「太陽の姫の炎」


 一人の若者が、目を覚ました。


 窓から光が透き通っていた。カーテンを柔らかく揺らす風が陽の匂いを運んで、部屋の中いっぱいに満たす。瑞々しい空の青が世界を潤わせ、幻想的な美しさが窓辺を輝かせる。

 若者は、怪我をしていた。身体のあちこちに包帯が巻かれ、ベッドに横たわっている。

 若者は、おそるおそる呼吸をする。自分が息をしているのが信じられないとでもいうように、何度も何度も、ゆっくりと繰り返す。

 そうしてしばらくほうけてから小さくうなり、ようやく上体を起こした。

 そこは質素ではあるが、清潔感のある小さな部屋だった。宿屋の客室というよりは、よく掃除が行き届いた個人の自室という印象だ。


「……」


 自身の置かれている状況が、まるでわからない。

 そんな心情が明白に理解できるほど、その者は困惑していた。

 若者は、手当てがされている両手をじっと見つめたあと、自分の身体を一つずつ確かめる。

 爪先を動かし、太腿を撫で、腕や胸を触る。


「……?」


 違和感を覚えた。何度か胸をさすったあと、今度は頭に手を置く。するりと、髪をいた。


「……え?」


 横目で見える髪の先をつまみ、若者は声を震わせる。

 黒。瞳を通して脳が認識したのは、黒い髪の毛だった。


 違う、違う。自分の髪はこんな色ではない。そもそもこんなに短くもない。もっと腰まで伸びていて、そして、ベージュ色だった。


 心臓が胸を叩き始める。ここは一体どこなのだ、という疑問も改めてつきまとう。

 怪我をしている理由は、まだわかる。何せ、大陸を巻き込む災禍と戦っていたのだから。むしろ不思議なのは、今、自分が生きていることだ。


「私は……、死んだのでは、なかったのか……?」


 かすれた声で呟き、最期だと思っていた記憶を掘り起こす。

 決戦の場で、たった一人きりで戦った。つらくて、痛くて、苦しくて、逃げたくて。そして、身体の力がふわりと抜けた。

 災禍の元凶を討ち、ああ、これでもう役目は終わりなのだと、全てから解放された、心地よい気持ちになれた。それは、自らの死も意味していた。

 唯一自分を心配してかわいがってくれた隊の女性が駆けつけ、倒れて動けない身体をぎゅっと抱きしめる。あなたは本当に、よくがんばったわ。そう、涙を流しながら言ってくれた。

 姉のように慕っていた彼女からの言葉に、こちらの視界も滲む。報われた気がした。

 そのまま、体内に残されたほんのちょっとの力を精いっぱい喉まで押し上げ、命を懸けて守った未来を託す。


「あとは……頼んだ」


 ……自身の命の炎が消えかけていると悟ったとき、揺れる涙の中で、ただうっとりと願った。

 自分のような子どもが戦わなくていい世界を。子どもが安心して大人になれる世界を。

 そしていつかまた、天から命を与えられたとき。今度こそ、自由に歩ける人の道を。



(どうか、生きてゆけますように)



 そこで終わった。終わったはずなのだ。

 なのに……。


「まさか、本当に……?」


 本当に、新たな命と人生が始まったとでもいうのかと、若者は震える。

 だが、それにしては、既に身体が成長しきっているように見えた。老けてはいないようだが、ある程度の歳をとった男の身体だった。

 性別については、この際無視できる。元が女だからといって、次も女であるとは限らない。

 しかし、もう一つ疑問が湧いてくる。前世の記憶があるということだ。

 ヒース大陸で生まれ、幼少期から鍛錬を受け、災禍と戦い、死ぬ瞬間までの記憶を全て覚えている。逆を言えば、それしかない。

 つまり、この新しい身体での人生……。両親や友達、今度はどこで生まれてどんな環境で育ったのか。そういった記憶が一切なかった。


 そもそも、自分の名前は……。




「リィゼン……!」


 ハッと、うつむいていた顔を上げる。

 いつの間にか部屋の扉が開いており、そこには一人の若いむすめが立っていた。亜麻色の長く美しい髪の、十代前半の愛らしい見た目をした娘。

 彼女は、酷く驚いた顔をしていた。そのままこちらへ向かってきたかと思うと、勢いを落とさないまま抱きついてきた。


「ちょっ……!」

「リィゼン、リィゼン! ああよかった! 本当によかった! あなただけでも目を覚ましてくれて……!」


 なびく髪から、ほのかに良い香りが漂う。

 見知らぬ者に飛びつかれて動揺し、反射的に引き離そうと、娘の肩に手を置く。


「……」


 けれど、誰かから強く抱きしめられる感触が懐かしくて、温かくて、ふつふつとつらくなってきた。

 抱きしめてもらえたことなど、片手でかぞえるほどしかなかった。周りの皆は自分を、災禍を滅ぼす英雄〝としか〟見ていなかったから。


 本当はもっと、子ども扱いをしてほしかった。

 自分も大人に守られる対象なのだと、認識してほしかった。


 ずっと隠していた思いが、急に波のように押し寄せてくる。涙が、こぼれてしまいそうになった。


「……っ!」


 娘の肩に置いていた手を離し、宙で握って必死に涙を耐える。人を救う英雄が、人の前で泣いてはいけない。そう、教えられてきたから。

 やがて、娘がそっと離れる。こちらと違って感情のままに泣いていた彼女は、鼻をすすりながら照れくさそうに笑う。


「ごめんね、びっくりしたね……。でも私、ずっと祈ってたから。リィゼンが目を覚ましますようにって、ずっと、信じてたから……」


 涙をぬぐう姿が、とても女の子らしくてうらやましく思えた。自分もこんなふうに泣いていたら、誰かが手を差し伸べてくれたのだろうか。それは、単なる甘えなのだろうか。

 見知らぬ娘に釘づけになっていると、あれ? と娘が何かに気づいたように動きを止める。それからじっと見つめてきたかと思うと、急に顔を接近させてきた。


「なっ」

「リィゼン、あなた……。そんな目の色してたっけ?」

「……え?」


 少女特有の大きな瞳に戸惑うこちらなど知る由もなく、堂々と覗き込んでくる彼女は、やがて見惚れたように呟いた。


「綺麗な黄金の瞳……。まるでマヒナさまみたい」

「……」



 みたいも、何も、ない。


 私がマヒナだ。マヒナ本人だ。



 窓から差し込む光が、より強くなる。

 淡い風によってずっと揺れていたカーテンは、そこから気まずそうにぴたりと止まり、音を立てずに二人を見守っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る