山女

aqri

美しい女

「お伝えしていますように、本日✕✕山にて遺体が見つかりました。損傷が激しく身元の確認を急ぐとともに、事件事故と熊の被害を視野に捜査を開始します」


 そのニュースを、信じられない思いで見つめる。どういうことだ、と思うと同時にガタガタと震える。熊のはずない、それをやったのは……。




 暇つぶしに山に行かないか、と友人から誘われた石川は準備を進める。体を動かすのが好きで、特に山登りや渓流に行くのが好きだ。車で迎えに来てくれた友人、新井と最初は楽しく談笑していたが。


「大丈夫か? なんか顔色悪いけど」

「あー、ちょっと風邪気味。あと、気が滅入ってるだけ」

「なんかあった?」


 石川は長らく仕事で海外にいたので連絡をあまり取っていなかった。帰国してまだ二ヶ月だ。


「実は、今別居中。もう離婚だろうな」

「え」


 新婚なのに? とはさすがに言えない。黙っているとポツポツと新井は語る。


「俺のことそこまで好きでもなかったみたいだ。不倫をゲームみたいに楽んでた。それを問い詰めたら冷めた、とかいってどっか行ったよ。捜索願出したらDVで訴えるからとか言われて。そのまま」

「あー。暴力系は言われちゃったら立場悪いね」


 暗い話はこれくらいで、と別の話題にして山に向かう。ハイキングコースもあるが、少し険しい獣道もあるらしい。

 シーズンオフということもあり登山者は少ないだろうとは思っていたが、自分たち以外は誰もいない。


「ま、美味い空気をたくさん吸ってしゃっきりしよう」

「ああ。悪いな付き合わせて」


 げっそりした様子の新井に、石川は心配になる。確かに新井が彼女に惚れ込んでの結婚だった。最初からキープだったのだろう、ここまで意気消沈した姿は見たことがない。SNSで見た綺麗な川、それを見たいということで二人は登り始める。

 しかし遊歩道を歩いていると立ち入り禁止の看板があった。道の向こう側は土砂崩れでもあったのか、大きな石や倒木が転がっている。


「なんかあったのかな?」

「さあ、俺も特に調べてないから。ま、俺が行きたい渓流はこっちじゃないから大丈夫だ」


 新井が顎で指し示したのは、雑草が生え放題の細い道。土砂崩れのようなものがあったのなら、そちらには行かないほうが良いのではと思ったのだが。新井は構わずそのまま進んでいってしまった。

 慌てて追いかけるとすぐに川の音が聞こえてくる、どうやら意外と近くだったようだ。だが、気のせいだろうか?


(なんか、生臭くないか?)


 たどり着いた場所は思わず見とれてしまうほど自然の美しい場所だった。ある程度人の手で整理されているらしく、川の流れが緩やかになるように石が人工的に積み上げられているようにも見える。


「ああ、やっぱりきれいだ」


 新井はほっとしたように初めて微笑んだ。出会ってから淡々と話をするだけでまだ笑っていなかった。その様子に石川も安堵する。


「なあ、お前の方はそうなんだ。結婚とか」

「あー。仕事一筋だと長続きしなくてさ。そんなに仕事が大事なら仕事と結婚すればってフラれた」

「彼女いたんだな」

「半年前まではな」


 もともと二人はそこまで親しいというわけではない。登山中出会い意気投合して連絡を交換してから、たまにやりとりをしていた程度だ。そのため実はそこまで深いプライベートを知っているわけでは無い。


「少し休んでもいいか。俺の事は気にせず上流のほうに行ってみろよ」

「え、いいのか?」

「ああ。俺はここの景色を見てる。いつか二人で来たかったんだ、ここ」

「そっか」


 要するに今は一人にしてくれということだ。このことからも新井が妻に強い未練があるのは間違いない。それじゃあちょっと散歩行ってくる、と明るめに言って石川は上流に向かって歩きだした。

 しかし歩き出してすぐに違和感を抱く。やはり生臭い。なんというか、生ゴミのような匂いではなく。そう、これは魚だ。魚特有のあの生臭さ。


「うわ、なんだこりゃ?」


 川の近くの砂利の上にはたくさんの魚が干からびて死んでいた。鉄砲水か何かがあって、あっという間に水が引いて陸で死んでしまったのだろうかと思ったが違う。死んでいる魚は全て体の所々が抉られるように大きく欠損していた。


「生臭かったのはこれか。風下だからさっきの道も臭かったんだな」


 魚の種類は様々だ。えぐられている部分もバラバラ。動物が食べたにしては随分と奇妙である。この状況を新井に知らせに行こうと、立ち上がって振り返る。


「っ!」


 思わず悲鳴が出そうになった。真後ろと言っても良い場所に女が立っていたのだ。しかもかわいいとか美人とか、そんな言葉で片付けられるものではない。「美しい」のだ。どんな絵画より、芸能人よりも。

 女はニコニコと笑って石川を見ている。まるで黒曜石のような大きな瞳に吸い込まれるかのようだ。

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