悪役令嬢に転生してストーリー無視で商才が開花しましたが、恋に奥手はなおりません。

三矢さくら

第1話 晴れて王都を脱出

真っ白な大理石の壁がたかくそびえる、王宮の大広間。


よくみると精緻な彫刻が天井にまでほどこされ、周辺諸国に伝わるすべての神話の場面が詳細に再現されている。


交易によって成り立つフェルスタイン王国を象徴する、白亜の殿堂。


わたしのためにだけに召集された高位貴族がびっしりと並び、式典のはじまりを待っている。



わたしは今日、王国史上初となる女総督に就任する。



乙女ゲームの悪役令嬢、シュタール公爵家の長女カロリーナ・シュタールに転生したと気づいたとき、こんな未来がまっているとは想像だにしなかった。


来賓席にすわるラヴェンナーノ帝国の皇太子ヴィットリオ・ラヴェンナーノ殿下が、緊張するわたしにウインクしてみせる。


イッとにくまれ笑いを返すが、原作には名前も登場しないこの一見ナンパで軽薄な赤髪の貴公子がわたしを見つけてくれなければ、いまこの場所に立つことはなかった。


ヴィットリオ殿下から贈られた純白のプリンセスラインドレスを身にまとい、華々しい席にのぞんでいる。


どうせ、このまま嫁にこいとでも言いたいのだろうけど、そう簡単には口説かれてやらないぞ。と、意地悪な笑顔をかさねて返す。



王族席には退屈そうにした第2王子の顔も見える。


原作でカロリーナを断罪し婚約破棄をつきつけたエリック王子。さらさらの金髪に、うつくしい顔立ち。まさに攻略対象にふさわしい容姿の王子様。


たしかにゲーム期間の学園生活中、惹かれはしたけど〈ちょっといい感じ〉以上の関係に発展することはなかった。


凛々しいふる舞いとは裏腹に、なかみの浅薄さが、いまならハッキリと分かる。


しょせん、ヒロインにロックオンされたら、簡単に浮気するような男でしかないのだ。



国王陛下がわたしの世襲総督への任命を厳かに宣言され、王妃陛下から胸に徽章をつけていただく。


女性ではじめて総督になるわたしのためにつくられた、あたらしい儀礼。


ふり向くと、わたしだけに向けられた拍手が、ひろくてたかい大広間を揺るがすようにひびき渡った。



総督――、



属州における、王権の代行者。


行政権はもちろん、軍事権も委ねられ、


騎士団をふくむ陸軍の元帥、海軍の提督をも従える権能を有する。


他国からは国家元首として扱われることもある、王国の重責だ。



鳴り止まない拍手のまえで、はにかみそうになる頬を引き締め、職責にふさわしい毅然とした表情を保ち、優雅にカーテシーで一礼した。


もちろん、最初からこんな華々しい地位を望んだわけではない。


いまは亡き母の遺したミカン畑を、わたしは守りたかっただけなのだ――。



   Ψ



故郷にもどる電車のなかで、うたた寝していたはずのわたしは、



おぎゃあ!



と、自分の声に驚いた。


つぎの瞬間には、生まれたばかりの赤ん坊として抱き上げられる。


カロリーナと名付けられてようやく、乙女ゲーム『アゲリベ』の世界に転生したのだと気がついた。



――こういうのは、はやくても5歳くらいで記憶を取り戻して、両方の知識と経験を活かして大活躍するものではないの?



