第2話
いくつ話すつもりなんだろう。
えらく長く話した気がするのだけれど、すらすら口をきくこいつは疲れた様子も無く、景色も変わらんもんなんで、ちょっとの間のことだったのかと錯覚する。
しかし頭の中で読み上げられる言葉は膨大であるので、やはりこいつの喉が頑丈なだけなのだ。
「いくつでも話すよぅ。おまえが思い出すンまでね」
わたしが思い出すまで?
「そう。おまえが思い出すンまで。おまえはぼくを、ずぅっと待っとんたんやから」
「わたしがおまえを? 」
「そう、おまえが、ぼくを」
波風ひとつ立たないはずのこの川に、ざぁあっと強い風が吹いた。軋みながら、船首がゆらゆらと進路を変える。
慌てて舵を取ろうとしたわたしの手から、一足早くお客が櫂を強く蹴り上げ、水底に落としてしまった。
「何をするんだ! 」
「いらないものだからね。さあ、話をしよう」
話すことなど何もない。……ない、はずだ。
「わたしはおまえなんて待っていない。あれは大事な仕事道具なんだぞ」
「もう、いらないもんや」
わたしは船の縁に足をかけ、泣きたい気持ちで水を覗き込んだ。
わたしはここがどれほどの深さなのかも、水底に何があるのかも知らない。
けれどもう、こうなったら、飛び込んで船首を進路へ戻すしかない。
水はどろりと渦巻いている……よし、いち、にい、さん、で飛びこまなくては……。
その時、そいつは座ったまま腕を伸ばし、わたしの腕をグッ、と掴んで座らせた。
「じゃあ、次の話をしよう」
「……なあ、いくつ話すつもりなんだ」
わたしは項垂れて言った。
「おまえが思い出すまで。十で足りなきゃ二十。二十で足りなきゃ五十。百も話せば、おまえは帰る気になるやろか」
「船が付くまでって、言ったじゃあないか」
「足りなきゃ何度でも話す。ぼくが思い出して、あんたが思い出すンなら、ぼくは苦しいことも痛いことも怖いことも、しんどいことは全部思い出しながら話す」
「そんなのは聞きたかあないよ」
「おまえは聴かなァあかんにや。ええか」
ときおり強い風が吹き、そのたびに船はぐらぐら揺れ、進路から遠ざかっている。
わたしは手ずから水を掻き、進路を変えなければならないのだ。だけど体が動かない。なのにこいつが腕を離さない。
揺れる船の上、そいつはわたしの腕を手繰り、指を絡めてしっかり握りしめた。間近で見たそいつの目は、濡れてきらきらと光っている。
「怖いなら、ぼくを離さんといて」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます