。
虎徹先輩のプレイスタイル――圧倒的パワーを持ちつつもそれをひた隠し、ともすれば惜しみなく、そして自信満々に叩く姿が特徴だ。
しかしそれを差し置いても彼の他者を
つまり、僕にとって、バンドというのは人間性が大前提にくるものであって、技術なんてものは二の次だった。
何せ人と人とが同じ目的を持って活動するのだから、如何に優れた技量を持つ人間であれ、それが自分とは相容れない性格だったり、違う精神性を持つ人物であったなら、そこに喜びは生まれない。
或いは互いが譲歩するだとか、どうにかして歩み寄ることをすればいいかもしれないけれども、それはシンプルにいってストレスだし、無理を強いるような関係性に信頼は本当に生まれるのかという疑問すらある。
だから、僕にとって技量は最重要の位置にはない。
上手、下手なんてものは結局、個人の次第であって、仮に現状は拙いレベルだとしても、本当に好きな人と行動を共にするとなったら自然と活力は漲るし、どうにかして追いつきたくなって練習に身が入るものだろう。
「とはいえ、このバンドは個性が強すぎて気の合う人が見つかるのかも難しいのかなって」
「おいおい、そうでもねーだろ? 寧ろ分かり易い性質じゃね? 頭がパーで、何を差し置いても音楽、音楽、音楽って感じの奴なら大歓迎だよ」
「いやお前が一番の問題だろうが。普通に考えてだぞ、お前みてーな見た目ギャルが五弦でド派手なスラップかまして鬼のように暴れまくりゃ、大抵の奴は怖気るか身を引くわな」
「あ? そりゃあんたも同じだろうがよ、テツコぉ……見た感じ強面の、しかも厳つい益荒男じみた大柄な野郎がドラムをぶっ叩いてんだぜ、そんなの大衆はビビって逃げるわ」
「誰が金剛力士像だボケ。こんだけスマートに叩いてんだ、どこにこえー要素があんだよ?」
「誰もそんな風に呼んじゃいねーよ! つーかどこがスマートだ、熊みてーにガッツリとドラムに張り付いて叩いてりゃ普通にこえーわ!」
「ま、まぁまぁ二人とも。兎に角、ボーカルは追々探すとして、今はこれで十分だから……」
そういいつつ、僕はちらり、と傍にセッティングされてあるマイクを見る。
誰もそれの前に立つことはないにせよ、サイコはこれを自然とセットした訳だが、彼女はもしかしたら思った以上に歌う人を求めているのかもしれない。
そんな彼女の深層意識に触れたからか、僕はマイクスタンドを見て、次いで自分の足元を見て距離をはかる。
結構、すぐ近くにそれはあるけれども、何だか近寄り難い感じもして、結局、そこは空白でしかなかった。
果たしてここに立つ人物は誰になるんだろうかと、そんなことを思いつつ、僕は二人が未だに言い争っている光景に視線を移す。
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