海月の中と、海の底
*
「ちょい落ち着けってば。そんなじゃ全然何も分かんないだろ」
「あ、あ、えっと、うん、ごめんね……」
クグツの言葉で幾分落ち着いたのか、少女はわたわたしていた手を下ろし、ばつが悪そうに座り直した。どうやら悪い物では無さそうだ。クグツは静香に深呼吸をすると、改めて口を開いた。
「……一つずついくか。アンタ、名前は?」
「えっと、……東雲静香<シノノメ・シズカ>」
「アンタが俺様を助けたのか?」
「助けたなんて、そんな……あたしはその、気を失ってふわふわ沈んでいってたから、保護しただけで」
そうか、とクグツは胡座をかきながらふうむと考えを巡らせた。先程の『あたしの中』発言からすると、どうやらただの一般人では無いのだろう。しかし少なくとも、今直ぐクグツに危害を加えるような素振りは見られない。
ならば、と内心でクグツは腹を決める。元より回りくどいのは苦手だ。
「じゃあ単刀直入に訊くぞ。あんた、何なんだ?」
ズバッとクグツが斬り込む。身を乗り出し視線を合わせるクグツに、う、と東雲静香は怯んで息を飲んだ。
「その、……何と言えばいいのか。えっと、……クラゲ、かな」
「クラゲ? ああ、成る程これクラゲの内側なのか。透明でぶよぶよして……、確かにそう言われるとクラゲだな」
「あっはい」
「でも、それだけじゃないだろ? この透明のがクラゲだって事は分かった。でもそれだけじゃ、あんたの事が説明付いてない」
「う……ええと、それは……」
少し怯えたように唇を噛む東雲に、クグツは段々と苛立って来た。元々気が長い方ではないのだ。それにまだクグツは十一歳の少年である、大人のような配慮をしろという方が無理な話なのだ。
「だーもー!! 何だよアンタ、ぐずぐずぐずぐずして! そんなじゃ何も分かんないって言ってんだろ!」
「あああ、その、えっと、ゴメン……」
「謝らなくていいから! ホラおどおどすんなって!」
「あ、は、ハイっ」
驚いて反射的に背を伸ばす東雲静香に、クグツはフンと鼻を鳴らし、腕を組んで前髪に隠れて見えない目を睨み付ける。
「だーかーらー、そうやって構えんの、やめてくんねえかな。話が全然進まないだろ? それとも何か、知られたくない、話せないってんなら、最初っからそうやって言えよな」
「え、え、いや、そんな事は……」
「じゃあ話せってば。別に取って喰うやあしないっての」
「う、うん」
東雲静香は少し俯いた後、真っ直ぐに顔を上げてクグツを見詰めた。クグツは腕を組んだまま唇を引き結んでいる。意を決したかのように、東雲静香は震える唇を開く。
「あの、あたしね、海に飛び込んだんだ、死のうと思って。そうしたら、気が付いたら、あたしクラゲの中に居たんだ。クラゲと一体になっちゃったみたいなんだ。それからずうっと、海の中にいるの」
「それじゃ、アンタが生きてるか死んでるかは分かんないんだな。まあ多分死んで、たまたまクラゲと魂が融合したって所なんだろうけど」
「うん、きっと、そうなんだろうね。クラゲに別に自我みたいなのは無いっぽいんだけど、薄ら意思みたいなのはあって。だからあたしはそれを汲んで、こうやって一緒に暮らしてるんだ。大きさは自由自在だし、クラゲが嫌がらないなら何処へでも行ける」
「へえ。アンタはずっとそうやって、こんなクラゲの中で居るってワケか?」
腕組みを解いて頬杖を突いたクグツが話を咀嚼する。東雲静香は正座したまま、ううんと首を横に振った。
「これはその、意識隊みたいなって言うのかな。クラゲと一緒に透明にもなれるし、逆にあたしだけになる事も出来る。今は君と話す為に、こうやってあたし自身の姿を取ってる」
「じゃあ、クラゲに乗って海を進んだり……」
「うん、出来るよ。ああそうか、船に戻りたいよね? そうだよね、仲間の人とかも心配してるよね、きっと。えっと、うん、送ってくよ」
