第3話 寂れた田舎町
電車を乗り継ぎ、都心部から離れ、田園風景を幾つか通り過ぎること数時間。交通の便も悪そうな所に、地図に記された町はあった。否、町と称していいのだろうか。面積の多くを田畑が占め、数えられそうな程度にしか民家の見当たらない其処は、寧ろ村と呼ぶのが相応しい寂れ具合だった。
「………………すごいな」
電子化された昨今ではあまり見かけない駅員が切符を切る形の改札を通り抜けた先で目に飛び込んだ予想以上の田舎景色に常盤はつい惚けてしまった。
誠司に言いくるめられる形で着の身着のまま特別何も用意せず――例の封筒一式は鞄に放り込んだ――電車に揺られて此処まで来たが、長閑な風景は救援要請とはあまりに似つかわしくなさ過ぎて狐につままれた気分になる。
閑散とした周囲は物寂しく、傾き始めた陽も相俟って妙な郷愁に駆られた。
「常盤」
不意に名前を呼ばれ、常盤はびくりと肩を跳ね上げた。慌てて声の出所を見れば、何故か此処まで着いてきた誠司が一枚のポスターを前に常盤を手招いている。
「何かあったのか?」
「ああ」
どれどれ、と近づいた常盤は、誠司の見ていたポスターを見た。古びた掲示物が殆どな駅の掲示板で、これだけが新しい。
それは祭りを告知するものだった。大きな赤い鳥居に稲荷と狛犬の中間のような動物の置物を背景として、でかでかとしたゴシック体のフォントで『白鳥神社 豊穣祭』と書かれている。隅の方に遠慮がちに書かれた開催日時は三日後で、覚えず常盤の口からは感嘆の声が転がり出た。これはちょうど良い。何日此方に滞在するかなど特に決めず来てしまったが、祭りの日を最終日にすれば自体がどう転んでも何となく格好もつくというものだ。
「祭りか。これを見て帰るのもいいな」
「君は阿呆か?」
誘いをかける間もなく即座に飛んできた暴言に唇がひくりと引き攣った。
「は?何がだよ」
「俺が見て欲しかったのはこっちだ」
苛立ちを多分に含んだ声音にも怯まず、誠司が開催日時よりも分かりにくい位置に小さく書かれた文字を指でとんと一度打つ。
「どれどれ……?必ず不用物をお持ちください?」
「ああ。白鳥、と書かれてはいるが、後世鳥と表記されるようになっただけのようだ」
「それはっ、……誠司の推測だろう」
反感から考え無しに反論しようとしたが、納得する部分が多いだけにあえなく尻すぼみになる。
誠司の主張はわかる。豊穣祭と銘打ちながら供物を募るように不用物を持ってくるよう記載するのは、それが神から恵みを賜る対価になると考えられているからだ。
後は、供物を捧げ祀ることで、奪われる対象を予め制限した、という所だろう。
神隠し、という言葉がある。近年では人攫いでの失踪や夢遊病者、猛禽類による被害が含まれていると考えられているが、当時の人にとって神が人を攫うのは至極当たり前のことだった。だから、豊作と引き換えに大事な家族が失われないように先手を打って「取」る神へ不用物を捧げ物としたのではないだろうか。この推測の裏付けは、現地の人なり神社の関係者なりに訊けばできるはずである。
「……例の印の近くだな」
懐からスマートフォンを取り出した誠司がポスターに記載された住所を打ち込み、デジタル地図を開いた。赤い平根の
「彼って、誰なんだろう」
今更ながらの疑問が溢れた。誠司が「ふむ」と口元に手を当てる。
「君の知人でこの辺りに住居を構えている人は」
「いない。というかこんな不躾な手紙を送ってくる知り合いはいないね」
「送り主と彼は別だろう」
冷静に指摘されて言葉に詰まった。確かにそうだ。手紙は『わたし』ではなく『かれ』と二人称で書かれていた。当人が送ってきたはずもない。
こほん、と咳払いを一つして、常盤は誤魔化すように捲し立てる。
「男なのは確定してるんだが、いかんせん知り合いが多過ぎる。届けられる手紙の住所や年賀はがきを思い出せるだけ辿ってみたところで心当たりはなし。当然抱えた顧客の中に該当者もいない。お手上げ状態だよ」
