第4話 一族を背負った獣人の自分語り

 異世界のどこかにあるインチキオーセンティックバー。見た目は幼女、頭脳は中年男性という異色の店主が、女神から授かった能力でお酒(酒とは言ってない)を提供する店だ。


 店主が女神より授かったものは3つ。幼女の体、星空亭、不思議な能力である(能力は複数あるから3つとは言えないかもしれないが)。店の隅っこで丸まって寝ている白い狼は……謎の存在だ。店主が星空亭で目を覚ました時には、既に店内に居座っていた。


 その頃から変わらぬ温かい琥珀色の照明の下、店主は黙々と客を迎え入れる準備をする。店内では店主がグラスを磨く音、狼が欠伸をする音、そして程々の存在感のBGMが奏でられる。先日の占い師を見送ってから、まだ店の扉は開かれていない。


 しかしそれもこの瞬間まで。この夜もまた、店の扉が静かに開いた。今宵招かれた客は、どんな自分語りを奏でるのか……。


 静寂を破る鈴の音に、真白の狼が真っ先に反応した。姿を現したのは……犬だ。いや、顔は犬で体は人間、しかし獣の体毛に包まれた不思議な生き物だ。獣人と言ったところだろうか……と店主は思った。狼も、首を45度傾げて客を見つめている。


「い、いらっしゃいませ。好きな席にどうぞ……?」


 店主は客の容貌に困惑し、言葉が疑問形になってしまった。しかし、困惑しているのはイッヌも同じ。口を半開きにして、店主の顔をじっと見ている。猫のフレーメン反応みたいであるが、相手は犬……っぽい獣人。


 もしかしたら犬語じゃないと分からないのかもと思った店主は、犬の鳴き声を真似することにした。


「ワン、ワォン!」


「…………!?」

 

 獣人は驚いた顔で店主の顔を見た。これじゃ伝わっていないのか。店主は前世の故郷、日本以外の世界各国の犬の鳴き声も試してみる事にした。


「バウワウ! ウォッフ!」


「………………!!??」


「ジャウジャウ! ウワウワ!」


「……!!!!????」


 獣人の顔が変な歪み方をしている。しかし侮るなかれ。店主の犬の鳴き声の引き出しはまだ残っている。


 きっと、伝わってくれるはずだ……! と、店主は思った。


「モンモン! ゴンゴン!! オォン! アオォーーン!!」


「あの、自分普通にしゃべれます」


「へぇッ!? あ……アッス……」


 じゃあ何だったんだこの時間……そう思った店主の瞳が4Kの黒より深い黒に染まる。店主が空回りしただけなのに非常に理不尽な話ではあるが、店主の中で今宵の客への好感度が下がった。


「あの……まあ、その辺に座ってください」


「これはどうも、ご丁寧に」

 

 明らかに丁寧さを欠いた接客になったが、獣人は感謝し椅子に腰をかけた。


「それで、こちらの……店? は何ですか? いきなり目の前に扉が現れたのですが……」


「オホン……え~、この店は世界を跨ぎ、自分語りをしたがる者の前に姿を現すオーセンティックバーです。この店では、私の提供する飲み物を片手に、お客様の好きなように自分語りをしていただいております」


「なるほど……完全に理解しました」

 

 それは理解してない奴のセリフじゃん、と店主は言いかけたが、飲み込んだ。明らかに意味不明な存在である、この店のほうに非がある事を理解しているからだ。


「ご理解いただき何よりです。それでは早速、お飲み物を用意させていただきます」


 相も変わらず、下手の横好きという言葉を我が物にせんとばかりの店主の技術。しかしこの獣人にその是非は分からない。


 興味深そうな目で見るに収まらず、若干身を乗り出して、餌を待つ犬のように息を荒げながら店主と目と鼻の先の距離でソワソワしている。思わぬやり辛さに店主も困惑した。


「そ、それではどうぞ……。こちら、当店でしか飲めない逸品、『女神汁』です」


「ほう……青い飲み物ですか……」


 大したものですね……と続くのかと思ったが、黙々と匂いを嗅いで毒の類じゃない事を確認した後にペロペロと舐めだした。そこは犬の飲み方なんだ……と誰もが思う光景だ。


「なるほど……大したものですね……」


「……言うんですね。結局……」


「はい?」


「いえ、何でもございません」


 獣人が舐めて飲んだ量はそこまで多くないが、頬をかいたり自身の口元をペロペロする回数が目に見えて増えている。


 よく知らないが、獣人が酔うとこうなるのだろうか……店主は初めて見る生き物の生態を興味深そうに観察した。


「不思議な気分です……。なんだか、悩みを話してみたくなるような……。店主さん、聞いてくれますか?」


「もちろんです。あなたの自分語り、お聞きしますよ」


「感謝します……。私は、恐れ多いですがワンチャン族の族長をしているのですよ」


「わ、ワンチャン族……」


「ええ。店主さんは見たことないかも知れませんが、聖母様が作ったとされる大森林の中には私のような者が数多く住んでいます。他にも、ネコチャン族、チュンチュン族なんかが住んでいます」


