自己心中

Rio

第1話

 土曜日、朝の11時。バイト先のファミレス。

客の勢いは止まることを知らず。わらわらと家族連れ、サラリーマン、学生、老人がドアを引っ切りなしに通る。その度に鳴り響く入店の腑抜けた音のチャイムが先程から鬱陶しくて堪らない。

 フロアは俺を含めて2人、厨房の連中と佐々山という同年の女子大学生と共にこの店を回している。あと1〜2時間すれば主婦の皆様方の応援がやってくるのだろうが、そこまでこの大量の注文を捌き切る自信は自分には毛頭無い。

 現に、キッチン前カウンターにあるハンディーから送られて、オーダー用紙を吐き出し続ける機械が先程から止まる様子は無い。


 それでもキッチンは慌てる様子も無ければ、先んじて調理の用意する様子も一切無い。何をしているかと思えば雑談し、笑っているだけ。奴等の人間性を恨みたいが、恨んだ所で現状が改善されるわけでも無い。

 なら、こんな無茶なシフトを組んだ店長に矛先を向けるべきだろうか?いや、そもそも今日は来る予定は無い。


 恨めしい。つくづくそう思う。それを誰かに伝えたかった。


「あ、威崎君。オーダー早く行ってね。コール2回かかってるでしょ?急がないと。客さん待たせてるんだから」


 四苦八苦している中、キッチンの中で川内が会話を中断し指図をしてきた。


「あ、はい…すみません」

「それとドリンクのコーヒー切れてるから豆持ってきて補充しといて。ついでだし」

「…はい」


 川内はそれだけ言うと、また雑談を始めた。


「お待たせ致しました。オーダーを…」


 指定された席に行き、客の注目を取り、機械に打ち込む。何度も何度もしてきたこの単純明快で面白さのカケラもない行動。


 だが、こればっかりは別に何も悪くはない。そうした退屈を対価に自分は金を稼いでいるのだから。


「ご注文ありがとうございます。ごゆっくりお過ごし下さい」


 そうして一礼をして、俺は次の席に向かう。

一通り、注文を捌いた後川内から頼まれていたコーヒーの補充をする事にした。

 下の戸棚を開け、コーヒー袋を取り出したが妙に軽い。中身を覗き見ると四隅に溜まった豆が顔を覗かせた。ひとつ重く濃い溜息を吐き捨て、カウンターに戻る。


「すみません、薪浦さん…あのー」

「ん?なに?」

「コーヒー袋の在庫あるとこってどこですかね?ちょっとまだ把握し切れてなくって」

「あぁ、それなら事務室入り口横の上棚にあるから」

「あっ、そうでしたか。ありがとうございます」

「ていうか威崎君凄い動くね。疲れたりしてない?休んでもいいよ」

「いやいや全然。自分は大丈夫なんで」


 厨房の薪浦に頭をほんの少しだけ下げ、言われた場所に行きコーヒー豆の詰まった袋を2,3個掴み補充をする。その間にもオーダーは溜まっており、上部の電光板には幾多もの数字がこちらを睨む様に並んでいた。


「はいお待たせ致しました、ご注文の方…」


 そしてまた自我を擦り減らしていく。




 昔から建前を言うのが上手かったと我ながら自負している。

 俺は幼少から親には「他人をよく観察して空気を読め。他人に可愛がられろ」みたいな事を執拗に何度も言われた。マスコットの様な人間になるつもりなど更々無いし、どちらかと言うと周りのことには無頓着で気にはしなかった。


 それでも「自分の居場所が確立される」というメリットは大きいと判断し、いつしか他人に気を遣う事が生きる上での根幹になっていた。

 