「そうか。先入観を捨てる必要がありそうだ」
「…………というか、どうして誠司は着いてきたんだ?」
「君が行くと言ったからだが」
至極当然の顔で誠司は疑問を切り捨てた。常盤の頭から爪先までを一瞥する目に温度は感じられない。間違っても常盤を心配してついてきたとか、そういう可愛げのある理由ではなさそうだ。寧ろはっ倒したくなるような理由が飛び出てきた方が安心できる。
「それで、どうする」
「どうするも何もバスを待つしかない」
淡白な誠司の問いかけに常盤は肩を竦めた。
田舎駅のためタクシー乗り場はなかったものの、幸いバスターミルはあった。ひまわり型の標識は若干どころではなく錆びていたが、貼られていた時刻表の年号は今年の春のものだった。本数は極端に少ないものの、問題なく運行していることに常盤はほっと胸を撫で下ろす。
「一時間はかかるな」
ズボンのポケットから取り出した懐中時計の文字盤をちらりと確認した誠司が呟く。しばし考えるようにその視線が宙を泳ぎ、常盤を見下ろした。
「宿を探す時間も惜しい。目的地で野宿でもするか」
「嫌だが?何が悲しくて二人寂しく野営をしなければならないんだ」
「しかし周辺にそれらしき建物はない」
「……民宿があるかもしれないだろう」
とんでもないことを言い出した後輩は、それでいてあながち間違ったことを言っているわけでもないから対処に困る。
民宿と口に出した常盤も、そんなものがこの辺りにあるとは思っていない。何せ、観光できるものがなさすぎる。小説などの題材に取り上げられて聖地巡礼の場所とならない限り、他所から人が来るとは思えなかった。
「そもそも誠司が善は急げだとかせっつくから困ることになるんだろう!」
「だから野宿で構わないと」
「僕は嫌だ!印の場所に行くのが明日になってもいいから、今日はとりあえず宿を探すべき――」
「おーい!」
突然、言い争いを裂くようにくぐもった呼び声と共にクラクションが鳴る。驚いて其方を振り返れば、いつの間にか一台の車が道路脇に止まっていた。常盤と誠司の注意が引けたことを確認したのか、少しだけ空いていたフロントドアガラスが完全に下ろされた。
「お兄さんたち、外の人だよね。何か困ってる?」
そこからひょこっと高校生と思しき年代の少年が顔を出した。決して不躾ではないが好奇心を隠しもせずふたりをじろじろと眺めて、それから猫のような瞳を細めて大きく笑った。
「良かったら、乗ってく?行きたい所があるなら送ったげるよ」
人好きのする少年だ。嫌味のない笑顔と口ぶりに常盤は頬を掻く。
「僕たちは助かるけど、少年はいいのかい?」
「いーよ。あっ、でも途中で荷物だけ下ろさせて。じぃちゃんに頼まれて買い出しに行ってたんだ」
孫使いが荒くて嫌になるよなどと快活に言って、少年が車から降りてきた。そのまま乗るならどうぞとばかりに後部座席の扉を開く。
数瞬、常盤は迷った。子どもとはいえ知らない人の車に乗るのは危機管理がなっていないのではないかと思ったからだ。しかし、誠司と一緒に今から一時間もバスを待つのはつらい。民宿が本当にあるかもわからない。現地の人も、この少年と駅員しか見かけていない。
諸々の状況を加味して考えると、彼の提案に乗るのが一番現実的に思われた。
「それじゃあお言葉に甘えて」
「うん。どうぞどうぞ」
目礼をしてから車に乗り込む。誠司も大人しく続いた。ばたんと扉の閉める音と振動が体に響く。
運転席に回った少年が座席に腰を下ろすと、慣れた手つきでハンドルを握った。
「君の家は?」
それまで黙りこくっていた誠司が口を開いた。置物かと思った、などと軽口を叩きながら、ミラー越しににかっと笑った少年が言う。
「白鳥神社。良かったら寄ってく?」と。
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