第10話 健、他国で戦う②
晴れの空から一転して降り出す雨というのは、大概が猛烈な勢いのものだ。
止むのもまたそう時間は掛からないから、どれだけ緊急的にでも雨宿り出来る場所を見つけるか。そこが重要になってくる。
だからこそ、健達は雨が降り出す前に急ぎ足を進めたわけであるが、その結果はと言えば、辛うじて失敗だったと言う結果になるだろうか。
「いやー、濡れてもうたねぇ、すっかりー」
「アイリンさんの足が、想定より遅かったんですよ。もう少し進めば、集落まで辿り着けたはずなんですが」
などと会話しつつ、健はアイリンと共に、自らの服の裾を絞っていた。
雨の水がぼたぼたと地面を湿らせる。つまり、今いる場所は濡れていない。不幸中の幸いと言えば良いのか、雨が本格的になった頃合いで、やや道から外れた場所に建っている襤褸屋を見つけたのだ。
戸締りなどもされていないというか、壁に穴があちこちに空き、外からの風が入り込んで来る様な場所であったが、それでも屋根があってくれた。
雨漏りする場所さえ避ければ、今以上に濡れそぼつ事もあるまい。
「火、今から点けます。囲炉裏らしきものもありますが、随分捨て置かれてる様子で、上手くやれると良いんですが」
襤褸屋はもう随分と、人が住んでいない様子である。一方で、火は手持ちの火打石と、襤褸屋内に辛うじてあった薪のおかげで、予想よりすぐに用意する事が出来た。
(多分、こういう風に利用する人間が俺達だけじゃ無いんだろうな……)
近くに集落があったとしても、こんな風に雨に打たれる者もいるだろう。そういう時に使われており、誰かしらが親切心で薪などを残して行ってくれているのかもしれない。
「今日は暖かいし、服を脱ぎながら乾かす必要無いのが良かったねぇ」
「こういう場所で、二人して服なんぞ脱ぐ事になるなら、俺は外で濡れるつもりですからね、アイリンさん」
「初心なんか覚悟が決まってるんか分からへんね、タケルくんは」
アイリンの方こそ、海外人と言えども、ウミウチの基準で美人の類である事を理解するべきでは無かろうか。
そういう女子が旅をしたり、男子の前で無用に肌を晒す事がどれだけ危険か。
「大陸では、そんなに安全な旅が出来るのですか?」
「うんー? 旅に危険は付きもんよー? 当たり前の事やろー?」
むしろ疑問符を浮かべられる。世間知らずはこっちという事なのだろうか? アイリンは存外、自分の身は自分で守れる性質なのやも。
「護衛と案内役として、こう言うのはどうかと思いますが、アイリンさんの事は良く分かりません」
「そこはお互い様やと思うけどねぇ……せや! 雨が止むまで、お互いの事について話さへん?」
二人して火が点いた囲炉裏の近くで座り、囲炉裏を挟む形であるが、顔を向き合わせた。
「時間潰しをするのなら賛成ですが、お互いの事と言うと、ええっと、名乗りは既に終えてますよね? 他に何を言うべきか……あ、そうだ、持つ武器の飾り付けの好みについてを―――
「そういう細かい事は置いといて、相手にとって知りたい事を交互に質問するとかどうやろ? これならお互い、聞きたい事を聞き合えるやろー?」
武器の飾り付けは聞きたい事では無いのだろうか? 海外人、もしくは女子の心というのは難しい。
「まあ良いですけど。では、俺の方はちょっと考えますので、そちらからどうぞ」
少なくとも、現時点でお互いの事を知っておくのは大切だと健も思うので、乗り気で話を始める。
「うちの方からは、実はもう決まっとるんよ。タケルくんは、安威国から頼まれた仕事としいて、うちの案内役をしてくれてるんやろ?」
「情を絡めずに言うのなら、そういう事になりますね」
「そこなんよ。情の方はどうなっとるん? お仕事やから、真面目にしよーって、それだけなん?」
尋ねられたので、健は考える。
あんまり考えたりはしていなかったが、実態としては確かに、安威国の仕事としてアイリンに付き添う事になった。
だが、それだけだと表現するのは、些か健の考えと乖離している。
「ええっと、忠義や義理……いえ、そんな事を考え始める程の関係性でもありませんよね」
「せやねー。仲良うしたいとは思うとるけど、それはこれからの話やし、だからここでこういう風にお互いの事を知ろうとしとるわけとー」
「ええ、はい。ただ、やっぱり仕事だからってだけで無いのは事実なのですよ。本朝、八馬瀬国には、俺のも向かうべき理由があるんです」
「ああ、そういえばそんな事を聞いたような? お互いに八馬瀬国に行く言うんやったら、確かに一緒に行く理由になるもんねぇ。けど、どんな理由なん?」
「これです」
言いながら、腰に差したままの大刀の柄を指さす。
「大刀……やんねぇ?」
「はい。刀持ちにとっての、一番重要な……心の様なものです。ですが、これだけではまだ半人前でして」
