二章11話「翼竜の巣」
「雪乃──! どこにいるんだ──!」
全身を黒く覆ったローブを被り、無限にも思える洞窟の先に呼びかける。
その声はただ虚しく反響した。
「おい! どこにいるんだよ! 雪乃!」
虎雄はドローンカメラの存在も忘れて、妹を呼ぶ。
仮面に表示されたコメントは、いまだに、『下層深部で、妹は待っている』という文字が荒らしのように羅列されていた。
虎雄は大迷宮中部一層〈翼竜の巣〉に辿りつく。
全体的に瘴気と湿気が包む薄暗い場所で、翼竜の奇怪な鳴き声がその不気味さを増していた。
視界に捉えただけでも、人間ほどの大きさがある翼竜が天井付近に飛び回り、地鳴りと共に赤い瞳が闊歩する。
「これを抜けてこいってことか……」
不安を口にした虎雄は、上空からの敵意に天井を仰ぐ。
ガアアアア──!
けたたましい鳴き声と共に、小型の翼竜は、その黒い羽を羽ばたかせる。
そして地鳴りと共に歩いていた赤い瞳が、こちらを見た。
「気付かれた──!」
虎雄は、腰の短剣を構えて、岩陰に潜む。
翼竜の鳴き声は止まず、地鳴りは徐々に近づいてくる。
カバンを漁ると虎雄は日夏のレポートを取り出す。
ここに出現するモンスターの情報がないか、確認するために。
(どこにもない……。中層の情報が一切ない……)
日夏が大迷宮に潜ったのは、上層までだった。
レポートに記載されているのは、上層の神秘の森の情報のみ。
サラマンダーラビットや、ゴブリンの情報は記載されていても、ドラゴンやワイバーンといった大型モンスターの情報はどこにもない。
(赤竜よりも、デカい……?)
瘴気に隠れるその巨体は影で虎雄をすっぽりと覆い隠す。
見る限り赤竜よりも大きいと感じた。
「……?」
たゆたう瘴気が突如、目の前の化け物に集まり始める。
余計に姿を確認しづらくなり、虎雄の苛立ちは募っていた。
(どうやって通り抜けていきゃあいいんだよ!)
唇を強く噛み締めて岩陰で息を潜めるが、焦りは大きくなっていくばかり。
竜は体の大きさがそのまま戦闘力に直結しているらしい。
それは蛇やトカゲ、ワニといった爬虫類と同じで、脱皮するだけ大きくなっていく。
竜がダンジョン中で大きさを保っているということは、それだけ老齢であることを示していた。
すると瘴気が晴れていく。
「なんだ、あのデカさ……」
赤紫の毒々しい鱗が全身を覆い、航空機を思わせるその巨躯は、幾度とない戦いの傷を残している。
息を吸って吐くだけで地鳴りが起こっていた。
地を這うその姿はどこかトカゲを思わせるが、その大きさが別の生き物だと物語っている。
鱗からは同色の溶液が漏れ出して、地面を削る。
「一撃喰らえば死ぬ……。またこんな戦いかよ」
その特徴を見て、虎雄は瞬時に相対する竜が、毒を持つモンスターだと察した。
毒竜は、動くこそ遅いが、身にまとう毒溶液と堅牢な鱗で歩く要塞のようだ。
毒竜以外にも、数頭のドラゴンが見える。
迂闊に動くこともできず、岩陰に隠れてやり過ごすしかない……。
そう考えた矢先だった。
ガアアアアア──!!!
頭上のワイバーンが、けたたましい鳴き声で、虎雄の頭上を飛び回り始める。
「クソッ!! あのワイバーンからやるしかない!」
ガントレットに火炎石を二つ装填する。
それから、岩陰から真上に向かって、トリガーを引く。
「【
頭上に放たれた火炎は、ワイバーンに当たると爆散する。
ギャァァァアア──!!
悲鳴を上げると、二頭目のワイバーンに助けを求めてしがみつく。
するとけたたましい声は、怒鳴り合いに発展した。
虎雄への注意が緩いうちに、もう二つ火炎石を装填し、同じように発砲する。
「オラァッ──!」
生き残りのワイバーンは、助けを求めてきた個体を蹴落として、虎雄に視線を向けた。
ガアアアア──!!
鳴き声と共に、真上から急降下してくる。
「ヤベェ──!!!」
虎雄は、その攻撃を避けるために、岩陰から離れた。
それからハッとして毒竜へ目を向けると、喉元を大きく膨らませる姿が見える。
ドラゴンのその予備動作に覚えがあった。
赤竜の火炎ブレス。あれは、火炎袋に集約した熱気を放出するため、一時的に喉元を大きく膨らませていた。
「……まじ、か──!」
高圧水流のような一閃は、虎雄の真横をすり抜ける。
直撃した岩壁は抉れてドロドロと溶け始めた。
地面を強く蹴り上げて飛び上がると、直滑降してくる翼竜へ、短剣を振り抜く。
着地と同時に、近くの岩陰に再び身を潜めると、毒竜の動きが止まる。
ワイバーンのけたたましい声は消え去り、毒竜は制止していた。
(もしかして、見えてないのか?)