と思ったけど、完全に日本の田舎娘としてアイデンティティが確立していたわたしは、公爵家令嬢としてはきわめて控え目な〈ふつうの令嬢〉に育った。


そして、いつもわたしにやさしく微笑みかける年下の母親、19歳でカロリーナを産んだソニア・シュタール。


彼女がゲーム期間の開始前、カロリーナが13歳の春に病いで亡くなることを思い出し、わたしは愕然とした。



ソニアはいつも優しく、たっぷりの愛情を注いでくれた。



「カーニャはわたしの宝物!」



と、あたたかい胸のなかに抱きしめてくれるのは毎晩のこと。


自営業にいそがしく、いつもほったらかしだった日本の母とはちがい、ずっとわたしのそばにいてくれた。


わかい母親の愛情にこたえて、わたしも夢のように楽しい日々をすごす。


運命を変えられないものかと祈りながら幼少期をすごしたけど、結局、病いは非情にも母ソニアをうばっていった。


25歳で転生し、通算38年の人生で、あんなに泣いた日はない。



母のいない王都は、わたしの苦手な都会でしかなくなり、はやく母の遺領に移り住みたかった。


だけど、高位貴族の子女は王立学園を卒業するまで王都を離れられない。ゲームの舞台となる学園にすすむしかなかった。



美貌と公爵家の権勢で学園に君臨した悪役令嬢カロリーナだけど、なにせ中身がふつうの日本人だ。


うす紫にかがやく長い銀髪と、マリンブルーの瞳、類稀なる端正な顔立ちに抜群のスタイルは、生徒たちの注目のまとになったけど、



――いや、自分、そういうのガラじゃないんで……。



と、終始および腰だったわたしは、翌年に入学してきたピンク髪ふわふわヒロインのかがやきにまぎれ、平穏な学園生活を送ることができた。


ありがとう、ヒロイン。


わたしはゲームで何度もあなたの人生を生きて、ささくれた心を救ってもらったよ。



「カロリーナ様のことを、お姉様ってお呼びしてもいいですか?」



という原作にまったく覚えのない申し出には、



――ゆ、百合ルート!? わたしと!?



と焦って、やんわり断ったけど、さすがヒロイン、とてもいい娘だった。


逆ハーレムでもなんでも、好きなルートで人生を謳歌してくれ。



同級生の第2王子からは3度デートに誘われ、かるく噂になったけど、青春の甘酸っぱい思い出以上の関係には進展しなかった。


原作のようにわたしが強引に婚約者にすることもなかったので、エリック王子が〈真の愛〉に目覚めることもなく、もちろん断罪イベントもない。


ただただ亡き母が病床で、


「あの一面のミカン畑をカーニャに見せてあげたいわ。初夏に咲く、まっしろな花がとてもキレイなの」


と語ってきかせてくれた、辺境の領地に移住できる日を心待ちにしていた。



   Ψ Ψ Ψ



「うわっ! 磯の香りだ!」



峠をこえると馬車のなかにまで、ふわっと懐かしい匂いがひろがった。


日本の故郷は、ひなびた港町。歴史上ずいぶん前には栄えていたらしいけど、すっかり過疎の町だった。


転生して17年。ようやく故郷に帰りついたようで、妙にテンションがあがる。



「潮風はミカンを美味しくさせるそうですから」


「ええ、知ってるわ! お母様が何度も話してくださったんだもの!」



侍女のなかでただひとり、辺境の領地ロッサマーレまでついて来てくれたリアへの返事も、テンションが高くなってしまう。


しかたありませんわね。といった微笑みを返すリア。


ながい黒髪をいつもポニーテールにまとめてる、長身クール腰細なできる侍女だ。


結婚には興味がないらしく、王都を離れわたしと一緒に移住してくれる。



春に学園を卒業し、すぐに移住の手続きをとった。ひと月ほどで許可が下り、わたしは晴れて王都を脱出した。


王都にうらみはない。


ただ元はといえば、さびれた港を横目に自転車で片道40分かけて高校に通い、大学には電車で片道1時間半かけて通った田舎育ちだ。


就職で田舎を出て、住んでみるまで気づかなかったのだけれど、


とにかく都会が合わないのだ。


遊びに行くのは楽しい。だけど、住むのはまったくダメだった。



馬車は峠をくだり、母の遺した山荘に到着した。



「うわぁ~! これかぁ~っ! お母様がわたしに見せたかった景色!」



見上げる山肌の一面に、真っ白のミカンの花が咲いている。しばし、言葉を忘れて見惚れてしまった。


卒業からひと月経って、ちょうど見ごろに到着することができた。


待たされたのは王国の制度によるものだけど、あたかも亡き母が頃合いを見計らってくれたみたいにキレイな景色。


傾斜にそって植えられたミカンを視線で追うと、山の斜面がそのまま海に沈み込んだような海岸。


こちらは、日本の故郷にそっくりだ。



早速、リアに手配してもらってミカン畑を登る。


日に焼けた肌がまぶしい老農夫が、帽子をとって挨拶してくれた。



「姫様に最後に見ていただけて、ミカンも喜んでおりますわい」


「ん? ……最後?」


「……売れんのです。いや、売れはするのですが、どうにもこうにも安くしか売れんのです」



ヤンと名乗った老農夫は、さみしそうにミカン畑を見渡した。



「ミカンじゃ食えんので、息子は出稼ぎに行ったまま帰ってこれんありさまで。……亡くなった奥様にもよくしていただきましたが、ここらが潮時ですわい」



お母様が大切にしてきたミカン畑。


やっとたどり着いたと思ったら、いきなり廃業――っ!?


困る。それは、とても困る。

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