40:みーこ、陥落

「おいこら、お前ら! 教師の目の前で何をやっとるんだ!? やめろ、やめんか!」

 大勢の生徒が二人の生徒を足蹴にするという衝撃的な現場を見て茫然自失していた先生方が我に返ったらしく叫んだ。


「先生っ!!」

 野田を最初に足蹴にした女子が勢いよく振り返り、華麗にターンを決めて松枝先生に詰め寄った。


「私も暴力を振るいました! 成瀬くんが処罰されるなら私も同罪ですよね!?」

「そうですそうです! 私もです!」

「成瀬くんが転校するなら私も転校します!」

「私も! 成瀬先輩のいない時海に価値なんてありませんっ!!」

 口々に私も、俺も、と賛同の声があがる。


「むう……」

「松枝先生、まずいですよ。成瀬はカリスマ的人気を誇る生徒なんです。不当に処罰すれば暴動が起きかねません」

 小声で道長先生が松枝先生に言った。

「それに、成瀬は学年トップの成績優秀者です。転校なんてされたら、我が校の現役有名大学進学率に影響が……」

「それは困るな……」

 先生たちは打算に満ちた会話を行った後、固唾を飲んで見守っている生徒たちに言った。


「ああ、わかった! お前らも成瀬も不問に付す! ただし今回限りだ、二度とこんなことはするなよ!?」

「はい、わかりましたっ!」

「松枝先生、大好きー!」

 生徒たちのテンションは最高潮。

 その騒音で目を覚ましたのか、野田が音もなく、ゆらりと幽鬼のように立ち上がった。


 彼の制服は、生徒たちが容赦なく踏みつけ、蹴飛ばしたおかげで泥だらけだ。

 凶悪な目つきで彼が睨むのは、葵先輩の背中。


「葵先輩!」

 警告を発するよりも早く、野田が動き、問答無用で葵先輩に殴りかかった。

 葵先輩はまだ振り返ったばかりで、不意打ちに対処しようがないように思えた。


 漣里くんが野田を止めようとしたけど間に合わない。

 間に合う距離じゃない!

 体温が奪われる感覚に襲われた直後、横からみーこが飛び出した。


 彼女は野田の腕を掴み、

「せいっ!」

 掛け声とともに、豪快な一本背負いを決めた。


 鈍い音を立てて野田が撃沈する。

 今度こそ気絶した野田を見下ろし、みーこは獲物を仕留めたとばかりに、腰に手を当てて鼻を鳴らした。


 おおおおお、とギャラリーが沸き、拍手まで起きた。


 悪を倒した勇者のように、大きく手を振ってギャラリーの歓声に応えているみーこに、葵先輩が歩み寄る。


「中村さん、だよね?」

「えっ。どうして私の名前を?」

 みーこは手を下ろし、目を瞬いた。


「深森さんから君のことは聞いてたから。助かったよ、ありがとう。でも、今のは僕も間に合った」

「……余計なことでしたか?」

 みーこが不安そうな顔をする。


「そうだね、守ろうとしてくれた気持ちはもちろん嬉しいけど、女の子に守られるのは僕の本意じゃないな。立場が逆だ。女の子を守るのが男の仕事でしょう?」

「いえ、でも、私、柔道部ですし……強いですよ? 見たでしょう?」

「ううん。柔道部だろうと、いくら強かろうと、関係ないよ」

 葵先輩は頭を振って、優しく微笑んだ。


「可愛い顔に傷でも作ったらどうするの。女の子なんだから、無茶はしちゃだめだよ。もっと自分を大事にして」

 光り輝くような葵先輩の笑顔に、ぶわっと、みーこの顔が真っ赤になる。

 彼女の周囲に花が乱舞する幻影が見えた。


「は、はいぃっ……!」

 みーこは握った左手を右手で覆い、その手を口元にやった。

 二人の頭上で教会の鐘が鳴り、小さな天使たちがラッパを吹いている。


 ……落ちたな、みーこ。

 もう彼女の脳内からは浮気性の彼氏の存在なんて完全に蒸発していることだろう。


「さあ、後は任せて保健室に行っておいで」

 葵先輩は一人の女子を陥落させた事実に気づくことなく、こちらを見てそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る