虎雄は岩陰を渡りながら、毒竜の近くに寄っていく。
すると、毒竜は鼻から瘴気を吐き出しながらピクピクと動かしていた。
そして頭を左右に振っている。
大きさのあまり視野が極端に狭くなっている。それを補うようにワイバーンの敵感知と瘴気で周りの状況を判断しているようだ。
虎雄は、至近距離の魔石砲なら通るかもしれない、と考えて駆け出した。
「見えても反応できないだろっ──!」
ガントレットに魔石を装填。
そして、トカゲの鼻先に、光源石を用いた魔石砲を繰り出した。
「【
薄暗くじめついた洞窟を強烈に照らしたその光は、毒竜の視力を奪い去る。
同時に感覚器を鈍らせたようで、ジタバタと暴れ始めた。
「今のうちに──!」
虎雄は駆け出し、竜の巣を抜ける。
どうやら他のドラゴンも、突如現れた光源にやられたようで、暴れ始めた。
その足をすり抜けて、直線的に走り抜けると、通路に出ることができたようだ。
「この先は……──!」
視界の奥に、ゴーレムの時と同じ鈍色の門が見える。
オズマンが何者なのか分からずに、この先に行っていいのか。それすら判断がつかない状況。
でも今は下層に雪乃がいる。
「行くしか、ない……な」
虎雄はゆっくりと鉄の門に近づく。
そうして、左手で触ると、ひんやりと冷たい感触と、鉄特有の匂いが鼻をツンと刺した。
瞬きをすれば、もうそこは、先ほどまでの場所とは違っていた。
「……人?」
今まで通りのボス部屋。吹き抜けた洞窟で湧き水がチョロチョロと流れ出ている。
円形のフィールドで、中心には女の子がポツンと立っていた。
声をかけることはできない。
ダンジョンに迷い込んだとしてここまで深い階層女の子一人で来られるわけがないのだ。
「あ、あア。こここ、コンにチわ……。にんゲンさん」
声色も少女そのもの、でも言い表せない違和感に怖気が走る。
長い黒髪が腰あたりまで伸びた背中をこちらに向けて、言葉を続けるのだ。
「こわこわ、コワがらないデ……。オなじ、にンゲん。だか、ラ」
拙い日本語、それ自体が不気味なわけではない。
壊れた音声アシストのような、また、機械人形のような話し方に、とてつもない恐怖を感じていたのだ。
話しかけられるたびに、背筋を寒気が駆け抜けていく。
虎雄は返答することができずに、立ち尽くしていた。
「エ? こワがらない、で?」
自ずと足が後ろに下がっていく。
少女が何者なのか、などどうでもいい。
今すぐここから立ち去りたい、そう思った。
「どう、シたの? ニンげんサン?」
言いながら彼女は振り返る。
生まれたままの姿、と言っていいのか。
上半身は人、下半身は鱗で覆われている。
太い尻尾がぶんぶんと振られて、赤い三白眼がこちらを見つめていた。
「……お前は、なんだ?」
虎雄は恐る恐る口を開く。
ボス部屋にいる以上、彼女は間違いなくモンスター。
それでも話が通じて戦闘を避けられるなら越したことはない。
「あタシ、わ。セナ……。かメイは、なイよ」
虎雄は短剣の鞘に手を当てて、腰を落としながら、質問を続ける。
「セナ、お前はなんだ? 人か? モンスターか?」
すると、少女は首を傾げてから、鋭い犬歯を見せて笑う。
「にんゲン、だよ……。こんナに、なっちゃッタけど」
それから自分自身を蔑むように言った。
もしかしたら、話し合いで通してくれるかもしれない。
虎雄は、そんな淡い期待を胸に抱いて訪ねた。
「ここを通して欲しい。下で妹が待ってるんだ」
「エェ? もうスコし、おハナシ、シタかったノニ……」
しょんぼりと肩を落とす彼女が、あまりにも人間のようで、虎雄は少しだけ緊張感を緩めていた。
小さい頃の雪乃のようだったから。
七歳なのに、日本語を話せず、兄さん兄さんとついて回ってきたそんな雪乃を見ていたからか、この少女にすら、情が湧き始めたのだ。
「わ、わかった。少しだけだ……。ほんとに少しだけ」
虎雄が言うと、少女は赤い瞳をキラキラとさせて答える。
「ホンと?? イイの?」
コクンと頷き、他愛もない話をした。
少女は花が好きで、モンスターが嫌い。暗いところが苦手で、温かいものが好き。
リュックサックから取り出した携帯食料のクッキーを美味しいと言って食べる彼女は本当に人の子のようだった。
でもそんなちょっぴり幸せな時間は、一瞬で消え去ったのだ。
地鳴りと共に、ホールが崩れ始める。
少女はビクビクと震えながら、虎雄に抱きついてきた。
「……コワい。タスケて、とラオ……」
虎雄はぎゅっと彼女の肩を抱く。
すると、鉄の門を何者かがこじ開ける。
そこには、漆黒の竜が、こちらに殺意を向けていた。
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