東雲静香の言葉に、クグツは驚き身を乗り出した。下手すればこのまま遭難などという状況すら覚悟していたのだ。有り難い事この上無い。
「いいのか? てか船の場所分かるのか?」
「うん、ずっと見てたから方角とかなら大体ね」
あっちの方、と東雲静香はひとつの方角を指差した。
「へえ、やるじゃん! ありがとな、クラゲJK」
「ちょ、あの、な、なにその呼び方……」
「だってクラゲの女子高生なんだから間違って無いだろ、クラゲJK」
そのような遣り取りを交わしながらもクラゲは動き出す。ふよふよと海中を漂い波に乗って泳ぎながら、船のある方角を目指し進んで行くのだった。
*
「実は、『根の国底の国』には──ニライカナイと同じであるという説があるのですよ」
『ニライカナイ』、その名前を聞いたムクロと別所船長は驚きに目を見張った。
「ちょっと主任、ニライカナイって言ったら琉球神話の天国じゃない! それが何で日本神話の黄泉みたいな国と同じになるのよ?」
「実はですね、ムクロ嬢。──ニライカナイそのものでは無く、根源が同じではないか、という論なのですよ。地の底にある冥界や地獄とは別に、遙か東の海の向こうにある、魂の行き着く場所……」
スガタの説明を聞き、ふむ、と別所船長は髭を撫でた。
「確かにそれならば納得は出来る。四方を海に囲まれた日本において、特に東──太平洋は地底と同様に未知の領域だったのだろう」
「そうです。しかも日本皇国だけではありません。ニライカナイ同様、太平洋には多くの伝説が存在します。ムー、アトランティス、レムリア……全て、海という未踏の神秘が生み出したものです」
確かに……とムクロは口許を覆い考え込む。更にスガタは言葉を続けた。
「そして海から神がやって来るという伝承も多い。蛭子信仰などはその最たるものでしょう。海の向こうには天国がある、そう定義付けられたとしても何ら不思議ではありません」
「そうか、そういう理屈か。確かにな、太平洋にはルルイエだって存在する。何があっても不思議じゃあない」
少し冗談めかした別所船長の台詞に、はっとムクロは顔を上げた。
「そうよ、神話生物! あれだって太平洋から来たものよね! ねえ私思い出したんだけれど、日本の東には何があると思う?」
「東……?」
今度はスガタが首を傾げる。その隣で、別所船長がモニターのコンソールを操作した。日本皇国近辺の海底地図が大きく映し出される。
「──海溝か!」
そう、日本列島の東側には幾つもの海溝が連なっているのだ。モニターを見たスガタも思わず息を飲んだ。
「これは……思わぬ所で繋がりましたね。恐らく神話が科学と結び付いた現代、根の国は海溝に存在する事となったのでしょう。小生はただ漠然と『海の底』だと思っておりましたが、どんな山よりも深い海溝の中ならば、何が存在してもおかしくはないでしょう。まさに底の国です」
「それに何より、リュウグウノツカイはそもそも深海魚だ。それこそが根の国が海溝にあるという証左じゃないのか?」
三人は海底地図を見上げ、揃って溜息をついた。これであの『影』の正体はほぼ突き止められたと言っても良いだろう。しかし──。
「なら何で、あの『影』はこんな瀬戸内海までやって来たの?」
ムクロが呟いた。そうなのだ、海溝に根の国があり流され散り散りになった穢れをあの『影』が食べていたと言うのなら、『影』は海溝かその近辺に居る筈だ。なのに何故、あの『影』はわざわざ瀬戸内海まで入り込んでしまったのか──。
その時、甲板から騒がしい声が響いて来た。どたどたと走り回る複数の靴音が船を震わせ、悲鳴のようなものまでが聞こえて来る。
何か起こったのだろうか、と三人が顔を見合わせた刹那、船員の大声が船室に届いた。
「船長! ちょっと来て下さい! でけぇクラゲが!」
「……クラゲ?」
揃って首を傾げつつ、三人は甲板に向かって走り出したのだった。
*
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