心乃花さんのマッチングアプリ
郷倉四季
第1話 心乃花さんは尋ねたい。
「君は、小さい頃のこと、どれくらい覚えてる?」
それまで韓国ドラマの俳優のしぐさが如何に色っぽいかについて語っていた
「特別なイベントより日常の一コマの方が覚えてますね」
「例えば、5歳より前の記憶はどう?」
「そうですね。僕は車に乗るとすぐに眠る子供だったらしいです。だから、眠れない夜は車に乗せられることが多くて、目的もなく父がドライブしてくれてたそうです。僕は後部座席で横になって、窓ガラスに映る外灯が通り過ぎて行くのを眺めていました」
「そっか」と頷いた後、心乃花さんは貴重なお菓子を舌で味わうような間を置いてから「素敵な話」と言った。
杏心が「姉さん、コーヒー飲む?」と尋ねた。
「まだ、大丈夫。ありがと」
●
僕と杏心は付き合って二年が経ち、同棲して一年が過ぎた。
杏心の二歳年上の姉、心乃花さんと会ったのは同棲をする際に、彼女の家へ挨拶しに行った時だった。
対面したご両親の表情は妙に強張っていて、ぎこちない会話のやりとりに僕自身の表情も固まっていった。そんな中、唯一自然体で話かけてくれたのが、心乃花さんだった。
心乃花さんは実家に住み、現在は休職中で日々韓国ドラマを見て過ごしているんだと話してくれた。
「君は韓国ドラマって見る?」
「えっと……いえ。僕はどちらかと言うとアメリカのドラマの方が多い、です」
「へぇ。オススメは?」
僕と心乃花さんが会話を交わすことで、杏心のご両親も肩の力が抜けたのか表情が穏やかになって行くのが分かった。
挨拶を終えた後も夕飯を誘われて、杏心と一緒にご飯をいただいた。その際も心乃花さんは僕に話かけてくれて、杏心も一緒になって三人で盛り上がった。内容は主に僕と杏心が出会ったマッチングアプリだった。
ご両親がいる空間でマッチングアプリの話をするのは内心ヒヤヒヤしたが、二人は顔をしかめることなく穏やかに僕らの話を見守ってくれていた。
帰り際に杏心のお父さんが「
意味は掴みかねたが、「分かりました」と僕は頷いた。
同棲の準備をする中で、杏心が一つだけ強く主張したのが、住む場所だった。
「私の実家が近いところに部屋を借りれば、うちからお米と卵は調達して来れるよ」
それは確かに魅力的な提案だったし、僕自身住む場所にこだわりはなかったため了承した。
杏心は二週間に一回の頻度で実家に帰り、お米や卵に野菜を大量にもらって帰ってきた。僕と杏心の食卓の一部は間違いなく彼女の実家が支えてくれていた。
そんな距離に住んでいることもあって、心乃花さんは月に一度の頻度で僕らの部屋を訪ねてきた。杏心が快く迎えるので、僕もそれに倣った。実際、心乃花さんと過ごす時間は嫌じゃなかった。
●
「姉さん、ご飯食べていくでしょ?」
杏心が言って、心乃花さんが「良いの?」と僕の方を見た。
「もちろんです」
平日の夜は基本的に僕がご飯を作るのだが、心乃花さんが来る休日は杏心が料理を作った。手伝うよと言うと毎回「良いの。その代わり、姉さんの相手してくれない?」と杏心は笑った。
杏心が料理をしている間、僕と心乃花さんは二人で韓国ドラマを見た。
心乃花さんのうんちくを聞きながらコーヒーを飲んでいると、杏心が「ねぇ鍋にしようと思ったんだけど、卵がないの。シメに必要だから遊里、買って来てくれない?」と言った。
「良いよ」
徒歩圏内にスーパーはあるので、十五分くらいで買って帰って来れる。
杏心が「じゃあ、姉さんもついて行ってもらっていい?」と言った。
「別に卵なら僕だけで買ってこれるよ」
僕の声は杏心に届かなかったのか「ねぇ姉さん、お願いできる?」と言った。
心乃花さんは皮肉っぽく笑った。
「杏心ちゃんは意地悪だなぁ」
「卵を買うのについて行ってもらうだけだよ?」
杏心の言葉に心乃花さんは観念したように、
「うん、分かった。良いよ」と頷いた。
姉妹の不可解な会話に首を傾げていると、杏心が「遊里。姉さんのこと、よろしくね」と言った。近所のスーパーに行くだけなのに大げさだと思いつつ、頷いた。
僕はジャケットを羽織って財布と畳まれたエコバックを持つ。心乃花さんは脱いでいたカーディガンに腕を通して、杏心に「行ってきます」と言った。
「いってらっしゃい」
杏心に見送られながら、二人で部屋を出る。
「そういえば、心乃花さんと外を二人で歩くの初めてですね」
「そりゃあ、そうだよ」
「どういうことですか?」
心乃花さんは僕よりも先を歩いていて表情は確認できない中で、続ける。
「君と外で会うのを避けてたからね」
「どうしてですか?」
「すぐ分かるよ、多分」
心乃花さんの言わんとすることは確かにすぐ分かった。
スーパーで卵を買った帰り道、ご近所のお婆ちゃんが犬の散歩をしているのに出くわした。
「こんにちは」と声をかけられて
「こんにちは。涼しくなってきましたね」
と答えながら、近付いてきた犬の頭をかがんで撫でた。
「そうねぇ。食欲の秋って感じよね。今日の夕飯は何なの?」
「今日は、杏心が鍋を作ってくれています。姉の心乃花さんが来てくれているので」
僕は犬から離れて、心乃花さんを手で示した。
お婆ちゃんは不思議そうに僕の横の空間と僕を見比べる。
「あ、こちらが杏心の姉の心乃花さんです」
改めて言っても、お婆ちゃんの反応は芳しくなかった。
心乃花さんが顔を伏せる。
「そんな人どこにいるの?」
「え?」
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