第3話 ここで引き下がるわけには

「ありません」



と、リアがにべもなく応えた。


ぺちっ。と、自分の額に手をあてる。


港がないフェルスタイン王国に、造船所があるわけがない。そりゃそうだ。


漁師がつかう小舟くらいはつくれても、そんなのでミカンを運んでたら、ヴィンケンブルク王国に払う関税より経費がかさむ。


そもそも、それはもはや交易ではない。ただの難破だ。どこに流れ着くか分かったものではない。



しょぼしょぼと海岸をあるく。


見たところ充分な水深があって、桟橋をつくれば大きい船でも着けられそうだ。


こんなに港に適した入り江なのに、辺境だから見落とされてたのか……。


しかし、造船業からはじめるとなると、わたしの手には負えないしなぁ。


などと海を眺めていると、



「ありゃあ。姫様でいらっしゃいますか?」



と、年老いた漁師が声をかけてくれた。



「そうよ、はじめまして。カロリーナです」


「こりゃあ、こりゃあ。こっちに移り住まれるとは聞いてましたが、お綺麗な方ですなぁ……」



――素朴!



王都でわたしに向かって、こんな風に話しかける平民などいなかった。


けど、このほうがよっぽど居心地がいい。



「なにが釣れるの?」



と、わたしの質問にも嬉々として応えてくれる。


移住自体は大正解だ。


どうせ、式典やらなにやら王都にも通わなくてはいけない。キラキラした社交界と縁が切れるわけではない。


綺麗なドレスやアクセサリーで着飾れば、ふつうにテンション上がる。


王都に住むのは向いてなくても、遊びに行くのは楽しいだろう。


だけど、ふだんは田舎でのんびり。



――最高かよ。



貴族に転生、いいとこ取りだ。


あとはミカン畑を守れたらなぁ……。


穏やかな入り江の海に、漁師の小舟がゆらゆらと揺れているのをボーッと眺めた。


海面がときおり陽の光を反射してキラッ、キラッとひかる。



「……この舟で、どの辺りまで行ったことがあるの?」


「ちいさな舟ですし知れてますわな。入り江のなかだけでも、ほそぼそ暮らすには充分な量が獲れますし」


「そう。いい漁礁でもあるのかしら?」


「漁礁なんて言葉をご存知で?」


「え、ええ……、まあ……」


「いやあ下々のことまでよくご存知で。いい領主さまに来ていただきました」


「そう言ってもらえるなら、亡くなった母も喜んでくれるわ」


「まあ……、一度、嵐に流されましてな。あまり遠くまで行くなって、かかあから釘を刺されてるんでさ」


「あらまあ、それは大変だったわね」


「なんとラヴェンナーノ帝国まで流されましてね」


「ええっ!?」


「いや~、あのときは生きた心地がしませんでした」


「う、うん……。それで……?」


「それで?」


「どうやって帰ってきたの?」


「へっへ。ちょうど流れ着いたのが帝国の港で、おおきな船がいっぱいで。腕のいい船大工もたくさんいたもんで、舟を直してもらったんでさ」


「へ、へぇ~」


「おたがい海の男だって気のいいヤツらばかりで、たんまり食料も持たせてくれて、この小舟でもなんとか帰り着けたってわけで」


「すごい話ね……」


「かかあには泣かれるわ、バシバシ叩かれるわ……」



照れたように顔をしかめて笑う老漁師。


お爺さんがお婆さんのことをのろけているの、キライじゃない。


他人の恋愛話を聞くのは心地いい。


だけど、いまわたしの興味はそっちじゃない。



「ち、地図を持って来るから、もうちょっと詳しい話を聞かせて!」


「あ、はあ……」



公爵令嬢にはあるまじき全力ダッシュで山荘に駆けもどる。



――そうか! 船も輸入すればいいのか!



息を切らして興奮してるわたしを、リアが呆れ顔でみてたけど、いまはそんなのどうでもいい。


やるだけ、やってみよう!