「経験不足言うことー?」
アイリンの言葉に対して曖昧に笑う。当たっては居るのだが、話題としては正解では無かったからだ。
「経験もそうですが、物も必要なんです。一人前の刀持ちは、この大刀と、大鎧、大弓。この三つを所持するものなんです」
「剣と鎧と弓……戦士とか騎士みたいなもんやもんねぇ。そういう立場やって名乗るつもりなんやったら、装備を自前で用意しておかなあかん言う事かぁ」
「だいたいはその様な形です。そうして、ウミウチにおいて、大鎧を作る技術というのは、特定の国しか持っていないものでして。それも数が少ない」
「じゃあ、八馬瀬国が?」
「その通りです。その数少ない国の一つで、俺は刀持ちとして、そろそろ八馬瀬国へ大鎧を拝領するために向かうわけです」
大刀は各国がそれぞれに生産しているものであり、それを与える事で、それぞれの国がそれぞれの基準で自国の刀持ちを決めている。
一方、その成ったばかりの刀持ちが、刀持ちとして一定の経験を積んだ後には、多くの国において、大鎧を生産出来る国へ訪問を行うという、儀式染みた作法があるのだ。
「一人前になるための、通過儀礼……みたいなもんやろうか? 刀持ちなるためには、大鎧一つくらい買ってきなさーい言う風な?」
「そう言われると子どもの買い物みたいな物に聞こえるのですが……いえ、事実として、そうかもしれませんね。俺はまだまだ、未熟な刀持ちだ」
「前に魔性と戦った時は、立派に無茶をしとった様に見えたけどねぇ」
「ただ力を振るうだけでは、どれだけ強くても刀持ちとしては未熟です。もっと確かな立場に立つ人間なんです。刀持ちは。海外人相手には説明が難しいですけど」
上手い表現が出来ない。これは健の見識が狭いというよりは、他の誰だってそうだろう。刀持ちという存在を、一言二言で表現されれば、むしろ沽券に関わるという事でもあった。
「詳しい事はこれから、幾らでも聞けると思うからそれでええけど……せやったら、大弓は? 大弓も必要なんやろ?」
「それは……もっと説明が難しいです」
「難しい事ばっかりやねぇ、刀持ちって」
そうなのだ。刀持ちというのは難しいのである。健だって日々、頭を悩ましてばかりだ。
特に大弓に関しての説明なんて、健だって理解し切れていない。
先達の刀持ちから、話は聞いているのだが、未だにしっくり来ないのだ。
「とりあえず、俺への質問はこれで良いじゃないですか。次は俺の番でしょう?」
「あー、乗り気になって来たねぇ。そうそう。こういう会話をしながらの旅の方が、きっと楽しいし前向きなんよー」
こういうアイリンの言葉を聞くと、健が上手く乗せられている気分になるが、悪い気分でも無かったので、深く追求しないでおく。今、口から発するべきは、アイリンに対する単純な疑問だ。
「アイリンさんは、らどりにあ教……でしたっけ? その教えをウミウチに伝えに来たんですよね?」
「せやよー。タケルくんには、もうラドリニア様の奇跡は見せたけど、お話に関してはもーっと大切な事を教えてくれるから、一度、うちの説教を聞いて欲しいと思うとるばい」
「そ、それについてはまた今度で」
小難しい話は苦手である。教えと言うくらいなのだから、それはもう、高尚で難解な話が展開されるのだろう。
少なくとも雨に濡れて、襤褸屋で凌いでいる時に聞きたい話では無いはずだ。
「俺が今、聞きたいのはですね、どうしてわざわざその様な教えを、遠く離れたウミウチまで教えにやってきたのですか?」
アイリンという人物が立派な人間だったとして、そうであればあるほど、ウミウチに来る必要性というのは無くなるではないか?
「うーん。ラドリニア教には、他者へ何かを授ける事に、壁を感じてはならない言う教えもあって、布教には積極的なんやけどね?」
「その教えだけで、遥か海を越えて?」
「それだけ……と言われると、恥ずかしい話やけど、ちょーっと違うんよ。ラドリニア教以外の教えを持つ国言うんも、本国にもっと近い場所にもある程度あるし、そこの方が移動やって簡単やしねぇ……ただ、やっぱり聞いた噂のせいでもあると言うか……ほら、前にも言うたやろ? ウミウチでは、こういう神様の教え言うんは、失われたって話」
その答えを聞いて、健は首を傾げた。
「いえ、失われたというより、そもそも無い……誰か来ましたね」
健は座ったままの姿勢で、やや身構える。外からはまだ雨の音が聞こえて来たが、その合間に、ぴしゃぴしゃと水に濡れた足音がこちらへと近づいて来ていたのだ。
次には、健達が居る襤褸小屋の扉を叩く音。
「失礼、どなたかいらっしゃる様ですが、この雨です。暫し屋根を貸してくださいませんか」
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