〝自由科刑〟

夕藤さわな

第1話

「臓器を摘出するというのは妥当な求刑になるでしょうか」


 車椅子の肘掛けに寄り掛かってどうにか座っている状態のやせ細った少女が力ない声で裁判官に尋ねた。

 頭部全体に包帯が巻かれていて目と鼻の穴と口だけが見えている。髪が少ないのは包帯の下に隠れているからではない。およそ一か月の監禁と暴行によるストレスで抜け落ちてしまったからだ。監禁場所から逃げ出し、近隣住民に発見されて半年が経った今も心身の傷と共に回復には程遠い状態だ。


 罪に対する求刑として臓器を求める。

 そこだけを切り取って聞けばぞっとするが、裁判を傍聴し、少女の姿を見た人々の印象は妥当、あるいは軽いくらいだ。


 この裁判では略取りゃくしゅ誘拐、監禁、強姦、暴行、殺人未遂の罪が審理されている。犯人は六十八才の男。被害者は十六才の少女。センセーショナルな事件ではあるが世間の注目を集めたのは導入が検討されている〝自由科刑〟のテストケースだからだ。


 20XX年――。

 時間遡行そこう――過去へのタイムトラベルが可能となったことにより冤罪はありえなくなった。これにより刑事事件における法廷は罪を立証して量刑を決める場ではなく、ただ量刑を決める場へと変わった。


 量刑を決めるプロセスも変わろうとしていた。

 これまでは裁判官が法律や判例に基づき、法定刑の範囲内で量刑を決めてきた。しかし、冤罪がありえなくなった以上、被告人は間違いなく加害者で、被害者は間違いなく被害者なのだ。

 で、あるのならば被害者や被害者遺族の感情を、意見を、もっと重視して刑を決めるべきではないか。


 そこで提案されたのが〝自由科刑〟だ。

 被害者や被害者遺族が求刑内容を示し、検察官と弁護士がそれぞれの立場から意見し、裁判官が妥当であるかを判断して量刑を決めるのだ。

 とんでもない求刑がなされるに違いない。裁判官が言う〝妥当な量刑〟で納得する被害者や被害者遺族がいるわけがない。

 ネガティブな意見が多い中、テスト的に行われたのが今回の裁判だ。


 通常の刑事事件と同様に公開裁判で行われたため、傍聴席の抽選券を求めて多くの人が殺到した。運良く傍聴席に座る権利を得た人たちは初め、野次馬的根性なり学術的興味なりに身を乗り出して裁判の行く末を見守った。

 ところが検察官が起訴状を読み進めるうちに多くの傍聴人が表情を曇らせ、口元を手で覆い、中には途中退室する者も出た。


 犯行内容のごく一部を書き記すなら次の通りだ。

 ゴルフクラブで全身を殴打する。エアガンで撃つ。ろうを垂らして顔面を覆い、火のついた蝋燭ろうそくを立てて放置する。飲料パックに排尿させて飲ませる。性器や肛門にビンを挿入し、中で割る――。


 保護された時、少女の顔は腫れ上がって変形し、ほとんどの歯が欠け、ほとんどの頭髪が抜け、性器と肛門は繋がっている状態だった。


「臓器を摘出するというのは妥当な求刑になるでしょうか」


 そんな状態で生き延びた少女から裁判官に投げかけられたのが先の問いである。答えようと口を開いた裁判官だったが――。


「臓器の摘出なんてなまっちょろいこと言ってんな! 死刑だ、死刑!」


 法廷内に響いた野次に遮られてしまった。


「傍聴席の方は静粛に」


 注意されて舌打ちしたのは少女の父親だ。大きな音を立てて椅子にふんぞり返り、腕組み足組みする父親をひと睨み。裁判官は少女に向き直った。


「臓器を摘出することによって命に関わる場合は妥当とは言えないと私は判断します」


「精巣の全摘出です」


 即座に返ってきた答えに裁判官は目を伏せた。少女が受けた暴行は臓器を含めて全身を傷つけるもので、子宮の摘出も余儀なくされた。精巣の摘出を医師の手で行うのなら妥当でない、とは言えないだろう。

 むしろ――。


「軽いくらいじゃないか」


 傍聴人の誰かが呟いた言葉は裁判官の耳にも届いた。同じことを考えていたからこそ耳にまったのかもしれない。

 少女はといえば痛みに呻きながら顔を右に向ける。そこには刑務官二人に付き添われた被告人がベンチに腰掛けていた。衝立に遮られて少女の目には見えないはずだが規則正しい金属音は聞こえているはずだ。

 ベンチに腰掛けてからずっと、被告人は俯き、体を前後に揺らし続けていた。金属音は手錠の音だ。被告人の口元は引っ切り無しに動いている。何を呟いているのか。裁判官にも傍聴人にも聞こえない。隣に座る刑務官には聞こえているだろうか。

 あるいは少女の耳には――。


「心神喪失で無罪を狙ってやがんだ! 演技だよ、同情なんかしてんな!」


 再び響いた野次に裁判官は眉間に皺を寄せた。野次のぬしはまたもや少女の父親だ。被告人を気にする娘を見て同情していると思ったのだろう。


「傍聴席の方は……」


「へえへえ、静粛にしますよー」


「……時間遡行により犯行当時を確認できるようになった現在、法廷で心神喪失状態を演じることに意味はありません。犯行当時、そうであったかを確認、心神喪失が適用されるかは事前に被告人に通告してあります」


「そうは言ったってこの自由科刑ってのは被害者と被害者遺族の〝お気持ち〟で決まるんだろ? じゃあ、やっぱり同情買ってなんぼじゃねえか」


 粗暴な父親の言動に眉間の皺を深くした裁判官は深呼吸を一つ。改めて少女に目を向けた。


 加害者がそばにいる、同じ建物にいるというだけで被害者にとってはかなりのストレスのはずだ。少女の出廷日は被告人は出廷させないか、別室で待機させるつもりだった。

 だが、少女は首を横に振って言ったのだ。


「いえ、大丈夫です」


 と――。


 衝立一枚を挟んですぐそばにいる被告人の存在に被害者である少女は気が付いている。被告人の方は少女の存在に気が付いているのだろうか。虚ろな目で自身の手のひらを見つめて体を前後に揺らし続けている。

 衝立越しで見えないはずの被告人を見つめて少女は言った。


「この人には……これで十分です」


 傍聴席から聞こえた〝軽いくらいじゃないか〟という言葉に対する少女なりの答えだ。

 そして――。


「あと二つ、質問いいですか」


 少女は顔をわずかにあげてそう言った。

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