第九章 揺らぐ心──友との死闘

深夜の王都は、仮面舞踏会の凄惨な事件による動揺が街中に広がっていた。人々は戸を閉ざし、小さな灯火を頼りに震えながら過ごしている。宰相の陰謀と闇勢力の存在が囁かれ、兵士や騎士が巡回する中、奇妙な静寂が町並みを包んでいた。


 アルトとセリアは魔法塔へと戻っていた。先ほどの狂宴で血と闇の匂いを浴び、疲労は大きいが、今は一刻も早く行動しなければならない。

 「三つの印は手に入れた。次は、巻物に記されていた古代迷宮への入り口を突き止める必要があるわ。」

 セリアが研究室の明かりを灯し、机に巻物を広げる。アルトは肩で息をしながら、その背後に立った。


 巻物には古い魔族文字と古代紋様が描かれ、王都中心部と王立アーカイブ付近を示す複雑な地図らしきものがあった。セリアは指先で印をなぞりながら、ひとつひとつ解読を試みる。

 「……この記号は『門』を意味する古代文字ね。そして、この三つの印を組み合わせることで、門が開くとあるわ。どうやら王立アーカイブの地下には、かつての古代迷宮が封印されているみたい。」

 アルトは腕を組んで問う。「その迷宮の入口はどこにある? アーカイブは王城の管理下だ。普通に入れば宰相が邪魔をする。」

 セリアは巻物を睨み込む。「ここ……王都大聖堂の地下水路と繋がった脇道を介し、そこから迷宮の一画へ抜けるルートが示唆されている。大聖堂は古くから魔力を抑制する結界を持ち、その地下区画には防護魔法が施されているの。宰相の手が及びにくいかもしれない。」


 「大聖堂……」

 アルトは記憶を辿る。王都大聖堂は、かつて魔王討伐に出かける前、祝福を受けた場所だ。清廉な聖職者たちが集い、精霊への祈りが捧げられてきた。

 「そこならば、闇の者も簡単には立ち入れないかもしれないな。」


 セリアはさらに巻物を読み進める。「三つの印は、迷宮の入り口にある石壇にはめ込む必要があるそうよ。月・蛇・棺の順番で彫り込まれた台座があると書いてある。台座に印を嵌めれば封印が解かれ、迷宮への扉が開く。」

 アルトは頷く。「迷宮の中で禁書を探し、封印術を得る。そのためにはクレリアも必要かもしれない。彼女はこの情報を得るために動いていた。もしかすると、既に迷宮へ向かっているか、あるいは近くで身を隠している可能性があるな。」


 ふと、窓の外で微かな音がした。アルトとセリアは警戒して視線を交わす。二人が灯りを落とし、窓越しに闇夜を覗くと、魔法塔の下で誰かが動く影があった。

 「闇勢力の追手か?」

 アルトは剣に手をかける。セリアは小声で囁く。「待って、あの人影……見覚えがある気がする。」


 塔を出て裏手に回ると、物陰で傷ついた男性がうずくまっていた。

 「……ううっ……アルト、か……」

 その声にアルトは目を見開く。「リィゼ!?」

 うずくまっていたのは、かつて魔王討伐パーティーに加わった治癒士のリィゼだった。魔王討伐後は王都の病院で働いていたはずだが、その彼が血を流しながら倒れている。


 「しっかりしろ、リィゼ!」

 アルトは急いで彼を支え、セリアは治癒魔法を唱える。淡い光がリィゼの傷を包み、出血が徐々に収まる。リィゼは荒い息を整え、顔を上げた。その瞳には焦燥と悲痛が宿っている。

 「ゴメン……急に来て……」

 リィゼは唇を噛みながら続ける。「俺はずっと病院で患者を助けてきたけど、最近、闇勢力に拉致された患者がいるって噂を聞いて、調べていたんだ。そしたらニア・フォルテリアの手下に見つかって、襲われて……」


 アルトは拳を握る。「ニアめ……リィゼ、お前を襲って何が狙いだ?」

 リィゼは首を振る。「分からない。でも、闇勢力は王都中で何かを探しているらしい。患者や行方不明者が増えていて、どうやら『魔族の血の適合者』を探しているとか……」

 その言葉にアルトは心臓が凍る思いだった。自分が魔族の血を持つと知ったニアたちは、同じような資質を持つ者を探しているのか?


 セリアが厳しい顔をする。「彼らは魔王復活のために適合者の血や命を捧げる儀式を考えているのかもしれない。状況はますます悪化しているわ。」

 リィゼは薄く笑みを浮かべ、「アルト、お前が戻ってきたと聞いて、少しでも助けになりたかったんだ。お前なら、この闇を止められると信じている。」

 アルトはリィゼの肩を叩く。「お前は無理をするな。セリア、リィゼを塔の中で休ませてやってくれ。」

 セリアは頷く。「分かった。彼は治癒魔法で回復できる。しばらく休んでもらいましょう。」


 しかし、その時、足音が近づく気配がした。塔の裏手、闇の中から静かな声が響く。

 「……仲間の再会とは心温まることだ。」

 アルトは剣を構え、闇の中に目を凝らす。「誰だ?」

 一歩前に出た人影は、かつての戦友、剣士ガルム……ではなかった。顔立ちは似ているが、その瞳は虚ろで、肌は灰色がかっている。

 「ガルム……? 嘘だ、ガルムは騎士団本部にいるはずだ。」

 しかし、その人物はニヤリと歪んだ笑みを浮かべる。その目は死んだ魚のように濁っている。


 セリアが震える声で言う。「アルト、気をつけて。これは……死霊魔法か何かで操られているかもしれない。」

 ガルムに酷似した男は、低く喉を鳴らし、黒い短剣を抜く。「アルト、魔王の器よ……ニア様がお前に贈る刺客だ。」

 その声はガルム本人のものに似てはいるが、感情が抜け落ちたようだ。アルトは怒りと悲しみに眉を寄せる。「ニア、貴様……ガルムをどうした!?」


 人影は答えない。むしろ、アルトを挑発するように腰を落とし、剣を構える。

 アルトは葛藤を覚える。目の前の存在はガルムの姿をしているが、果たして本人なのか、それとも偽者か? ガルムは騎士団にいるはずだ。しかし、ニアの闇魔法なら、ガルムに似せた魔物や幻影を作り出すことも可能だろう。


