全力で走る街のポエジー

@naritacollective

背筋に牛タンの気配

まあ、俺はラーメンを作ってお客さんからその対価をもらっている、所謂ラーメン屋なわけだけれども、俺のラーメン屋の様子が最近おかしいんだ。


まず、前提として俺のラーメンスタイルについて紹介したい。俺のラーメンスタイルはいたってシンプルなつけ麺スタイルだ。はっきり言って大勝軒なんだ。別に大勝軒で修業したわけでもないし、大勝軒で修業した後に独立した人のお店で修業したわけでもない。とにかくネットで「大勝軒 スープ レシピ」と検索して出てきたレシピを端から端まで家で作ってみた。もちろん最初は大勝軒の味じゃあなかったよ。でも自分でスープを作り、その違いを確かめるために大勝軒のスープを飲み、その違いを言語化し、その違いが何によって生み出されているのか、必死に研究した。


なぜそんなことが可能だったか、今になってもわからない。ラーメンの神様が、いや、大勝軒の神様かもしれない。大勝軒の神様と言えば、あの創業者のおじさんだろうか。あの人は生きているのか…?生きているなら神様じゃないな…じゃあ、大勝軒の神様っていうのは最初から矛盾しているわけだ。しかし、当時の俺はそんな矛盾には気が付かなかったよ。


そして、ある日たどり着いたんだ。絶妙な火加減、熟成加減、特別なタレに含まれる成分の完璧なバランス、すべてが大勝軒のスープだった。その夜、あまりの眩しい現実を前に俺の頭はぱっくり二つに割れたね。ただの水でしかなかったその液体に、複数の動物的・植物的な本質そのものが溶け出して、つまり出汁になって一つになり、地球が生まれてからその球体全域に偏在した数多もの物質を包むような、それ以外の形では決して存在そのものを一瞬たりとも自ら保持できないような、そんな、そんな液体があったんだな。


こんな奇跡に祝福された人間が、それを他人に広めないのは現世における罪である。罪であるよなぁ。俺は元来、人に優しいんだ。


麵の方はチョロかった。とういうか麵に関してはどうでもよかった。大勝軒のお店にある麺が格納された箱に製麺所の名前が書いてあり、そこに電話をすればいい。今すぐ件の麺を毎週100玉納品できるように手はずを整えてくれ。電話一本で解決できることはそれで済ませるのがいいんだ。


まあでもこのままだと本当に大勝軒のラーメンになってしまうので、それはいけないと思い、再び知恵を絞った。絞りに絞った結果出てきたのは、牛タンだった。


牛タンラーメン


うん、聞いたことない。どこかにあるかもしれないが聞いたことがないので、よしとしよう。しかしこの牛タンラーメンってのがどうも今引き起こされている面倒につながっている気がしてならない。


牛タンっていうのはまあだいたい、焼肉において薄く切られているか、仙台の名物であるようにブロックのような形で存在しているわけだけれど、牛タンそれ自体が取りうる形の可能性はもっと複雑にあるわけで、そんなことは火を見るより明らかで、しかしその火を見るより明らかであることに、多くの人は手を出していないわけで、そのギャップみたいなものが、差異を産んで利潤を生むというのがこの現代社会というか、恥ずかしげもなく言っちゃうと資本主義ってわけで。そこに目を付けた俺のラーメンが、一定の人気が出るのは当然っていうか、必然っていうか。


で、やっと本題に入るわけだけど、俺の牛タンラーメン屋に1か月前から学ランの中学生がたむろするようになったのね。


最初は日曜のお昼にさ、家族3人でラーメンを食べに来たお客がいたわけ。で、俺はその家族のことをすごく覚えていてさ、子供の身長が2mくらいあったわけよ。で、それだけならまだしも、せいぜい両親の身長は160㎝くらいだったわけね。さすがにそれってさ、なんかおかしいっていうか、自然の摂理ってやつがあった時にちょっとそこからズレてるよなって反射的にほとんど神経の痙攣みたいなレベルで感じたわけ。あ、でも養子だったり、そのいろんな可能性があるから、もちろん文脈を作ってその現実が現実であることを認める手続きだって想像できるわけ。


でもその日はそれだけ。とかく記憶に残ったのと、俺が焦りすぎて麺を茹でるときにタイマーを押し忘れてしまって、やっぱ俺って麺に興味ねえんだなって落ち込んだことを覚えてるのね。


で、その2mが、次の週の16時くらいに学ラン着て、友達ときたわけだ。で、そこで初めてそいつが学生であることを知ったわけで、連れ合いの友達が明らかに中学生、しかも中学1,2年の風貌だったから、じゃあ推論としてはこの2mも中学1,2年になるわけだ。だって二人はタメ語だったし。


