第5話 シノちゃん
それから数日が過ぎた。今日は
「白井さん。一緒にデイサービスに行ってくれませんか? シノちゃんと話がしたいんです。実は、
「……わかった」
ためらいを見せたものの、私の必死の訴えを聞き入れてくれた。安堵して、思わず息を吐き出した。
休憩時間になって、施設の一階にあるデイサービスのホールの入り口まで来た。白井さんが囁き声で、
「ほら。あそこで利用者さんと歌ってる、あの可愛い人がシノちゃんだよ」
「白井さん。いちいち『可愛い』ってつけなくてもわかりますよ。よっぽど気に入ってるんですね」
皮肉な感じで言ってやるが、たいして気にしたような様子もなく、「だって、可愛いでしょ?」とさらに言う。私はそれには答えず、
「ちょっと声を掛けて来て下さいよ」とお願いする。白井さんは、「はいはい」とやる気なさそうに言って、シノちゃんの方へ歩いて行った。白井さんに声を掛けられたシノちゃんは、「え?」とでも言ったように口が動いた。それから白井さんが何か話して、シノちゃんが頷いた。二人で私の方に向かってくる。
「
「あ……えっと、早川です。急にすみません。お忙しいでしょうから、いきなり本題に入ります。私、明日夜勤なんですけど、その時間に私たちのフロアーに来てください。相田さんが会いたがっています。彼女はあそこから離れられないので、篠原さんに来てもらうより方法がないんです」
彼女は目を見開いて私を見ている。気が変になってるのかと思っているのかもしれない。
「信じられませんよね。でも、本当のことです。私、生きている時の相田さんは知りません。だから、篠原さんを困らせる為にそんな嘘を吐いたりしませんよ。相田さんは、だいたい夜の九時くらいに現れます。なので、その頃に来てください。待ってます」
シノちゃんの返事を待たずに頭を下げると、向きを変えて歩き出した。もう、言いたいことは言ったのだから、ここにいる必要はない。後は、シノちゃんがどうするか。それだけだ。相田さんの為に、来てほしいと願っていた。
「白井さん。ありがとうございました」
笑顔で伝える。白井さんは、戸惑いの表情をしていた。
「早川さん。返事を聞かなくて良かったの?」
「いいんです。明日わかりますから」
納得していないのか、首を傾げている。
「白井さん。お昼ご飯食べましょう」
「あ、そうだね」
食堂の、空いている席に二人で並んで座り、食事し始めた。
翌日の夜勤は、何だか緊張していた。シノちゃんは来てくれるだろうか。それが気がかりだった。
「シノちゃん、来るかな」
遅番の白井さんが、呟くように言った。私は、「どうでしょう」と素直に気持ちを伝えた。
「だよね。何しろ、泣きながら異動を訴えた人だからな。しかも、会いたがっているのがノブさんじゃ……。どうだろうね」
「はい。これは、賭けですね」
来てほしい。心の中で願っていた。
遅番の帰る時間になって、白井さんが「じゃ、お先に」と言って出て行こうとしたその時、彼女がやってきた。彼女は嬉しそうに、「白井くん」と呼び掛けているが、やはり全く気付かれていない。私は白井さんの背中に、「来てますよ」と声を掛ける。白井さんは振り向き、
「え? 誰が? ノブさん?」
「他に誰が来るんですか。そう。相田さんです」
ノブさんは、私の隣で溜息を吐くと、
「ほら。見えてないだろう?」
「そのようですね」
私が誰もいないはずの方に向かって普通に話しているのを見て、白井さんは、
「ノブさん? 本当にそこにいるの?」
ちょっと恐れているような言い方だ。ノブさんが私を見ながら、「通訳して」と言った。
「通訳?」
「私が言ったことを、白井くんに伝えて」
「あ。わかりました」
私は白井さんの方に向くと、
「だ、そうです」
「や。ちょっと、その前に。オレの言ったことを、ノブさんに伝えてよ」
「私が伝えなくても、相田さんはここで普通に聞いてるから大丈夫ですよ」
「あ、そっか」
慌てている風の白井さん。思わず小さく笑ってしまった。
「じゃ、ノブさん。聞いててよ。オレ……えっと……。ノブさん。オレ、ノブさんを看取らせてもらえて本当に感謝してるんだ。オレさ、今までも何人も看取りにあってきたけど、あの時一番そう感じた。ノブさんの担当だったからなのかな。オレの夜勤中に息を引き取ったのは、オレを選んでくれたんだよね。もちろん、最期の瞬間に立ち会うのって怖い気持ちにもなるし、すごく寂しい気持ちにもなるよ。でも、選んでもらったんだって思って……嬉しくてさ。ノブさん。生きてる時、いろいろうるさく言ったりしてごめん。でも、ノブさんのことを思って言ってた。本当だよ。ノブさんに会えて……本当に良かった」
白井さんが泣いている。私ももらい泣きしそうだった。ノブさんを見ると目元を拭うような動作をして、「泣かせようとして」と呟いていた。
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