夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。
古森真朝
1
「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。
俺がお前を愛することは、この先決してない。結婚は嫡子の義務でしたまでだ、期待など一切するな!」
氷のような眼差しで、日中に式を挙げたばかりの妻を睨み据えて言い放つ。今までのことで自分が歓迎されているとは思っていないだろうが、念のためだ。畏れ多くも王族の血を引く侯爵家の跡取りからここまで拒絶されれば、余程の馬鹿でもない限りは――
「婚約期間も披露宴も放置しまくったの全部棚に上げて、その上モラハラパワハラですか? 弱い者イジメでイキってんじゃありませんよ、馬ぁぁぁぁぁッ鹿」
「ばっ!? お、おおおおおおおまっ!! 何だその口のきき方はーッ!!!」
「あら、ごめんあそばせアドルフ様。つい本音が」
間髪入れずに百倍返し、いやそれ以上の破壊力でぶった切ってきた相手に、顔を真っ赤にしたアドルフが食って掛かる。それに対して欠片も心のこもっていない謝罪をしつつ、抱え込んだ枕の陰でふん、と鼻を鳴らすクラリッサである。別に隠さなくてもいい気はするが、単純に目を合わせたくないのだ。
「義務でした、というのなら私も同じことです。そもそもこのお話、そちらのご当主が激押ししてこられたと記憶しているんですが? もう覚えてらっしゃらないんですか? ていうか馬鹿なんですか??」
「何度も馬鹿馬鹿いうな!! 確かにうちの父上が持ちかけた、俺の意向を無視してな!! 自分で選べるんなら誰がお前なんか選ぶか、辺境伯の『むっつり令嬢』なんぞ!! 顔はまあ見られないこともないし、ちょっとは可愛いところでもあるかなぁと思えばとんでもない毒舌だしな!?!」
「知ってます? 愛情も信頼も無条件では得られないし、不誠実な人に対してはどんどん目減りしてくんですよ。初対面以前に方々で女性を取っかえ引っかえしてる、って事実に幻滅して、信用なんてとっくの昔に底ついてたんですから仕方ないでしょう。バッテンバーグ家の『顔だけ花丸令息』さん?」
「く、くわー!!!」
「あらいやだ、こんなところに雄鶏が。締めてリンゴ酒蒸しにしたら美味しそうですね? 私は絶っっっ対に食べませんけどね、腐った性根が感染したらヤですもん」
またしても先ほど以上の悪口雑言をぶつけられ、もはや返す言葉もなく奇声を発するアドルフ、一応二十歳。金髪碧眼に絵画のごとく整った顔立ちで、すらりとした長身だ。これで怒りのあまり赤黒い顔色をして、その場で駄々っ子のように地団太を踏みまくっていなければ、そこらの一般的な令嬢が想像する『白馬の王子様』像にぴったり一致することだろう。
対するクラリッサはと言えば、さらさらの黒髪にきゅっとつり上がった猫のような菫色の瞳。ややクリーム色がかった肌色が東洋人形めいた愛らしさを醸し出す十八歳だ。同年代のご令嬢と比べると小柄で華奢だが、やたら堂々とした立ち居振る舞いと据わり切った度胸が独特の雰囲気というか、一種の迫力のようなものを生んでいる。『ねえ君、うちの隊で騎士にならない?』と、初めて行った王宮舞踏会で騎士団長直々にスカウトされたことは、すでに社交界の語り草だ。
そしてその度胸、および口達者なことこそが、現バッテンバーグ侯爵が『ぜひ倅の嫁に!』と縁談をごり押し……もとい、熱心に頼んできた最大の理由だった。
『あいつの素行は二親を以ってしても修正不可能だ。こうなったら一切頭が上がらないほど立派な奥方に来てもらって、日々全力で圧をかけてもらうより他ない! 恥を忍んでお頼みいたします……!!』
「って、そうおっしゃったんですよ、お父様が。恥ずかしいとか申し訳ないとか……いえ、思わないから『顔だけ花丸』なんでしたっけ。はーぁあ」
「これ見よがしにため息をつくなー!! 良いだろ別に遊んだって、貴族に愛人がいるなんて普通のことじゃないか!! 念には念を入れて、万が一にも盾突いたり裁判に持ち込んだりできないくらいの家格だったり、そもそも平民で逆らえないって相手から選んでるしっっ」
「…………へえええ???」
唐突に、本当に突然、クラリッサの声が数段低くなった。同時に表情も、平素の生意気で鼻持ちならない雰囲気が一変し、恐ろしく冷淡な目つきで睨みつけてくる。そんなはずはないのに、周囲の温度まですうっと下がった気がした。
「なるほどなるほど、そういうことでしたか。どうりでうちの侍従さん達に調べてもらうまで、ウワサこそあれ実害のデータが出てこなかったわけです。――うん、もういいか」
「……な、何がだよ?」
ぽつんと呟いた口調が凄まじく冷え切っていて、訳が分からないながらも不安を煽る。思わず怒りを忘れて訊ねたアドルフに、クラリッサはにっこりと、大層可愛らしく微笑んでみせた。それについホッとしかけて、寸でのところで気付く。……目が全く笑っていない。
「実はですね? つい先ほど、アドルフ様のご友人と偶然出くわしまして。ぜひともお祝いを言いたいと待っておられるんですよ」
「は……? 招待客なら全員帰ったぞ? 誰だ?」
「ご覧になったらわかるのでは? ――お待たせしました、さあどうぞ!!」
――バンッ!!!
張り上げたクラリッサの声に続いて、何故かバルコニーに面した窓が全開になった。折しも今夜は新月、バッテンバーグ邸の裏手に広がる林のせいもあって、外は真の暗闇だ。
その漆黒が、ぶわあっと膨張した。正確にはバルコニーの手すりを乗り越えて、帯状になった黒いものが部屋に飛び込んできたのだ。それはわき目も振らずにアドルフへと殺到し、ぐるぐる巻きにして絡め取っていく。
「ひっ!? おいっクラリッサ、なんだこいつは!! お前なにかしたんだろ、俺の友人なんて大ウソをつきやがって……!!」
「ウソなんてついてませんけど? ほら、もっとちゃんと見てください。覚えてるでしょう?
みーんな、貴方に苦しめられた人ばかりですよ」
「え? ――っ、ぎゃあああああ!?!」
果たして思い至ったのかどうか。唐突に絶叫したアドルフの身体が、そのままずるずると引きずられていく。バルコニーで待ち構えている影――大きく歪な黒いヒトガタに浮かび上がる複数の女性の顔が、全く同時に虚ろな瞳でにたぁ、と
「私は一人寝で全く問題ありませんので。遠慮なく旧交を温めていらしてください、アドルフ様。――どうぞごゆっくり」
ことばの最後で影の方に向かって、丁寧に淑女の礼を送ると、かすかに目礼で応える気配があった。黒い帯、いや、束になった長い糸のようなモノに巻き取られた新郎が、耳障りな悲鳴を上げながら外へ引きずり出される。
それとほぼ同時に、床から天井近くまである窓硝子が、開いたときのように勝手に閉まった。
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