もちろんリピーターってのは重要で、その存在にお店は助けられて存続できるわけで、だからどんなお客さんだって2mだって中学生だって、お金を払ってくれるなら平等で、それでいいはずなんだけど、どうも俺は”背筋に牛タンの気配”(牛の舌で舐められるの意)を感じたわけだね。


で、その二日後くらいに今度はその2mが学ランの友達を4人連れてきた。うちのラーメン屋は二名掛けのテーブルが二つに、カウンターが8席なわけだから、5人で来るとテーブルには案内できず、カウンターを5席占領することになる。ラーメン屋の商売は薄利多売なので回転率が重要であり、そのようなビジネスにとって回転率が命である。ここでひけらかすようなことはしないけど俺はこの回転率にこだわっている。回転率の状態を示す独自の指標を開発し、スープの研究と同じくらい熱を注いだ。


そんな俺の黄金の回転率方程式を崩す唯一の敵が5人以上の客の訪問だ。その時点で俺の”背筋に牛タンの気配”が正しかったことが証明された。


ラーメンが着丼する前に2mは一番端の席に陣取って仲間に熱っぽく説いていた。


「まあさ、ゆっくりしていってよ。広い場所じゃないけど、決して居心地は悪くないからさ。トイレも結構きれいで、あの便器の中に泡が溜まってるやつなんだよ。ここのラーメン、めっちゃうまいから、この前、タケローを連れてきたら、あいつグルメでラーメンにはうるさいだろ、あいつ喜んで2杯目突入しちゃってさ。あいつが2杯目行くのってどれくらいすげーかわかるよね?とにかくここのラーメンはさ、スープは完全に大勝軒でさ、麺は店の奥を見るとさ、あ、お前らは立っても見えないと思う、俺の身長でギリ見えるくらいだから、まあ、奥を見るとさ、大勝軒が麺を取り寄せてる製麺所と同じなんだよね。でもここの店主は大勝軒で修業してたとかじゃなく、インタビューとか読むと、脱サラでいきなりこのお店始めたらしくて、だから結構胡散臭いっていうか、ラーメン界って広いようで狭いみたいなところもあって、暖簾分けみたいなところを意外にしっかり重んじてるから、こういうことすると同業者に嫌われたりするんだよね。」


そうなのか…


「でも、このお店をギリギリのところで、ラーメン屋足らしめてるのが、まさに牛タンでさ。お前ら牛タン食べたことある?牛タンっていうのはさ、大きく分けて2パターンあるわけ。一つは焼肉の時に薄く切られてるって時と、もう一つは主に仙台でブロックみたいに出てくるのね。でも、ここの牛タンはその二つとは完全に異なる路線、第3の道、オルタナティブなのね。そうやって牛タンの可能性自体を切り開いたってこと一点のみでこのお店は、ラーメン屋として繁盛している、まさにねじれているのね。そのねじれの珍妙さが、店主の奇妙な経歴と空前のマリアージュを遂げているわけね。いうなればさ、僕が前教えたRadioheadにね、ロックにエレクトロやジャズ・アンビエントを混ぜ込んで、あくまでバンドサンドとしてのアウトプットにこだわったKID Aという名盤があってね、まさにそういうことをしてると思うんだ。っていうことをさ、この前、ユミチャンと休日にデートしたときに話したっていうかさ、まあ親もいなかったから自分の家に呼んで、大音量でそのKID Aっていうアルバム、全曲聞いたんだよね、そしたらユミチャン泣いちゃってさ~」


こいつ、いまなんて言った?ユミチャンって葛城由美のことか。それは俺が中学生の時に付き合ってた子じゃないか。俺はRadioheadが好きだ。KID Aが好きだ。進歩的な音楽を聴いている自分が好きだった。


でも、俺はユミチャンにRadioheadを聞かせたりしてない。そんなことしない。


ああ、思い出した。俺は嘘をついたんだった。自分が進歩的な音楽を聴いている、文化的に進んだ人間であることをアピールして、つまらない称賛を得て、思春期特有の自意識を慰めていた。そんなことをしても何にもならなかった。みんな嘘だとわかっていただろうよ。


俺の身長はその時2mを優に超え、ラーメン屋の天井を突き抜け、20年以上前にそのラーメンで皆が退屈そうに俺の”ボースト”癖を受け流しているのを見る。


気づいたら俺は草原にいた。その草原は全体的に霧に覆われていて、遠くを見渡すことができなかった。ただ目の前に長いブーツを履いた女がいた。女は白のワンピースを着て、黒の毛布で体をすっぽり包んでいる。彼女は斜め下に伏目がちな視線を送っている。俺と目が合わない。


その奥の方に一頭の牛が見えた。牛は向こうを向いて立っていたが、俺が女からその牛へと緩やかに意識をスライドさせると、それに気が付いたようにこちらを振り向き、その長い舌を、そんなに長いことなど誰にも悟られていないような長い舌を、できるだけ前に突き出して、歯茎をむき出しにして、鼻息荒く笑うのであった。

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