11:とても幸せな日
どれだけ粘っても、漣里くんは頑として私の分を払わせてはくれなかった。
次は必ず奢ると誓いながら、私は漣里くんに続いてお店を出た。
たちまち、真夏の熱気が容赦なく襲い掛かってきた。
このまま外にいるのは危険だ。
一刻も早く涼しい場所へ避難するべきだと本能が訴えている。
「せっかく繁華街にいるんだから、何かする? 行きたい店とか、したいこととかある?」
眩しい日差しに目を細めながら、漣里くんが言った。
「え、えーっと……」
どうしよう。
せっかくだからショッピングでもする?
でも、漣里くんを付き合わせるのは気が引ける。
そもそも私はただの知り合いで。
友人とすら思われていないわけで……
「私は駅前の本屋にでも行こうかな」
「なら付き合う」
「え、でも、長くなるかも……」
「いいよ。どうせ暇だし。兄貴にもゆっくりして来いって言われた」
「……そっか。じゃあ、付き合ってもらおうかな」
笑顔を作って歩き出すと、漣里くんは自然と私の右隣に並んだ。
一緒に歩くとき、漣里くんは車道側を歩いてくれる。
私に気を遣ってくれているのだろう。
彼はいつも優しい。
――でも、それは私が特別だからじゃない。
きっと誰に対しても、彼は優しい。
笑顔を向けてくれたことだって、何も特別な意味なんてなかった。
パンケーキでも彼は笑うんだ。
おいしいものを食べたときだって、彼の無表情は崩れるんだ。
――真白ちゃんのこと気に入ってるみたいだね……
違う。全然、違った。
――本当。おまじないしてもらったから。
あの笑顔も、私の手を包んだ温もりも、何もかも。
何一つ、特別なことじゃなかった。
何を言えばいいのかわからず、ただ足元を見つめて黙っていると。
「なんで泣きそうな顔してるんだ?」
漣里くんが問いかけてきた。
「…………」
そんなことないよ。
笑ってごまかそうとしたけれど、彼の瞳はまっすぐすぎて、嘘をつけなかった。
「……ちょっとこっち来て」
通行人の邪魔にならないよう、私は漣里くんを連れて道端の日陰に入った。
彼と向かい合い、息を吸って、言う。
「……私は漣里くんにとって、ただの知り合い、なんだよね」
「先輩がそう言ったんだろ」
すぐに言い返された。
「………………え?」
きょとんとしてしまう。
……私、そんなこと言ったかな?
「え? いつ?」
「深森食堂で。ご両親にそう言った」
漣里くんの声には少しだけ、拗ねているような響きがあった。
「………………あ!」
そういえば、言った!
お母さんにからかわれて、むきになって、つい!
あのとき、漣里くんには厨房でのやり取りが聞こえていたらしい。
全く普段通りだったので、聞いていないのかと思っていた。
「あれはお母さんにからかわれたから焦って、ついそう言っちゃっただけで、ただの知り合いだなんて思ってないよ!? 漣里くんのことはもっと大切な人だと思ってる!」
漣里くんが不機嫌そうに見えたので、私は慌てて言った。
「なら、俺たちってどういう関係?」
返答に困った。
改めて聞かれると、私たちってどういう関係なんだろう?
ただ事実だけを言うなら。
「……学校の先輩と後輩……?」
「要するに同じ高校生。やっぱりただの知り合いでいいんじゃないのか」
「でも、私は友達になれたらいいなって思ってる! 漣里くんの友達になれるように努力したい!」
両手を握って叫ぶと、漣里くんは目を大きくした。
私の顔は多分赤くなっている。
それでも、正直な気持ちを伝えたかった。
道行く人たちが私たちを見ている。
恥ずかしいけど、他人の視線なんて、いまはどうでも良かった。
「……そんな大真面目な顔で友達になりたいって言われたの初めてだ」
少しの沈黙を挟んで、漣里くんはふっと微笑んだ。
「いいよ。友達になろう」
「うん!」
肯定の言葉が、弾けるように口から飛び出す。
「じゃあ、これからは友達として、ちゃんと名前で呼んでほしいな」
実は前から気になっていたのだ。
「わかった。真白」
「!?」
心臓が大きく跳ねた。
いや、確かに名前で呼んでほしいとは言いましたが!!
ただの『先輩』じゃなく、ちゃんと『深森先輩』と呼んでほしいという意味だったんですが!?
まさか躊躇いなく下の名前で呼ばれるとは思わなかったんですけども!?
親戚でも家族でもない男の子から呼び捨てにされたことなんてない。
どんなに頑張っても名字の『深森』だ。
「……顔真っ赤だけど、大丈夫? やっぱり先輩に戻す?」
「え……あー……いやっ、真白でいいよ! 私も名前で呼んでるし! うん、真白でいこう!」
私は赤面しつつ、こくこく頷いた。
「じゃあ真白だな」
漣里くんは心なしか、楽しそうに私の名前を呼んだ。
――それから私たちは本屋へ行って、雑貨巡りをして、楽しい時間を過ごした。
別れ際には、またスイーツを食べに行くことを約束した。
総じて、とても幸せな一日だった。
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