いつものアレか……

『なんというか、今日はついてないな。よりにもよって、明日提出の課題を忘れるとか』


 鈴木に肩透かしを食らった日の放課後。


 一度帰宅したはずの坂田は教室へ忘れ物を回収するべく、再び学校を訪れていた。


 だいぶ人気の減った暗い廊下を歩き、真直ぐ自分の教室へ向かう。


 そうしていると、不意に親しげに会話を交わす男女の声が聞こえるようになった。


 声量や音の方角をたどるに、声の発生源は坂田の目的地でもある彼の教室だ。


『まだ残ってる奴いたのか。勘弁してくれよ』


 坂田はガラリとドアを開けた途端に静まり返って、一斉に自分の方を見てくる教室内の生徒たちの態度がすこぶる苦手だ。


 そのため、坂田はいきなりドアを開けるのではなく、まずはドアについている窓から中を確認することを決めると、息を殺してゆっくり動き始めた。


『あれは……上田と鈴木さんだ。珍しいな』


 こっそり覗いた教室内では上田と鈴木が二人きりで会話をしているのだが、いつもにこやかな上田は勿論のこと、普段は無口無表情な鈴木も何やら興奮しているようで、真っ赤な顔で目を輝かせながら何事かを語っていた。


『何の話をしてるんだろ。良く聞こえないけど、流行の音楽とか動画の話かな? 鈴木さん、かわいいな』


 ギャップ萌えという奴だろうか。


 普段は物静かな鈴木がニコニコと笑顔で何かを話したり、興奮する勢いのままにバシバシと机を叩いたりしているのを見ていると、不覚にも坂田の心臓がキュンと甘く鳴った。


 そして、それと同時に、『ああ、そういうことか』と、坂田はこれまでの鈴木の行動に腑に落ちるような感覚を覚えた。


『鈴木さんは、俺に上田との仲を取り持ってほしかったんだろうな。なんだ、そっか、いつものアレか』


 上田は坂田の幼馴染なのだが、彼はとにかくモテる。


 そのモテっぷりは小、中、高校での生活において一学期中に一度も告白をされなかったことがなく、加えて、バレンタインのチョコには困らないが、貰いすぎてお返し先が分からずホワイトデーには悩まされるという、なんとも羨ましい経験を豊富に積んでしまうほどだ。


 そして、そんな彼と仲が良く、無害な小動物的オーラを放っている坂田には上田との取次ぎを頼みやすいようで、よくそれ関連で女子生徒から声をかけられてきた。


 坂田史上、最もしょっぱい経験が、


「バレンタインデーに女子から貰った焼き菓子が上田との仲を取り持つよう頼むのに用意した賄賂だった時」


 であり、最も悔しくて悲しかったのが、


「仲を取り持つのを断った時に罵詈雑言を浴びせられ、上田と関わるためのきっかけにすらなれないなら、お前に価値はないと言いきられた時」


 である。


 今まで坂田に寄ってきた女子は全員、上田狙いで、坂田のことなど眼中になかった。


 だからこそ、坂田は女子を警戒していたし、愛想よく接せられても絆されたり、うっかり好きになってしまわないように気を付けていた。


 ただ、今回は鈴木の様子が今までの女子に比べて特殊だったから、すっかり上田関連の警戒をするのを忘れてしまっていた。


『よく考えればわかる事だったのに、バカなことを考えちゃってたな。そっか、多分、鈴木さんは俺に上田への取次ぎを頼みたくて、でもタイミングを逃したり、上手く言葉を見つけられなかったりして、それでずっと俺を見てたんだろうな』


 坂田は何となく、もう一度だけ鈴木の姿を確認した。


 少し前までテーブルに突っ伏してバタバタと指を動かし、鍵盤を弾くように机を叩いていた彼女は、今はシッカリと顔を上げて嬉しそうな表情で上田とお喋りをしている。


 その姿は正に、恋する乙女だ。


 真っ赤な顔で一生懸命に言葉を出している姿がかわいくて堪らなくて、坂田はどんなに悔しくても早くなる鼓動を止められなかった。


『なんか、一瞬でも相手にドキッとしたり、好意を期待して浮かれた瞬間に現実へ叩き落されるのって、もはや俺の逃れられない宿命なのかな』


 頬を赤らめてすり寄ってきた女子が上田の話をしだした時の絶望感は何度味わっても慣れない。


 特に今回は、数週間かけて鈴木が自分のことを好きな可能性を探り、もしかしたら春が来るかもしれないと浮かれていたから余計に空しかった。


『ま、まあ、いいけどね! 別に俺、鈴木さんのこと好きだったわけじゃないし。むしろ、変な風に勘違いしたままで格好つけて大怪我する前に真相を知れたから、かえって命拾いしたし。視線の原因だって、分かればさほど怖くないし。むしろ、普段はムカつくからって理由で上田への取次ぎを全部断ってるの、鈴木さんには融通してやってもイイかなってくらいね、あのね、こう、そう思えるくらいスッキリしてるからね。だから、だからいいけどね。別にいいけどね!』


