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「なぁ、イベントスタッフって、やりたいことと違くないか?

 ……案内とかアテンダントとかってさ」

「え?」


 宇汐はタイムテーブルから視線をあげたが、質問の意図が伝わっていないような不思議な顔をしていた。


「あーいや。俺の認識イメージが間違っているのかもしれないんだけど

 ……イベントスタッフって宇汐がやりたい”音響”と関係あるのか?

 スタジオのバイトだけに絞って、音響の勉強ってやつに時間をついやした方が効率よくねぇ?」


 俺の言葉に、宇汐は困ったように笑った。


「……そうかもしれないけど。これも、俺にとっては意味があると思ってるんだよー」


 普段の口調と変わらないのに、そう眉を下げならがら答えた宇汐はどこか寂しそうであった。


「へー? そう言うもんなのか」

「うん。そう言うもんだよー」


 そのあと、また忙しくなったので自然と雑談はできなくなり、そのまま、各自の持ち場へと別れた。




 会場警備のために客席が埋まった場内に入る。入った瞬間、人々から溢れる高揚感で場内は熱気に包まれていた。客席から離れている出入り口付近であるにも関わらず、自分の場所まで伝わる客席の気持ちが自分の心にもリンクしたようにドキドキと鼓動が大きく鳴り響く。

 それから薄暗かった会場が一気に暗闇に染まる。暗闇の中、客席からは声援が飛び交う。そして、カンカンカンとリズムを刻む音が聞こえた次の瞬間にパッと眩しいくらいの光が放たれる。同時にはじまったステージは、期待を裏切らないパフォーマンスで、自然と胸が踊る。


 俺はステージが近く、背に来るような立ち位置であるが、目線を流せば見れる。ステージは高いから、全てが観れるようなベストポジションではないけれど、それでも充分に楽しめる内容であった。

 受付の時は「早く終わらないかな」と言うことばかり考えていて、時間が経つのがひどく遅く感じたものだったけれど、会場警備は、そんな苦しい気持ちもなく、気がつけば、終盤となっていた。


 あっという間だった。


 その後、ライブといえばおきまりのアンコールが鳴り響いて、最後の最後のパフォーマンスが鳴り響くと、観客が惜しむ中、閉場のアナウンスが流れるのであった。

『本日はご来場ありがとうございましたーー』

 会場から波のうねりのように観客が出口へと消えていく。


「撤収は22時! 完全撤収なんで気合い入れてお願いしまーす!」


 その裏側では、慌ただしい。会場の利用時間は決まっていて、機材含む全てのものを会場から出さなければいけないらしく撤収作業に一丸となって作業をする。複数のスタッフが会場内のゴミや忘れ物を確認し、その後、ステージのセットを分解する。

 俺は手が空いていたこともあり、ステージセットの分解に加わる。遠くから見ていたきらびやかなステージ部分が木組みだったことにも驚いた。壁となっていた板にいくつもの液晶が付いていたり、いろんな形をした電球が付いたりと、観客として観ていたステージにはこうした一つ一つのものが合わさってできたものだと、感慨深く、また知ることができた。

 機器を除く木組みで作られたセットは分解というより破壊に近しい。その光景は、ステージに立つアーティストが一夜限りというのも納得できる。


「今日はありがとうー。お疲れ様っ!」


 夜風の穏やかな流れを感じていると、ポンと肩に触れ、労う言葉をかけてきたのは宇汐だ。撤収作業中もバタバタとしていたので、会場外で開演前ぶりの再会である。


「宇汐もお疲れ様」

「ありがとう。あ、でさ。このあと、スタッフ内の打ち上げのようなものがあるけど来てみる?」


 宇汐から少し離れ場所にできている人だかりが見えた。

 このイベントは楽しかったけれど、俺自身に熱い想いがあるわけでもなく、かと言って初対面の中で食事なんて疲れそうだ。お酒を呑んでパーっとと言うお祭り騒ぎに混じりたい気持ちもあるが、そう行った気遣うような空間で楽しめそうにも、ノリに合わせような余裕もなく、すこし考えたあと、断った。

 宇汐は参加するらしく「また学校でねー」と別れる。


 いろんなことを知れたけど……疲れたなぁ。


 打ち上げ会場に向かう賑やかな集団を背に、俺は月明かりの下、夜風の心地よさを全身で浴びながら駅へと足を進めた。

 見慣れたドアに鍵を差し込む。気持ちの良い金属音が鳴った。


「ただぃまー……」


 ため息のような、声にも音にすらならないような言葉を吐き出しながら自宅のドアを開けた。

 玄関から見えるダイニングは暗く、しんと、静まり返っていた。それは当然のことで、最寄り駅についたのは24時近かく、終電を逃さまないと駆け込む人たちとすれ違っていた。なので、家に帰る頃にはもう日付が変わっていてもおかしくない。


「んー」


 照明の明かりをつけることさえ億劫おっくうで、そのまま暗い状態の部屋の中を進んだ。

 それに、はじめてのイベントスタッフで体力的にも気力もすり減っていたし、体に張り付いた汗を早く無くしたくて、そのまま風呂場へと向かった。電気を点けずとも場所は感覚として捉えている。壁に突き当たり、多分、この辺にドアノブがあるだろうと手を伸ばて開いた瞬間。


「えっ!?」

「あ?」


 急な明かりに目が眩んだのも束の間、思ってもいなかった声に視界のピントが急速に合う。

 そこには脱衣所兼ねている洗面所で前屈みの体勢に鳴ってショーツを脱ごうとしているユリ。視線がぶつかった。


「・・・」


 驚きながらも視線は、何もまとわない、陶器のようになめらかな白い背中へと流れていた。うなじに沿って枝垂しだれる髪は白い肌によく映えている。するりと肩から毛先が落ちた。


 実際は数秒だったかもしれないが、そんな感想が出るくらいの時間、ユリは一言も発さずにいた。

 最初はヤバイと心臓が跳ねたけど……実のところ、下着を見られても気にしないユリは裸体を見られても大丈夫なのかもしれない。

 勝手に慌てているのは俺だ。そう胸を撫でおろした瞬間、ヒュンッと空気を切る音が聞こえた。


「良ちゃんのえっちぃーーーー!!」


 悲鳴のような叫びとともに、視界がぶれる。微妙に湿った鈍い音が響くと同時に左頬に鋭い衝撃が走った。


「……そんなワケ、ないよ、な」


 気づけば扉の閉まった前に立っていた俺は、相手に伝わることのない言葉を落とすのであった。

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