   Ψ



いそいで王都にもどり、リアと商会の支配人ジョナスに命じて、現金をかき集めさせた。



「こんな大金、どうされるのですか?」


「ちょ、ちょっと旅行にいこうと思って~」



訝しがるジョナスには適当に誤魔化した。


帝国はなんども行き来できるような距離ではない。一発勝負になる。上手くいかなかったら、なにごともなかった顔をして帰ってこられる方がいい。


お父様にも「見聞をひろめるため」と説明し、あつめた大金を帝国でもつかえる証券に替えてもらった。



「……案外、大胆なんですね」



と、馬車に揺られながらリアが笑った。



「なんだか楽しそうね、リア。見たことない笑顔をしてるわよ」


「ええ。未知なる案件に投資をためらわない主人に仕えるのは、フェルスタイン王国の貴族に仕える者にとって、とても楽しいことですわ」


「投資……、これは投資なのね」


「もちろんです! しかも公爵閣下にも内緒にされるなんて、カロリーナ様がこんな勝負師だったとは思いもしませんでした」


「勝負師……」



負けても恥をかかないように、って内緒にしたわけで……、


いわば保険をかけたんだけど、リアの目には、わたしが父をも出し抜いて利益を独占しようとしているように見えてるのか。



途中、ゾンダーガウ公爵領での手荷物検査は、かなり細かかった。


いやがらせという訳ではなく、密輸を警戒してるんだろう。



ヴィンケンブルク王国の検査はさらに細かく、横柄な女性検査官立会いのもとドレスまで脱がされた。


検査官はみなピリピリしているし、息が詰まる。


馬車にもどると、リアが気をつかってくれた。



「いやな思いをされませんでしたか?」


「大丈夫よ。道を借りるのはこちらだし、お国柄に合わせないとね」



ヴィンケンブルク王国は、ここ50年ばかりで台頭してきた軍事国家だ。


祖先を同じにするフェルスタイン王国に対しても、尊大な態度をとってきた。


ラヴェンナーノ帝国との軍事衝突も多く、関税を上げたのもその軍資金のためかもしれない。


あの嫌味なゾンダーガウ商会の顎ひげ支配人も、彼らを相手に日々交渉しているのだと考えると、すこし気の毒だ。



それから1ヶ月半ほどは、ヴィンケンブルク王国領内を馬車の旅だ。


途中たち寄ったどの街にも、専制軍事国家らしい重苦しさが漂う。だけど、たしかに交易の荷馬車は盛んに行き交っていた。


フェルスタイン王国の東から渡来する香辛料、絹織物、陶磁器、それらはすべてヴィンケンブルクを経由し、


遠浅の海を大きく北に迂回して、西へとむかう。


しかし、遠い。


漁師の証言が正しければ、ロッサマーレから10日ほどの船旅でラヴェンナーノ帝国に着くはず。


つまり、陸路の5分の1程度に短縮できるわけで……、



「……ボロ儲けの予感がしてきましたね」



と、リアが悪い笑い方をした。



   Ψ



馬車がラヴェンナーノ帝国に入ったとたん、空気がかるくなった。


祖先が同根のヴィンケンブルクでは着てるもののデザインも伝統的で、フェルスタイン王国に似ていた。


だけど、ラヴェンナーノに入った途端、検査官の服まで明るい色で華やかになった。


荷物検査もとても簡易。



「ようこそ! ラヴェンナーノへ!」



と検査官の対応もにこやかで陽気だ。


ラヴェンナーノ帝国では領土拡張策がひと段落し、地方や属領にも大きな権限を認めはじめたと聞く。


自由な雰囲気は、母国フェルスタイン王国以上だ。


呼吸もしやすくなったような気分で、鼻歌交じりの旅がさらに1週間つづく。



「ふわぁ~! いい景色ねぇ~!」



到着した港町シエナロッソ。


たくさんの船が停泊していて、峠から見下ろす街並みは貿易港そのものだ。


日本の故郷も、かつてはこのくらい栄えていたと習った。小学校での郷土教育は北前船の話一色だった。


地域でほそぼそと続く伝統工芸品を扱う自営業を、父と一緒にやっていた日本の母も、


北前船のことを熱く語ってくれたものだ。


もちろん目のまえの景色は西洋風であるし、北前船とは世界観がちがう。


だけど、活気ある港町の雰囲気に、浮き立つ心を抑えられない。


宿に荷物を置き、さっそく造船所をさがしに街にでると――、



「おや? 見ない顔だね。こんなキレイなお嬢さんを、僕が見逃すはずない。シエナロッソは初めて?」



と、いきなりナンパされた。


赤い髪を長くのばした貴公子風。顔立ちは端正だけど、女の子の扱いに慣れてそうな物腰が、なんともチャラい。


リアが男性のまえに立つ。



「こちらは、とある貴族のご令嬢。無礼なふる舞いはお慎みください」


「ふ~ん、そうか。でも、いいこと教えてあげよう。シエナロッソは皇帝陛下直轄の帝国自由都市だ。偉そうにするヤツは嫌われちゃうよ~」


「あら、そうなんですね!」


「お、お嬢様!?」


「それはいいことを教えていただきましたわ」


「どういたしまして。お礼に僕とお茶でもどうかな?」


「あら。でも、わたしまだ、あなたのお名前もおうかがいしておりませんわ。それもシエナロッソの流儀なのかしら?」



自分でも不思議なほどツラツラと言葉が出てくる。


ようやく長旅をおえた達成感に高揚しているのか、港町の自由な雰囲気に浮かれているのか……、


とにかくこのナンパな男性の相手をするのがイヤではない。



「これは失礼。僕はブリュンドワール男爵。ビットって呼んでくれると嬉しいな」


「ビット……?」


「ほんとの名前は長いからね」


「じゃあ、わたしはカーニャでいいわ」


「カーニャ! かわいい名前だ」


「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」


「お世辞だなんてとんでもない。その澄んだマリンブルーの瞳にピッタリだ」


「ところでビット。わたしたち船を買いたいの。造船所がどこにあるか知ってる?」


「造船所……? そうだな、埠頭の東側に造船ギルドの本部がある。まずはそこで相談してみるといいよ」


「造船ギルド!? そんなものがあるのね!」


「シエナロッソで働く船大工は多いからね。親方に相談してみるといいよ」


「分かった、ありがとう」


「あれ? 僕とお茶は?」


「ふふ。また会えたら、そのときに」


「そりゃ残念。きっとまた会えるけどね」


「だといいわね」



と、笑って別れた。


当然、リアからは「浮つき過ぎです」と叱られた。



そして、ビットに教えられたとおりの場所に造船ギルドの本部があって、



「ダメだ。……船はお嬢様が遊びで買うようなもんじゃない」



と、腕のふとい黒ひげの親方から言下に断られた。


わたしの顔を見ようともしない。


むむっ。ここで引き下がるわけには――。

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