封印解除と、晴れた空
*
三十分後、東雲静香を含めたメンバー全員が甲板に集まった。
「では航路の確認は以上で……役割の分担も先程の案で構いませんね?」
スガタがぐるり皆を見回して問うが、ええー、とクグツから不満の声が上がる。
「何で俺様じゃないのさ? 何処も怪我してないしまだまだ元気なのに」
こら、とムクロがたしなめるものの、クグツは不満顔のままだ。スガタは苦笑を漏らすと説明を始める。
「今大丈夫に思えても、後でじわじわ不調が出て来る可能性はあるでしょう。それにムクロ嬢とクグツ君は慣れない海中探索の所為で自覚が無くとも疲労が溜まっています。長丁場ですので、万全を期した方が良いでしょう」
それに、とクグツの目を正面から見ながらスガタは続ける。
「小生は限定解除をすれば例え氷点下であろうとも何時間でも活動を続けられますが、クグツ君は符の効果が無いと水中での活動は続けられないでしょう。そういった点からも、小生が適任なのですよ」
「……分かったよ」
渋々ながら引き下がるクグツにスガタは笑顔を浮かべた。そして懐から一枚だけ残っていたあの符を取り出し、クグツに差し出す。
「すみませんね。符を渡しておきますので、もし何かありましたらその時にはお願いします」
「仕方無いな、頼まれてやるってばよ」
満更でも無さそうに符を受け取り、クグツは大事そうにポケットへと仕舞った。その様子を眺め、よし、と別所船長が声を上げる。同時に船員達が慌ただしく動き始める。
「では『影』改め、『祝詞竜』誘導作戦を開始する! 長丁場になるぞ、へばるなよ!」
へびつかい座ラムダ星の名を冠された小型戦闘艇『マルフィク』は、より速度を上げ『祝詞竜』の許へと向かう。東雲静香は白く立つ波を見詰めながら、ぷよぷよしたクラゲをぎゅっと抱き締めたのだった。
*
「見えて来たな。よし、手筈通りに行くぞ」
「……じゃ、じゃああたしから、ですね」
「おう、静香嬢ちゃん。気を付けてな」
「は、はいっ」
前方の海中に『祝詞竜』の黒い影が現れる。別所船長が確認し合図を出すと、まずは東雲静香がゆっくりと船縁を乗り越え海へと降り立つ。海中にその身が沈んだ瞬間、東雲静香の姿は消え失せて大きなクラゲがぷくりと現れた。
クラゲはふよふよと泳ぎ『祝詞竜』に近付いて行く。何かジェスチャーをするかのようにクラゲが何十本もの長い職種を動かすと、『祝詞竜』は進むのをやめて大人しくクラゲに寄り添った。
「では、次は小生の番ですかね。ああ、ムクロ嬢、小生が船に帰るまでこれを預かっていてくれますか」
スガタは丸眼鏡を外し、畳んでハンカチに包むとムクロに手渡した。分かったわ、とムクロは頷いてコートのポケットに大事そうに収める。そしてスガタは通信機付きのゴーグルを装着すると、端末を取り出し操作を始めた。
「封印解除申請。スタレ・スガタの〇三段階限定解除、及び封印解除の長時間継続を申請する」
『〇二段階以上の申請には申請理由が必要です。理由を述べて下さい』
「海中での作戦行動により、持続的な身体機能の強化が必要である。会敵の可能性も有り得る故に〇二段階では無く〇三段階が適切だと思われる。また作戦は長時間に及ぶ為、同時に継続の延長を申請する」
『申請を受理、審査中──申請、承認されました。〇三段階限定解除を実行。また、最長二十四時間までの継続を受理。──継続、承認されました』
申請が承認されたと同時、脳から存在しない楔が何本か引き抜かれるような鈍い違和感が身体に響く。追って翼を得たが如き開放感がスガタを包んだ。深紅の霧が薄く全身から滲み出す。
「主任、会敵の可能性って……!?」
見守っていたムクロが驚きに表情を歪めている。スガタは紅に輝く瞳でムクロを見詰め、柔和な笑みを浮かべた。
「何、ただの保険ですよ、用心するに越した事は無いでしょう? それに、神話生物は一体だけとは限りませんので」
皆が息を飲む中、スガタだけがゆったりと笑む。その口許には鋭い牙が覗いている。スガタはおもむろにコートだけを脱ぎ、そして着衣のまま船縁に手を掛けた。チィ、と蝙蝠のニィが舳先の女神像の肩で泣いた。
「それでは、──行きますね」
「オオワタツミの加護があらん事を!」
別所船長の敬礼に軽く片手を挙げ、そしてスガタは真冬の海へと身を躍らせた。
*
船が速度を徐々に上げてゆく。後を追うようにクラゲが『祝詞竜』を連れて泳ぎ、最後尾で追い立てるようにスガタが海中を行く。──作戦に使用出来る戦闘艇が一隻しか無い以上、これが現戦力で出来うる限りの最もベターなフォーメーションであった。
瀬戸内海を抜けた後は和歌山沿岸を一直線に目指し、出来るだけ東側に沿って太平洋に出た後は、あまり沖へと行かないよう注意しながら海溝を目指す──それが事前に取り決めた航路である。今現在の情報を精査する限りでは高知沖に近付かなければ問題は無い筈だが、可能な限り危険は避けたいというのが皆の意見の一致するところであった。
「主任はああ言ったけど……、そうそう神話生物なんて現れないわよね?」
ムクロが海を見遣りながら独り言のように疑問を零す。クグツはその隣でニィをもふもふしながら視線を上げる事無く言葉を返した。
「まあ、そんなしょっちゅう現れられたら大変だし。でもさ、あれフラグだろ」
「不吉な事いわないでよ! 本当に出て来ちゃったらどうするのよ」
「そん時はそん時だろ。この船にだって攻撃手段がある訳だし、俺様達だっているし。やっつけるのが無理でも追い払うぐらいは出来るんじゃね」
「そう、……よね」
それでも憂いを帯びた口調のムクロに、クグツははあと溜息をついた。
雪はいつの間にか止み、上空には晴れ渡った薄い青が広がっている。しかしもう直ぐあの青は茜に染まり、そして紫を経て藍から闇へと変わってゆくだろう。──星は見えるだろうか、月齢はどうだったろうか。そんな事を考え、旅とも呼べる長さの航海にムクロは思いを馳せる。
そして今もなお泳ぎ続けているであろうスガタの事を考え、何も出来ない自分に悔しさを募らせる。 ワインレッドの髪を靡かせ、ムクロは再度溜息を零したのだった。
*
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