第20話 イキるオス鹿を狙え! コール猟(前編)

午後は四頭のシカの解体を行う。

狩猟の開始が遅かった事もあって午後の大半を使ってしまった。

だがこれでも解体としては十分に早い。

麗明の解体もかなり手慣れているが、獣医学部の宇梨花さんはさらに手際が良かった。

俺なんか腹の皮を半分も切っていないのに、もう肛門部分を刳り抜いて内臓を取り出していた。

背ロース、腿肉、前脚とまるでプラモでも分解するかのように、次々と切り出していく。

後ろ脚を外す時なんか、腿部分にナイフをサクサクと入れていったかと思うと、スコンと骨盤から大腿骨ごと切り離していた。

思わず見惚れてしまう程だ。

俺はその後ろ脚から蹄のある足先を切ろうと苦戦していると、宇梨花さんがやって来た。


「足先を切るのに、そこにナイフを当てても切れないわよ」


「どうしてですか? 関節部分で切り離すんでしょ?」


不思議そうな顔をする俺に、宇梨花さんは首を左右に振った。


「関節って肘や膝の曲がる部分じゃないの。そこに刃を入れても絶対に切れない」


「じゃあどこで切るんですか?」


「曲がる部分から、そうだな、指二本分くらい下に刃を入れてみて。そこでグルリと一周して切る感じで」


俺は言われた通り、足の折れ曲がる部分の指2本分ほど下にナイフを入れてみる。

そこで骨に当てながらグルリと一周するようにナイフで切れ目を入れた。


「その後は切れ目の部分で捩じるように折れば、足先が外れるはずよ」


やはり言葉通りに、切れ目部分を中心に木をへし折るように力を入れた。

するとどうだろう、メリッという音と共に足先の部分が骨の断面を見せて折れ曲がったのだ。

一部が筋でぶら下がるがそこもナイフで切ると、さっきの苦労が嘘のように簡単に足先が外れたのだ。


こんな調子で彼女は、外すのが難しいと言われる前脚の肩甲骨もサッサと取り除いていった。

普段はほぼ捨ててしまう事になるあばら骨の部分も「お昼にスペアリブにして食べましょう」という事で胸骨と背骨から切り離して、醤油・砂糖・みりん・酒で作ったタレと一緒にジップロックに入れて漬け込む。