 当然店主はそれら種族を知る由もないが、なぜかそれら種族の生態の脳内再生が余裕であった。どうせ猫の獣人、鳥の獣人の事だろう。


「そうなんですね。是非、その方々とも会ってみたいものです」


「中々気難しい者たちですがね……。特にネコチャン族は、こちらが友好の印と思って舐めたりお尻の匂いを嗅ごうとすると烈火のごとく怒るのですよ」


 本物の犬猫なら可愛いもんだが、人間の骨格を持った者たちがやっていたら恐怖だ。そりゃあ怒られもするだろう。


「それはそれは……。文化が違うとすれ違う事もありますよね」


「そうなんです。だから難しさを感じているというか……」


「難しさ、ですか」



「最近、一族の若者が大森林の外の者とも交流するべき、と声を上げているのですよ」


「ほう」


「大森林の外に住む者たちの文明は非常に発達しています。若者にはそれがキラキラして映っているのかもしれませんが、彼らは大森林の外の怖さを知りません」


「なるほど……怖いもの知らずの無鉄砲さは、若者の武器にも欠点にもなり得ますからね」


「ハハ……店主さんが言うと、なんか変ですね」


 店主は見た目は子供だが、頭脳は中年。しかしそれは他の誰も知る由はない。名探偵であれば客のあらゆる悩みを解決できるかもしれないが、この店主にはそんな大層な真似はできない。


 何とかして“それっぽい言葉”を引き出すために、店主は思案した。


「ちなみに、“外の世界の怖さ”とはどういったものなんですか?」


「それは……その……」


「……?」


「森の外に住む者たちは、絶えず争いをしていると聞きます。新しい文明とやらも、結局は戦争をする過程で発展した技術なのでしょう。彼らの起こす戦火が、いずれ我々の森を燃やしてしまうのではないかと心配になるのです」


 言い分はそれらしいし、実際にそうなのかもしれない……が、店主は獣人の言葉や、最初に言い淀んだ様子に一つ感じる事があった。


「お客さんの口ぶりからは……何というか、お客さん自身も外の世界の事をよく知らないような印象を受けますね」


「……!」


「誰しも、自分がよく知らないもの、理解できないものには知らずの内に恐怖を覚えるものです」


「恐怖など……ッ!」


「ピィっ!!」


 凄んだ獣人の様相はまさしく獣。それを受けた幼い店主は変な声をあげてしまった。逸る心臓を押さえつけ、冷静さを取り戻す店主。


「あ……申し訳ない……」


「い、いえ。こちらこそ失礼しました」


「いえ……幼い子供に声を荒げるなど、大人のやる事ではありません」


 凄むと怖いものの、この獣人は悪人ではない。物腰の柔らかさや考え方は善人の部類にも思える。……ただ、不器用だ。考えが凝り固まって、よく知らないものを知らないまま遠ざけている。


「……話を戻しますが、恐怖する事は恥ずかしい事ではありません。自分よりも弱い者を守る立場にあれば、むしろ恐怖しない事の方が恥じる事でしょう。ただ、真に恐れるべきは知らないままにしておくことだと思います」


「……まずは、彼らの事を知るべきだと?」


「それも一つの手かと。……例えばの話ですが、あなたはこの店で私と言葉を交わす前に、一族の若者がこの店に入ろうとしたら……許可していたでしょうか。自分で言うのもアレですが、怪しい店ですよね」


