第39話

 小鳥の鳴き声と、眩しい朝日に照らされて、わたしは目を開けた。


 ドルミール王国の国民が見ることのない、朝。

 わたしは魔力を使い果たして一晩中眠りこけていたらしい。


 ゆっくりと身を起こして、太陽に照らされた庭園の植物たちをボーっと眺める。


 夜のうちに雪が降ったらしい。秋のうちに全て葉が落ちて丸裸になった植え込みと、絶え間なく流れ続ける清らかな噴水の周りは、綺麗に雪化粧されていて、青空が高く青く澄んでいた。雪を見ていると、寒さがさらに加速していくようだった。


 ぶるりと体を震わせ立ち上がり、城の一階ホールの重い扉を両手でゆっくりと押す。

 風通しの良い吹き抜けのホールに滞留する、冷たい空気が頬を撫でた。


 いつもなら使用人がバタバタとホールを駆けまわっているけれど、今日が一人も見当たらない。


 あまりの寒さに腕をさすりながら城に入り、そのまま二階へ上がる。真っ赤に染め上げられたカーペットを踏みしめる音が、やけにはっきりと聞こえる。


 二階は、夜間の見回り兵士や側近がうつ伏せで倒れていて、安らかな寝息を立てていた。

 眠らせる魔術は上手くいったようね。


 王族の寝室が集まる三階は、彼らの部屋の扉に背中を付けて護衛が寝ており、一階二階と同様、静寂に包まれていた。

 これは王都でも、地方でも。国中が眠りに落ちてしまったことを改めて自覚して、自分でやったことながら、背筋が凍る。


 城を出て、レオナの小屋に向かう。わたしの血痕がついた、ボロボロの小屋の扉にもたれかかる。


「レオナ」


 呼びかけても、声は帰ってこない。

 これで、いいの。レオナ、安心して眠りなさい。わたしはアミルが来るまでここであんたを護衛するから。


 これが、最後の仕事。


                  ♦♦♦


 レオナにとっての王子様。この国にとっての救世主は、風のように颯爽と、光のように目映く、白馬のように真っ白な毛並みを持つ魔獣の背に乗って。

 思っていたよりもずっと早く、魔女で悪役のわたしの前に現れた。


 わたしがこの国に魔術を駆けてから、七日目のことだった。


 ずしり、ずしりと魔獣の足音が近づき、見上げるほど大きな影を落とす魔獣の背に乗る王子は。

 薄暗い林の中でも映える、金色の髪。今日みたいな晴天の空色の瞳。


 もう叶わないのに。届かないのに。


 国に眠りをかけた悪者のわたしだけど、彼に見惚れてしまった。


「アミル……」


 生きてて、良かった。


 アミルはゆっくりと魔獣の背から下りて、魔獣を撫でる。ゴロゴロと喉を鳴らすそれは、アミルに随分懐いているようだった。


 わたしはアミルの目の前まで走って、アミルの背中に手を回そうとする。

 すると、わたしの行動を遮るように、彼の大きな手が頭に乗った。


「ソルシエール。頑張ったな」

 労いの言葉をかけてくれているはずなのに、それがかえってわたしの心を抉る。抱擁は、許されない。アミルには、心に決めた人がいるから。


「アナトールが放った、レオナの魔石から生まれた魔獣は、私に力を貸してくれた。……レオナは、ここか?」

「……ええ」


 アミルはわたしの前を通り過ぎて、レオナが眠る小屋の前に立つ。

「ルヴェ。この扉を破壊してくれるかい」

 アミルの声に、後ろに控えていた白銀の毛並みを持つ、ルヴェと呼ばれた魔獣が、

「クーン」

 と一鳴きする。そして、地響きするような音で小屋の扉の前まで歩いていく。

 木漏れ日に反射する鬣が綺麗だった。

 ルヴェは前足を軽く振り上げる。


 ドスン!


 扉を押し倒す音が聞こえ、壊れた扉の先には。

 姫が眠っていた。


 この衝撃にびくともせず、小窓から差し込む光に照らされた寝顔。

 長い睫毛が頬に影を落とし、雪のように真っ白な肌には、小さな薄紅色の唇が映えていた。


 同性のわたしでも思わず息を呑んでしまうような、おとぎの国に存在するような。

 綺麗な姫だった。


 アミルは、レオナが眠るベッドに近づき、優しく笑ってレオナの額をそっと撫でた。


 胸が、痛い。目を逸らすことだってできる。

 これから、二人の唇が触れ合うのだから。

 でも、逸らさない。これは、けじめだから。アミルのことをすっぱりと諦めるために、必要なことだから。


 アミルは、レオナのベッドの前で跪くと、レオナの唇にそっと口づけた。


 その瞬間、レオナの真っ白な頬に赤みが差す。


 国が、目覚める。


 わたしの魔力が感じ取った。王都で、諸侯領で。国の一番端まで。眠っていた人々がふと目を覚まし、少し首を傾げてからまた、普段の生活に戻る。家族の元へと。


 城でも、使用人が目を覚まして慌てて仕事に戻り、目を開けた側近が王族である主を優しく起こす気配。ソルシエールという一人の魔女を全て忘れて。


 国を覆っていた茨も、シュルリと解け、消える。


 七日間に渡った眠りの国が、今、目覚めた。


 最後はこれからとびきり幸せになる姫が、宝石のような瞳を覗かすのでしょう。



「ソルシエール」


 レオナが目覚める前、アミルが不意にわたしに声をかけた。名前を呼ばれるのも、これで最後ね。


「友人として言う。好きに、生きろ」


 わたしの愛は、捧げる前に儚く散った。

 友人。そこに、愛はない。


 アミルはそう言ったあと、わたしに手紙を差し出す。


「レオナからだ。机に、置いてあったよ」


 受け取ると、美麗な字で「ソルシエールへ」と書かれていた。懐にしまい、アミルの目を見つめた。

 相変わらず綺麗な瞳をしてるわね。晴天の瞳。もう見ることはないのかしら。


「アミル。今日、晴れたわね」


 いつだったか、アナトールに間違えて言ってしまった言葉。最後に本人に言えて良かった。

 アミルは、柔らかく微笑んでくれた。

「ああ。君の魔術は、まだ使うときではないな」


 結局、アミルのために雨をあがらせる魔術を使ったのは、牢にいたときが最初で最後だった。言葉を交わすのも最後だと思うと、胸がいっぱいになる。


『今日、晴れたわね』が『好きです』の隠し言葉だったとすれば。『君の魔術は、まだ使うときではない』は、『私は君の運命の人ではない』という意味なのかもしれない。


 さようなら、アミル。さようなら、レオナ。

 

 わたしは破壊された小屋の扉をまたいで、そのまま空へ飛び立った。晴天の空へ。




 飛行したまま、城の庭園や城門、城壁を越え、王都の平民街の屋根に降り立った。

 果物を籠一杯に抱えた女性や、街を走る子供たちが見える。


 わたしは、レオナの手紙を開いた。

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