 悔しくて悲しい心をいつもの負け惜しみで覆い隠す。


 坂田は鈴木へのサービス精神のつもりで一つ開けていた前ボタンをキッチリと閉じると落ち込んだ。


 そして、二人と鉢合わせるのが嫌だからという理由でトイレへと逃げ込んだ。


 それからトイレの個室でY○uTube鑑賞をする優雅なひと時を過ごした後、坂田は静かに教室へ戻ってきた。


 せめて鉢合わせるなら上田で! そうしたら、「よ! このモテ男!」と茶化せるから! と、必死に祈りながら教室に入り込んだ坂田の前に待っていたのは、鈴木の方だった。


 鈴木は坂田が教室に入って来たのに気がついていないようで、のんびりと帰宅の準備をしている。


「こんにちは、鈴木さん」


 坂田が声をかけると鈴木は少し目を大きく開いて驚いた表情になった後、

「こんにちは」

 とだけ返事を返してきた。


 気がつけば鈴木は無表情に戻っている。


 頭の片隅ににこやかな鈴木がいたから坂田の胸が人知れずチリチリと痛む。


 坂田は、少しだけ考えてから小さな決心をした。


「鈴木さんさ、さっき、上田と教室で喋ってた?」


「うん。少しね。どうして?」


「いや、実はさっき、教室の前を通る時に見かけたんだ。本当は忘れ物を取りに行こうかと思ってたんだけど、二人があんまりにも仲良さそうに話していたから、邪魔をするのも悪いと思って、会話が終わりそうな時間まで適当な場所で時間を潰してた」


 坂田がにこやかに言って後頭部をかくと、鈴木が一瞬、固まる。


「そうだったんだ。ごめんね」


「いや、大丈夫だよ。それより、鈴木さん、良かったら俺、鈴木さんのこと協力させてもらってもいいかな?」


 坂田は鈴木から上田の話題を出されて勝手に裏切られたような気分を味わったり、いつ、彼女から話を振られるのだろうと一喜一憂させられたりするのが嫌で、ならばいっそのことと協力話を持ち掛けることにした。


 しかし、鈴木にはうまく話が伝わっていないようで、彼女は、

「私のこと?」

 と、不思議そうに首を傾げている。


 キョトンとしている鈴木に坂田は苦笑いを浮かべた。


「正確には、教室での例のことかな。鈴木さんと……ほら、ね?」


 上田とくっつけてあげる、とか、上田との仲を取り持ってあげる、とまで言うのは何だか難しい気がして、坂田は言葉をぼかした。


 そうすると、一拍おいてから鈴木の顔がボンと発火したように真っ赤に染まる。


「聞こえてたの?」


「聞こえてたっていうか、まあ、鈴木さんの様子を見てたらさ、分かっちゃうよ。それでね、もしも鈴木さんさえよければ協力できることがあると思うから、よかったら頼ってよ」


「え!? で、でも、いいの?」


「うん。大丈夫だよ」


 協力話を持ち掛けた途端、鈴木は頬を染めてソワソワ、モジモジし始め、チラチラと坂田を見るようになった。


 坂田は、酷くガッカリしたような、悲しい気分になった。


『勝手に、鈴木さんは他の女の子とは違うって、どうしてか思ってたんだろうな』


 今まで自分が見てきた女子たちと鈴木が同じ態度をとっているからガッカリ感を覚えたことに坂田は自分で気がついていた。


 それが身勝手な感情であることも知っていたが、どうにも絶望感を癒すことはできなかった。


「とりあえずさ、L○NEを渡すのでいい?」


 鈴木の為ではなく自分のために、坂田は優しい態度を作るとスマートフォンを彼女の方に傾けた。


 コクコクと頷く鈴木と連絡先を渡し合う。


「とりあえず、今のところはこれで。細かいことに関しては家に帰ってからね」


 坂田は今、気を張って明るく振る舞っているが、元はコミュ障だ。


 対面でのやり取りが苦手であり、話題も十中八九、鈴木からの恋愛相談である以上、できれば会話はチャット上で行いたかった。


 そうして、自分の言動や感情をコントロールしながら話をしたかった。


 そんな坂田の心を知ってか知らずか、鈴木はアッサリ彼の提案をのんで頷いた。


「坂田君、ありがとう」


 まだ坂田の連絡先しか入っていないというのに、鈴木は大切そうにギュッとスマートフォンを抱き締めるとペコリと彼に頭を下げた。


 よく見れば目元が柔らかく笑んでいて、背後からはふわふわと甘いオーラを放っている。


『やっぱり、ちょっとだけかわいい』


 坂田は認めないだろうが、彼は放課後、軽い失恋を味わった。


 そのため、坂田は自分には向けられない鈴木の乙女っぽい表情や仕草を思い出して妙に落ち込みながら帰宅した。


 そして帰宅後、毛布の中に潜り込むと、なかなか鈴木へのメッセージを打てずに沈み込んでいた。

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