 そうして人に好かれようとしながら生きていく事19年と6ヶ月。今の俺の周りには友人が沢山いる。

 恋人こそいないが、交流関係は他学部にまで行き渡り、上級生の顔を立てる事もしばしば。比較的有意義な学校生活と言っても差し支えないものだろう。


 だからこそ、どうして自分がここまで疲弊しているのかが理解できなかった。



 大学に行くと、駐輪場近くで壁にも垂れながら長身のパーカー男がスマホをいじっている。柿島だ。


「よお、威崎」

「おはよう柿島」

「なんだよ、今日は寝癖ねーのか。もしあったら最近買ったこれあげようと思ったのによ」

「別にいいよ、ワックスぐらい家にあるから」

「いや、これ試しに俺使ったけど頭めっちゃスースーするんだって。マジで気持ちいいわ。家にもまだ同じの2,3本はあるし」

「多いな。特売だったのか?」

「1980。安すぎで逆に不安になる」


 自慢気に柿島は話すが、こういう類の相場が俺には分からない。


「安っ、お得品買えてよかったな」

「だろ?あ、そういえば明日の午後に製図のやつあるからテンプレート定規頼むわ。なんか、どっかやっちゃったから」

「定規また無くしたのかよー。別にいいけど」

「サンキュ。お、与束(よたばしゅんき)じゃん。おーい」


 前方にいつの間にかいた与束に声をかけると、気付いて後ろを振り返った。


「お、バカだ」

「バカ言うなし。お前今日の英Ⅲのレポート書いた?」


 与束は相変わらずブランド服やらに身を包みながら、無駄に煌びやかなピアスと金髪の髪を、全面にアピールするかのように髪を払った。


「やったやった。単語書くだけだったけど、クソ面倒だったけど」

「うーわ最悪。仲間いると思ったのに。え、威崎も?まさか?」

「俺はしっかりやったよ。まぁ面倒だったけど」

「はー?空気読んでよー威崎。お前もこのバカに無理して合わせなくてもいいって…」

「レポートやってないホントのバカがここにいまーす」


 そのまま暫く3人で雑談しながら大学に向かった。


 一限の講義中、隣の席から肩を叩かれた。振り向かずとも要件は把握できる。

 指でokサインだけ作り、把握したのか隣にいる与束は荷物を持って立ち上がりそのまま教室を出て行った。

 この講義を受けている大半は理系であり、俺と与束はそのうちAグループに当たる。対して柿島はBグループ。たしか与束が理化学実験がなんとかみたいな事を言っていたので、恐らくは今週中に提出する記録レポートの進展具合が危ういんだろう。それなら代行を断るのもどこか後ろめたいので、結果的に引き受けて正解だった気がした。


「お前律儀だな」


 隣の柿島が呟く。


「まぁ断る理由もないし減るもんじゃない。万が一レジュメが止められたら、それは俺のせいじゃないし別にいいかって」

「じゃあ俺も頼んじゃおっかなー…なんて嘘だわ」

「別にいいけどな、俺は。どっちでも」


 前の教授の視線が少し痛いので集中する事にした。



 講義の全てが終わり、俺は帰り道途中まで柿島や他友人複数名とくだらない話をしながら駅に着いた。そして俺は柿島に別れを告げ帰路へとついた。

 退勤ラッシュ気味車内で揺られながらこの後の予定を立てる。吊り革を掴んだ腕に付けた時計から見える時刻から考えるに、家に一度帰って軽食を取る余裕は無い。乗り換えの駅に着いたらい何か買っておくべきだろう。

 コンビニに入りおにぎりを2つレジへと持っていく。


「…ありがとーざいます、合計290円になりまーす」


 流れ作業だという事を隠す気の無い店員に小銭を渡し、淡々と会計を済ませていく。無駄など一切無く、余計な労力など一切込めてられている様には見えなかった。

 そんな店員から商品を受け取り、礼を言って店を後にした。


 バイト先のファミレスに着くと既に佐々山がホールの中で忙しなく動いていた。テキパキとした足取りは先程見た店員とは正反対であった。キッチン内に戻る前でもやるべき仕事を見つければ道中で済ませ、客が調味料を欲しそうにしているのをすぐに見抜き、要望が来る前に完了させる。

 まさに模範的な店員と呼ぶに相応しい人間だ。


「あ、おはよー勢弥君」

「おはようございます、佐々山さん」

「今日も大学?偉いねー」

「佐々山さんも大学だったんじゃないんですか?」

「私?私は今日は全休だから午前は丸々フリーだったよ。午後は別にやる事は無いから勿体ないって事で、1時からシフトを入れてる感じかな」


 ということはこの人は今の6時から5時間ぶっ続けで働いているという訳か。平日とはいえ客足が増えてくる午後から夕方にかけてよくもこんなシフトを組もうと思えるな。


「凄いですね、尊敬しますよ」

「あははー、暇なだけ暇なだけ。ただ足と手と口を動かしてるだけでお金貰えるんだから、入れなきゃ損って感じだしさ」

「確かにそうですね」


 “尊敬している"

 そんな訳ない。


 こんなことは、自分の意思で入れているだけだろう。

 どうせ所得税スレスレまで大半の学生は金を稼ぐのだから、後に来る皺寄せを今に持ってきているだけ。「シフトを1時から10時まで入れます」と申告するだけじゃないか。

 それこそ手と足と口を動かせる人間でさえあれば誰でも出来る事だ。


 尊敬ではない、こんなのは。

 ただそれを実行に移せない自分が嫌になるだけの話だ。


 こんな事考えた所で、自分自身の卑屈さが露呈していくだけだ。だからこそ、手と足と口は動かしていても頭を動かすべきでは無い。


 少なくとも今は考えるべきで無い事だろう。



 




 

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