第5話 夕暮れの霊場



『ピンポーン』



 昨日訪れたお坊さんの家の前で、私は数回インターホンを鳴らし続けた。バイトの都合上、また夕暮れ時になってしまった。十回ぐらい鳴らしたが、とうとうお坊さんは出てこなかった。そろそろ諦めて帰ろうと思った時であった。



「あの、佐々木さんのお宅に何か?」



 背後から聞き慣れない若い男性の声が聞こえた。振り向くと、そこには、昨日いたお坊さんとは別の若いお坊さんが立っていた。



「こんな時間帯に珍しいですね。あの、何か御用ですか?」


「ああ、私、川鵺菊子の孫です。昨日、夕方にこのお家のお坊さんとお話ししまして。私の祖母のお墓が荒らされてたとかで相談したいって……」


「え……」



 若いお坊さんの顔が青ざめ、しばらく黙っていた。何か変なことでも言ってしまったのだろうか。



「どうされたんですか?」


「あの……佐々木さんなら、2年前にお亡くなりになられましたよ?」


「は?」



 彼の口から信じがたい言葉が出て来た。



「え、昨日会ったんですけど……」


「確かに亡くなられています。そこのお家も、もう空き家で今は誰も使ってません。もうすぐ取り壊すつもりなんです……。ご家族も、あの件があってからお引っ越しされてしまったみたいですし」


「あの件……」


「はい。あぁ、ご存知なかったですか。僕の先輩なのですが、数年前から精神を患っていたんです。成す術もないまま、そのお家で首を吊って亡くなったんです。確か、客間の方で……。本当に急で、びっくりしましたよ」


「そんな……」



 一瞬、これは夢なのではないかと疑うほど、昨日の出来事を鮮明に覚えていた。だとしたら、お坊さんと出会ったこと、そしてあの電話から水が漏れていたのも、全て幻を見たということなのだろうか。

 


「そもそも夕方になると私は帰ってしまうので、普通はこの時間は誰とも合わないはずなんですけどね……。今日は少し遅くなって、ちょうどお勤めが終わって帰るところでしたので。昨日は一日お経あげに出ていたんです。あまり広くないですから、普段ひとりで管理しています」


「じ、じゃあ、私が……見たのは…………」



 完全に取り乱していた。私が混乱していることに気がついたのか、お坊さんは私のところに歩み寄った。



「ちょっと、ついて来てくれませんか? 川鵺さんと言いましたよね?」


「ええ、はい……」



 お坊さんの後をついて行くと、祖母のお墓の前に連れてこられた。綺麗な花が添えられ、墓石も丁寧に掃除されていた。



「お墓の数もそんなに多くないので、どなたのお墓で、どのご遺族のものか分かるんです。実は、川鵺さんのお墓が荒らされていたのは事実で、今も時々起きるんですよ。その都度、お掃除させていただいているのですが。実は佐々木さん、このお墓を建てて数ヶ月後に錯乱状態になって、それから変なことを言い出すようになったんです」


「変なこと? もしかして、私の家系ですか?」


「何でそれを……。ええ、そうなんですよ。この家系はおかしい。このお墓ができてから、この付近で女の霊が出るようになったって……。たまにだったのが、段々回数が増えていって、毎日見るようになったらしくて。ついには、一緒に住んでいたお子さんも見えるようになってしまいまして……。気味悪がったご家族が引っ越されて、別居状態だったとか。その間、佐々木さんはお一人でこのお家を管理されていたそうで」


「ちなみにその霊って、どんな人なんですか?」


「髪が長くて、結構お若い方。汚れた白装束を着ているのですが、髪も着物も常に濡れていて磯のような香りがするって。あと、茶色い籠を持っていたとか……」


「籠?」



 その霊は祖母ではなかった。それが祖母と関係があるとも思えない。



「自分の子供を探しているみたいなんだって言ってました。恐らく、息子さんが見えるようになったのはその霊のせいじゃないかって。でも、そんなこと言われたってどうしようもないですよね。相手は霊なんですから……。ここ、昔から良く出ると言われてるみたいで……。こういうところだから、そういう噂は付き物なんですけどね。僕は一度も見たことないのですが」


「籠女……」


「はい?」



 すぐにここから離れなければいけない気がした。骨の髄が凍るような寒さを感じる。あの言い伝えは本物だと証明するかのように、祖母がしてくれた話と特徴が一致したからだ。



「籠女……。あ、なんか佐々木さんもそんなこと言ってた気がするな……」


「し、失礼します!」


「え、ちょっ! 暗いので気をつけてくださいね!」



 私は小走りで寺を後にした。寺が見えなくなるまで走り続けた。とにかくこの場から逃げたかったからだ。その言い伝えが本当だったとしても、どうしてあの霊が私の家族に付き纏っているのか、それが気にかかった。何か肌に纏わり付いて離れない異様な恐怖を感じたのだ。その時、頭の奥底であの唄が聴こえ始めた。



『かごめ、かごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる、夜明けの晩に、鶴と亀が滑った、うしろの正面だぁれ』



 その唄が途切れなく脳内をリピートする。



「やめて……やめて……」



 その唄は何周かした後、ようやく止まった。脚が疲れてしまい、息を切らしながらのそのそと人通りの少ない小道を呆然と歩いた。



『ピタッ……』



 その直後に肩に冷たい何かが触れた。ひやっとした何かは、私の右肩から腕にかけて浸透していく感覚があった。そして、誰もいないはずの背後から強い気配を感じ始めた。



「ミィツケタァァァ」


「きゃあっ!!」



 声の抑揚からして、すぐに人ではないことは確認できた。だが、女のような声だったことは覚えていた。私はとっさにしゃがみ込み、リュックについていたお守りの糸を無理やりちぎって握りしめた。



「やめて! 私たちの家族に近寄らないで! おばあちゃんに手を出してるのあんたね?」


「クスクスクスクス……」



 女の声は私の耳元で笑うと、その気配を消した。気がつけば、見知らぬ公園へ入っていた。



「ちょっと……恵ちゃん?どうしたのこんなところで」


「え? 明美ちゃ……うっ」



 偶然その公園に明美がいた。私はあまりの恐怖で涙が抑えきれず、彼女の足にしがみついて泣いた。



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