「……面と向かって言うものではありませんが、許可しなかったかもしれません」


「構いませんよ。では、今は? こうしてお話をした後ならどうでしょう」


 話してみたり、体験してみないと見えてこない事もある。そもそも店主は先ほど、獣人が喋れると思っていなくて醜態をさらしたばかりだ。


 どんなに知識が深く経験がある者だとしても、ちっぽけな人間の偏見に収まってくれるほど、世界は小さくも狭くない。


「……たしかに、人間が出会い際に変な鳴き声を出す事は今まで知りませんでした」


「あの……それは忘れてください」


「フフ、冗談です。確かに、今なら許可するでしょうね」


 凝り固まった考えの持ち主の表情が、少しほぐれた。その心や考え方も同じだろうか。


「ちなみに、森の外の住人はあなた方と同じ言語で喋るのですか?」


「以前森に迷い込んだ者は、同じ言葉で話していましたね」


「であれば、相互理解をするための最大の障壁は無いのですね」


「……そうですね」


 対話は可能――あとは本人たちの気持ち一つで動き出せる。しかしその気持ちは、他でもない彼ら自身で作り上げる必要がある。


「……お客さん。偉そうに語ってしまいましたが、私はワンチャン族の行く末に責任を取れる立場にありません。私の言葉は、まさしく無責任なのです。」


「……」


「私に言われたからではなく……最後には、あなたの気持ち、あなたの言葉で皆を導いてあげてください」


「……わかりました。今日の出会いに感謝を。今一度、一族の皆と考えてみたいと思います」


 店主と客は、運命のいたずらでたまたま巡り合っただけの関係である。そんな相手に大切な者の命運を預けられる者はいないだろうし、店主とて預けられても困るのである。


 だからこそ、店主の言葉はあくまでも“それっぽい言葉”でしかなく、客に自分の考えを押し付けるのは越権行為ともいえるのだ。


 しかし、言葉とは難しいもの。店主は今宵の言葉が、客に考えを押し付けるようになりそうだった事を反省した。そして、言葉の難しさはこの獣人もこれから向き合う事だろう。


 ――その後、獣人は日頃のストレスを吐き出すように自分語りを続けた。


 もうすぐ10歳になる子供がいるらしく、その子がまあヤンチャなんだとか。若者たちも奔放で、一族を束ねる事の難しさを実感している様だった。


 何というか中間管理職的な悩みで、今までの客で一番社会人っぽかった。犬みたいな見た目なのに。


 彼の悩みは尽きない事だろうが、ここで一旦重荷を下ろせたのならバーの店主冥利に尽きると言ったところだ。


 満足そう……とは言い難いが、少しすっきりした表情に見える。


 そんな獣人に、白い狼が吠えた。


「ワォン!」


「ちょ、お客さんに吠えちゃダメだよ……!」


「いえいえ、店主さん。彼は私にエールをくれたのですよ」


「え、分かるんですか? この子の言葉……」


「何となく、ニュアンスが理解できる程度ですが」


 初めての事に胸が高鳴る店主。謎の存在である白い狼の事を理解するチャンスが思わぬところで訪れた。


「え……じゃ、じゃあ、この子が私をどう思ってるかもわかりますか?」


「聞いてみましょう……」


 ワンワンとかウワウワとか言いながら、店主にはわからない言語で話している。その後、獣人が店主の方を振り返り、結果を告げた。


「彼の言っている事、完全に理解しました」


「……」

 

 それは理解してない奴のセリフじゃん……そう思ったが、一旦置いておく店主。


「彼は、あなたが彼の事を忘れていることに怒っているそうです。他にもあるみたいですが」


「忘れている……!? それって、どういう……」


「そこまでは、残念ながら語ってくれませんでした」


「……そう、ですか」


 白い狼の謎は未だ分からないが、答えは自分の中にある。その自分を思い出せる日が、果たして店主に訪れるのだろうか。


「あまりお役に立てなかったようで恐縮ですが、私はこれにて失礼します。お代はここに。……ありがとうございました」


「……いえ! こちらこそありがとうございました。また自分語りがしたくなったら、お越しください」


 お辞儀をして、姿が見えなくなるまで客を見送り……扉を閉じる。静寂が訪れると、謎に対する思考が店主の頭を駆け巡った。


「私は君を知っていて、それを忘れてるんだね……」


「……」


 いつも通り、そっぽを向いて何も言わない狼。相互理解をするための最大の障壁が、店主と狼の間にそびえ立っていた。


「私も、知らない物を知らないままにはしたくないんだ……。だから、きっと君の事を思い出してみせるよ」


「……」


 返事をしない狼のいつも通りの姿を見て、店主はなぜか微笑んだ。


 店主もいつも通り、次の客を迎え入れる準備を始める。次の客は、一体どんな事を語るのだろうか。幼い店主の接待録はまだ続く……。

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