第10話
部屋を出ると、リーシュがプンプンと怒りながら、縁にレースのついた日傘を押し付けてきた。
「ソルシエール。ガブリエル様のお気に障ることをしないでください! レオナ様を一滴でも濡らせば、牢へ逆戻りさせますわよ」
そう言いたい放題言ってから、乱暴な足取りで遊戯室に戻っていく。わたしは押し付けられた日傘に目を落として、げんなりした。
「こんなんじゃ雨が染みてきちゃうわ」
薄い桃色の日傘は穴こそ空いていないものの、完全に布製だから、雨に当たったら雨漏りするんじゃないかしら。しかも、こんなに綺麗な傘をもう使わないなんて、贅沢すぎやしない?
傘を相手にブツブツつぶやいていると、レオナがわたしの服の袖を引っ張ってきた。
「ソルシエール、行きましょう」
「そうね。ちょっと濡れてもリーシュに言うんじゃないわよ」
牢へ戻るなんてまっぴらごめんよ。
わたしが歩きだすとレオナも小走りについてくる。
「ソルシエール。……言うかも、しれません」
一階へ下りる階段に差し掛かったとき、レオナがためらいがちにそう言ってきた。
「言う? 何のことかしら」
「濡れたら、リーシュに言うかもしれません」
意味の分からない言葉に、足を止め、レオナを振り返る。レオナは、思いつめたように口を引き結んでいた。
「はあ? らしくないこと言うわね。どうしてよ」
わたしが非難めいた声を出したからか、レオナは怯えたような目を向ける。彼女はそのあと、覚悟を決めたように自分のドレスの裾をギュッと掴んだ。
「ソルシエール。わたくしのために、死んでほしくないのです」
また意味の分からないことを言われた。
「どうして? わたし、あんたのために死ぬつもりはないけど?」
いつ命を護衛として捧げるなんていったかしら。レオナはアナトールに会うための口実であり、どうでもいい、って思ってるのに。
だがレオナの表情は変わらない。
「この国では、魔女は忌まわしい生き物として知られています。国の者に狙われるかもしれない王女に、公の場に出したら殺される可能性が一番高い魔女を護衛としてつける理由はなんだと思いますか?」
レオナの透き通った声がホールに響いたあと、わたしたちの間には沈黙が訪れる。
レオナの問いかけに答えないわたしに、レオナはさらに続けた。
「狙われないため、何かあったときのための護衛なのに、今のわたくしたちは護衛自体が護衛対象より狙われやすい状態です。安全もへったくれもないでしょう」
「何が言いたいの?」
少し睨みつけてみるけど、レオナはひるまない。嫌な予感がして、肌がジワリと熱を持った。
「わたくしのために魔女が殉職したとなれば、魔女は国にとって大きな存在になります。魔女を生み出したことは間違っていなかったと証明できるのです。だから、ソルシエールの身に何か起こる前に……逃げてください。どこでもいい。好きに生きてください」
レオナの目は、少し潤んでいた。
背筋が凍った。一気に鳥肌が立つ。こんな策略に気付きもせず、今までのうのうと城で暮らしていた自分が馬鹿みたいだ。
でも、レオナは得体の知れない魔女のわたしに、どうしてそんなに心を砕いてくれるのか、分からなかった。
分からないからこそ城に来た。アナトールを愛すため。まだ目的は達成していない。アナトールとまともに話すことさえできていない。愛を知るためだったらなんだってやる。それで死んだとしても、上等だわ。
「ご忠告ありがとう、レオナ王女。でも、わたしは大丈夫。わたしはわたしのためにあんたの護衛をするから。それでわたしが死んだとしても、あんたのせいじゃないから。勘違いしないで」
そう言い放ったわたしを見て、レオナはあっけにとられたような顔をしたあと、少しだけ頬を緩めた。
「ソルシエールらしいですね。でも、良い人が死ぬのは耐えられない。自分のせいだったら、なおさらです」
「わたしは魔女よ」
「ソルシエールは、とっても良い人です」
ふいに向けられた、柔らかい光が溢れるような笑み。その笑みは、わたしに過去を思い出させる。忘れたい、忌まわしいはずの記憶。
『いい子ね、ソルシエール。自慢の娘だわ』
ふと、シデリカ様の香りがした。柔らかくて、甘い香り。
じわりと涙が溢れた。
おかしいわね、こんなはずじゃなかったのに。こんなこと、シデリカ様に言ってもらったのかしら。
こんなに温かい言葉をかけた癖に。シデリカ様はわたしを裏切った。余計に悲しかったし、愛が分からなくなって、こんなに愛に執着してしまうのだと気が付いた。
わたしの涙に動揺したように、レオナが階段を下り、近づいてくる。
「泣かないで、ソルシエール」
王女はハンカチなんか持たないから、レオナは手で頬に流れたわたしの涙を拭ってくる。
その手は温かかった。
心が温かいと手が冷たいって聞くから、手が温かいと心が冷たいのかしら、って思ってたけど。
そんなことないわね。
「……ねえ。一つだけ聞きたいことがあるの。魔女をレオナ王女のために殉職させるって聞いたけれど、魔女が王女を守り切れなかったら、王女も死ぬじゃない。王女が死ぬリスクを冒してまで、魔女を護衛にする必要があったのかしら」
疑問に思ったことを尋ねると、レオナはわたしの頬を拭っていた手を下ろして、寂し気に笑った。
「反対です。王女であるわたくしが死ぬことは、別にリスクでも何でもないのです」
レオナの言葉に耳を疑った。
「わたくしは、チグリジア王の側室の子どもです。幼いころから王妃様や王妃様のお子様にいじめられてきました。お父様は知らない顔。お母様だけがわたくしを愛してくれました」
レオナの身の上を哀れに思ったのは本当だけど、母親に愛されていた事実、それを自覚しているレオナが羨ましかった。
「レオナ王女。あんたはその母親を愛しているの?」
「はい。愛しています」
人を羨ましいと思ったのは初めてよ。
立ち尽くすわたしの横で、レオナはすっかりいつもの調子に戻って、
「あら、ごめんなさい。さあ、空を晴らしてください、ソルシエール」
とわたしの背中を押した。
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