食事当番のメインは今日も雪美だが、宇梨花さんも手際良く調理を手伝っていた。

しばらくすると簡易木炭コンロで焼いたスペアリブの、香ばしい香りが漂って来た。

思わず生唾が出る。

振り返ると既に宇梨花さんは缶ビールを片手にスペアリブを咥えていた。


「あ~、自分だけズルイ!」


それを見た恵夢が悲鳴に近い声を上げる。


「こういうのは早い者勝ちでしょ。ね~雪美ちゃん」


雪美の方も烏龍茶の缶とスペアリブを口にしながら「うぐうぐ」と首を縦に振る。


「くっそ~、アタシたちもさっさと終わらすぞ!」


麗明がそう言ったが、足を引っ張っているのは残念ながら俺だ。

すると宇梨花さんが笑いながら言った。


「冗談よ、冗談。みんなもそんな焦らないで、食べながらゆっくりやれば? ホラ、タンの方も焼けたから」


さっそく俺たちはスペアリブに群がる。

こうして俺たちはシカの解体をしながら、彼女たちが作ってくれたエゾシカのスペアリブ、タンとハツの塩レモン焼きを食べる。

牛や豚と違って脂身が少ないので、どんどん食べられる。


「エゾシカのスペアリブってこんなに美味かったのか。今まで捨ててて勿体なかったな」


俺の言葉に恵夢が続く。


「アメリカでも『肉は骨に近いほど美味い』って言われているんだよ」


さらに麗明も付け加える。


「シカのスペアリブは食べる所が少ない割りに嵩張るからな。中々持ち帰りはできないんだ」


宇梨花さんが肉をペットシートに包んだ。


「明日は大学に戻るけど、肉はこのままでいいかな? 夜になれば気温は下がるから一晩くらいなら大丈夫だと思うけど」


麗明がそれに答える。


「大丈夫じゃないですか? むしろ一晩くらいなら熟成だと思えば」


二人の会話を聞いて、思わず俺はボヤいてしまった。


「そっか……明日には学校に戻るんだよな……」


それを聞いた恵夢が尋ねる。


「どうしたの? まだ帰りたくないって事?」


「いや、結局俺はこの二日間ではシカを仕留められなかったじゃん。それが残念だなと思って」


麗明が慰めるように言う。


「初めての猟なんだ。仕方がないよ。それに猟期は始まったばかりだ。これからいくらでもチャンスはあるって」


「それは分かっているけど……やっぱなぁ~」


そんな俺を見て、宇梨花さんがある提案をしてくれた。


「それなら明日の朝、コール猟をやってみる?」


「コール猟?」


俺が聞き返すと、宇梨花さんが説明してくれる。


「シカは十月から十一月が繁殖期なの。この時期のオス鹿はメスを獲得するために縄張りを主張して争うのよ。そのために独特の鳴き声を上げる。その鳴き声を人間が真似してオス鹿を呼び寄せるのがコール猟」


「そんな事が出来るんですか? 人間がシカの鳴き声を真似るなんて」


「もちろん、人間が声でシカの鳴き声を真似するんじゃないわよ。シカ笛って言ってオス鹿の発情期ソックリの音を出せる笛があるのよ」


「シカ笛? どんなのですか?」


「麗明、シカ笛持ってる?」


すると麗明は即座にウエストポーチから何かを取り出した。

大きさは5センチくらいの、ウイスキーボトルのミニチュアみたいな物に、白いベロみたいな物が付いている。

ちょっと想像していた笛とは形が違っていた。


「これをどんな風に使うんです?」


「麗明、やってみせてあげてくれる?」


そう言った後で宇梨花さんは「麗明はシカ笛を吹くのも上手いの」と付け加えた。

麗明が平たい部分(ソッチに白いベロみたいなものが付いている)を加えた。


「キュオーーーオオオン、キュオーーーオオオン」


かなり高い音が上がって下がるような独特の音が鳴り響く。

これがオス鹿の鳴き声か。

そう言えば耳にした事があるような気がする。


「シカの鳴き声って言うと、逃げる時の『ピャッ』て奴しか知らなかったよ。俺に出来るかな?」


「やってみるか?」


そう言って麗明は俺にシカ笛を差し出した。

思わず手に取った俺は「これって関節キスって奴じゃないか?」と思ったが、当の麗明がそんな事を気にしていないようなので、有難く使わせて貰う事にする。


「ブブーッツ、ブブブ」


変な息が漏れる音と、白いベロみたいな物が震える音しかしない。

それを聞いてみんなが笑った。


「なんだよ、笑うなよ! 初めてなんだから仕方ないだろ!」


「ゴメン、ゴメン。やり方を先に説明すべきだったな。ちょっと貸してくれ」


麗明が手を出すので、俺はシカ笛を渡す。


「この白いブラ板を下唇につける。それから口を付ける位置が先端に近いほど高い音が出る。それで口の位置をずらすようにして吹くんだ」


麗明が手にしたシカ笛から、再び「キュオーーーオオオン」という高い音が響く。


「これを三回鳴らすんだ。オス鹿のラッティング・コールは基本三回だからな」


そう言って麗明は再び俺にシカ笛を渡す。

俺は再びそれを口にし、言われた通りに息を吹き込む。


「ピュイイイイー!」


お、今度は音が出た。

だけど麗明の出した音とはだいぶ違うな。


「うまい、その調子だよ」


と麗明が言ってくれたが、宇梨花さんは両手を広げて首を左右に振った。


「でもそれじゃあシカは騙せないわね。明日は麗明にシカ笛を吹いてもらうといいわ」


俺はシカ笛を麗明に返す。


(でも今、俺と麗明は確実に双方で関節キスをしたよな)


そう考えると少し胸がドキドキした。

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