 「セリア、リィゼを塔に避難させて。ここは俺が食い止める。」

 アルトがそう告げると、セリアは悔しそうに唇を噛むが、「分かったわ、気をつけて!」とリィゼを支えて塔内へ急ぐ。


 残されたアルトと、ガルムを名乗る影。二人の間に冷たい風が吹く。

 「もしお前が本当にガルムなら、なぜこんな所に? なぜそんな目をしている?」

 アルトは声を荒らげるが、相手は無言。かわりに、唐突な踏み込みでアルトの懐へ斬り込む。

 剣戟の音が、夜の静寂を切り裂く。アルトはかろうじて剣で受け止めるが、相手の腕力と速度は尋常でない。ガルム本来の技量を持ちながら、人外じみた力を備えているかのようだ。


 「くっ!」

 アルトは後退しながら考える。このまま戦えば、相手を倒すしかない。だが、もしこれが本当にガルムなら、取り返しのつかないことになる。しかし、現状を見る限り、正気を失ったガルムか、あるいは闇の魔法で彼によく似せた存在である可能性が高い。


 「ガルム! 目を覚ませ!」

 アルトは叫ぶが、相手は獣のような唸り声を上げ、再び突進してくる。その剣筋には武人としての洗練が感じられるが、そこに意志はない。

 仕方ない、相手を無力化するしかないのか……アルトは唇を噛み、剣の柄を強く握る。


 金属音が続き、火花が散る。影ガルムは隙が少なく、アルトを追い詰めるような巧みな剣捌きを見せる。アルトは必死に回避しながら、相手の足元にある石畳の段差を利用してバランスを崩そうと試みる。

 相手が踏み込む瞬間、アルトは一気に左側へ飛び込み、剣を相手の横薙ぎへと振る。狙いは武器を持つ腕だ。

 「はあっ!」

 一瞬の疾光。剣が相手の前腕部を浅く斬りつける。闇色の液体が飛び散り、相手は低く唸り声をあげて後退する。その液体は血ではなく、黒い泥のようにドロリと地面に染み込む。


 「血じゃない……やはり人間じゃないのか!」

 安堵とも恐怖ともつかぬ感情がアルトを襲う。影ガルムはもう一度突撃してくるが、その動きにはさっきまでの切れがない。傷が効いているのだろうか。


 「ニア、こんな卑劣な手を使っても無駄だ……俺は屈しない!」

 アルトは勇気を奮い立たせ、正面から向き合う。影ガルムが剣を振り下ろす瞬間、アルトは身体を低く沈め、逆方向へとステップを踏むように回り込み、その首筋へ柄頭を打ち込む。

 鋭い衝撃音が響き、影ガルムの体がぐらりと揺れる。続けざまにアルトは、相手の背後へ回り、背中を剣の平で強打する。

 「うあっ……」

 呻き声とともに、影ガルムの体がひしゃげるように崩れ落ちる。その肉体は黒い靄と化し、地面に溶けて消える。


 夜風が吹き抜け、何も残らなかった。

 「幻影……闇の人形か。」

 アルトは息を整え、剣を収める。ニアは自分を苦しめるために、仲間の姿を模した魔物を送り込んだのだろう。悪質な挑発だったが、アルトは耐え抜いた。


 塔へ戻ると、セリアが心配そうに待っていた。リィゼは簡易ベッドで休んでいる。

 「大丈夫?」

 「問題ない、敵は幻影だった。ガルムは無事なはずだ。」

 アルトは息を吐く。セリアはほっと息をつきつつも、「闇勢力はますます汚い手を使ってくるわね。あなたの心を揺さぶろうとしている。」と顔を曇らせる。


 アルトは強く頷く。「ああ、だが俺は負けない。魔王にはならない。だからこそ、封印術の禁書を手に入れ、闇を断たなければならない。」

 リィゼは弱々しく笑みを浮かべる。「相変わらずだな、アルト……君なら世界を救えると信じてる……」

 セリアがリィゼに治癒魔法を続けながら言う。「ひとまずリィゼはここで安静に。私たちは大聖堂へ行って迷宮への入口を探すわ。」


 夜明けが近い。空が白み始める中、アルトとセリアは装備を整え、魔法塔を後にする。

 「大聖堂へ向かおう。あそこなら宰相の手が届きにくい。三つの印を台座にはめて迷宮を開き、アーカイブに潜入する。クレリアもあの中にいるはずだ。」

 アルトは覚悟を決める。闇勢力との戦いはこれからが本番だ。世界を覆う黒幕を打ち破るため、かつての勇者は再び剣を取る。


 セリアは横で静かに呟く。「あなたの心が折れないよう、私も支えるわ。共に闇を超えましょう。」

 アルトは微笑み、「ああ、頼む。」と答える。


 こうして、王都大聖堂へと急ぐ二人。闇は深まるばかりだが、三つの印を携えた勇者たちは、再び宿命に立ち向かおうとしている。その先にある禁書と封印術、そして魔王復活の芽を摘み取るため、足音は石畳に響く。

 朝霧が彼らの背中を押すように、世界は静かに息を潜めて次なる幕へと動き出す。

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