褐色ギャルによって生まれた季節に関する神話

 四季が生まれたのはギャルたちがパーティーを楽しむ為である。というのは初めに語った通りだが、夏の日差しの強さ、四季の移り変わりの頻度を真剣に調整したのは褐色ギャルである。

 褐色ギャルはその美しい小麦肌を皆に見せつけたかった。故に、どうすれば効果的に小麦肌を見せつけることが出来るのか? ということについてギャル思考をめざましく回転させ、深く考えた。

 四季はその結果として発生した。

 重ねて言うが、これは深い計算によるものである。これからそれについて説明しよう。

 まず前提として、小麦肌は最高である。

 褐色ギャルは最高に可愛い。

 これは、日焼けした部分とそうでない部分のコントラスト——異なる肌の色合いが織りなす二重奏があるからである。

 続けて、褐色ギャルは元気がいい。

 何故なら褐色ギャルは肌が程よく焼けるくらいに外で遊び回っているからである。

 こう言うと、では逆説的に外で遊びまわらずに日焼けマシーンで肌を焼いたギャルは真の褐色ギャルではないのか? 真の可愛さを獲得していないのか? という問いが出てくるが、例え日焼けマシーンで焼いていても可愛いギャルは可愛いのだから何も問題はない。

 褐色ギャルは可愛いのである。

 そして、ギャルだから活発であり、元気が良いのである。

 つまり褐色ギャルという存在はどのような要因を経て生まれたとしても、可愛いのである。

 褐色ギャルは可愛い。

 しかし、可愛い褐色ギャルは考えた。

 この可愛さは果たして永続的なものなのか? と。

 人々からすれば、それは永続的なものであったであろう。だが本人は疑念を抱いていた。

 ブスは三日で慣れる。美人は三日で飽きる。ならば可愛い褐色ギャルはどうなるのか?

 褐色ギャルは考えた。

 考えたが、具体的な日数に関しては何もわからなかった。

 わかったのは、何にしてもいつかどこかで飽きが来るのではないか? ということだった。

 日焼け跡……それは肌が垣間見せる素晴らしい芸術である——が、日常の中ではいずれ埋没してしまう。見飽きたと言われる日が来てしまう……ならば、先手を打って見えない時期を作ればいいのではないか?

 コギャルルンブスの卵、コペルギャルニクス的発想という学術的な単語をギャルが知る由などないのだが、到達した思考はまさしくそれであった。

 一年中見せるのではなく、見れる時期と見えない時期を明確に分ける。

 自らの肌を限定的に見せることで、その威力の最大化を測ったのである。

 見える時期は夏。

 見えない時期は冬。

 準備をする春。

 チラリズムの秋。

 ダンスパーティーで火照った体を冷ます場所を求めていたパリピギャルたちは秋や冬を作ることに反対しなかった。

 暑い場所で肌を曝け出したいと思っていたパリピギャルも多かったので、夏もすぐに作られた。

 そうすると冬や夏の中間くらいの温度を求める層も自然と出てきたので、春もスムーズに作られた。

 こうして四季が生まれた。

 またこの時、抜け目ない褐色ギャルは夏の日差しを強めに設定した。

 肌を効率よく焼く為であり、同時に「ちょっと暑くな〜い?」と言いながら自然に肌を曝け出す為でもある。

 全ては褐色ギャルの計算である。

 自らの可愛さを最大限に引き出す為、努力を惜しまないのは全てのギャルに共通する特徴でもある。

 このような理由で夏は暑いのである。

 昨今は夏が暑すぎるとの声もあるが、そうしてギャルが薄着になり、晒す肌の面積が増えるのだから、褐色ギャルの為に、人々は甘んじて暑さを受け入れなければならない。



 補足。

 褐色ギャルの神話にて四季の説明がされているが、地球には四季の無い地域もある。そこには当然ながら褐色ギャルの伝説は残されていない。そこには異なるギャルの伝説が語り伝えられている。

 何故ギャルは地球の全てに同一の気候条件を課さなかったのか?

 この問いに対する答えは、ギャルは仲良しだから。というものが一般的な学説として認められている。

 仲良しだから、互いを尊重し合う。

 例えば、


「え〜? うち暑いとこ嫌いだから〜こっちはずっと寒い方がいいな〜」

 

 と言ったギャルがいたとしよう。

 このギャルに対して褐色ギャルやその他のギャルは、


「そんじゃーそっちは寒くていいよ〜。こっち暑くするから〜」


 とのんびりと答えたのであろう。

 ギャルとはそういうものである。

 無益な争いを嫌うのである。

 あっちはあっち、こっちはこっち。それはある意味では無関心であるとも言えるのかもしれないが、そうではなくて、互いに譲り合いの精神を持っているのである。

 捨てられた子犬の面倒を見続けたヤンキーギャルが、最終的に何も知らない他のギャルに子犬が拾われていくところを目撃しても何もしないことからも、ギャルの奥ゆかしさがわかるというものである。

 故に我々は四季をありがたがらなければならない。

 季節の営みの中には確かに、ギャルの心が存在しているのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る