第32話 これにて、一件落着

 日が落ちてきた。秋が深まってきたことを感じる。でも今年の冬至祭は恋人と祝えそうなので大丈夫だ。今年の冬は、寒くない。


 謁見の間には、十を超える縦長の窓から、細い光が差し入っていた。その光は、奥の玉座に腰をおろしたフレデリク王の苦悶に満ちた顔をも、照らしている。


「ナタニエルよ」


 真っ青な顔をして震えながらひざまずいていたナタニエルが、顔を上げる。父と視線を交わす。父が溜息をつく。


「ヴァルトラウトとセシルが申していることは本当か」


 ナタニエルが口を開く前に、フレデリク王は「いや、よい」と言って手を振った。


「そなたが何を申してもヴァルトラウトが持ち帰った映像がすべてであろう。余はヴァルトラウトを信じる」

「実の息子よりもですか」


 そう言いつつ、ナタニエルが立ち上がった。


「その女は一流の魔法使いです。映像に小細工をすることなど簡単なはずです。それにその女とセシルが情を交わしているというのは父上もご存じのとおりでしょう。口裏を合わせることなどいくらでもできます」


 情を交わしている、というのもすごい言葉だと思うが、今ここでツッコミを入れるべきではない。セシルはくすりとも笑わず、ナタニエルの背後で、ヴァルトラウトと並んでひざまずいている。


「見苦しい!」


 フレデリク王も立ち上がり、ナタニエルを見下ろしながら一喝した。


「信頼の度合いが違うのだ! そなたは今までも余や兄であるエルンストの関心を引くために何度も嘘をついてきたではないか! 何度も、何度も、何度も――もうやり直しはさせん!」


 ナタニエルが拳を握り締める。


「そなたに王位を認めているのはそなたしかいないからだぞ、ナタニエル」


 怒鳴って疲れたのか、フレデリク王はすぐに腰をおろした。そして自分の額を押さえる。


「こんなことならばエルンストを追放するのではなかった……! たかだか婚約破棄程度で、余もやり過ぎた。あの子には可哀想なことをした……」

「何をいまさら……っ」

「いや、まだわからんぞ」


 顔を上げる。その目が血走っている。


「ヴァルトラウト」

「御前に」

「そなたは余の弟の娘。母親はパルカールの王女。血筋は申し分ない」


 セシルの背筋が、ぞわり、と粟立つ。


「そなたにも王位継承権があるのを忘れていた」


 まさか、こんなところでこんなふうに話がつながるとは、思ってもみなかった。


「余は子育てに失敗した。息子が二人とも不出来で王位を任せることができん。それに引き換え、そなたは、賢く、魔法の力も強く、余に忠実である。よって――」


 ナタニエルが「そんな」とか細い悲鳴を上げた。


「こやつの立太子の予定を取りやめ、そなたを王位継承順第一位として認めようと思う」


 周囲に立って様子を見守っていた家臣たちが、ざわついた。


 セシルは胸がいっぱいで喉が詰まって言葉が出なかった。


 なんだ、ヴァルトラウトはフレデリク王もナタニエルも殺すことなく女王になる道が開けたではないか。


 すべて、彼女の努力の結果だ。


「どうだ、ヴァルトラウト」


 フレデリク王が、久しぶりに、公共の場で笑みを見せた。


「我が愛する姪よ。そなた、女王になる気はないかね」


 ヴァルトラウトが、顔を上げた。


 まっすぐ、フレデリク王の顔を見た。


 フレデリク王が、ヴァルトラウトの言葉を待っている。


 セシルも、手に汗を握ったまま、ヴァルトラウトの次の発言を待った。


「わたくしは――」

「陛下!」


 突如謁見の間に響き渡るような大きな声が聞こえてきた。

 振り向くと、後方に控えていた王の侍従官が慌てた様子で部屋に入ってきたところだった。


「どうした」

「すぐにお目通りしたいというお客人がお見えです」

「誰だ、この大事な時に」

「パルカール王国のザカリアス王太子殿下です」

「なんと……、先ほどヴァルトラウトが申していた件か」


 ヴァルトラウトが涼しい顔で「そのようです」と言う。


「お会いになってくださいませんか? ナタニエル殿下の謀反の計画について、パルカール王国側の情報をお聞かせくださると存じます」

「うむ、そうだな。まずはナタニエルの件を終わらせよう」


 侍従官に「呼べ」と命令する。侍従官が「は」と礼をしてから扉のほうへ駆けていく。


 扉を開けると、先ほどと変わらぬ様子のザカリアスが中に入ってきた。


 ところが、ザカリアスは一人ではなかった。


 フレデリク王が目を大きく見開いた。


 セシルも、今度は、驚きのあまり言葉を失った。


「フレデリク陛下」


 ザカリアスが、得意げな顔をしている。


「ナタニエル殿下の件でお困りであろうと思い、陛下が今一番お会いになりたいであろう人間をここに連れてきました」


 彼の後ろから、まばゆい銀の髪の青年が歩み出てきた。

 すらりと高い背、青い瞳、だが日に焼けて頬に傷を作り精悍な顔立ちになったその人は――


「エルンスト殿下……!」


 ようやく喉から言葉が出てきて、セシルは万感の思いを込めてその名を呼んだ。


 エルンストが、微笑んだ。


「久しぶりだね」


 優しい声は、ずっと大事にしてきた幼馴染の、聞きたかったあの声のままだった。


「父上がナタニエルのことでお困りと聞きまして、お叱りを承知の上で一時帰参しました」


 ゆっくり歩み寄ってきて、フレデリク王の前でひざまずく。フレデリク王が「なんと……」と呟く。


「そなたたち、どこで合流したのだ」


 それにはザカリアスが答えた。


「西イルダーラ――オルファリア王国で言うところの東ヒルデリアを不当に占拠していた我が国の恥、反乱軍の残党を、エルンスト殿下とその仲間の騎士たちが掃討してくださったようです。国境線が曖昧なので足を踏み入れるのをためらっておりましたが、エルンスト殿下が奮闘していることを知ってぜひとも感謝と激励の言葉をお掛けしたいと思い、私から平身低頭で面会を申し入れました」


 エルンストが「そういうわけです」と苦笑した。


「思いのほか話が弾みまして、ザカリアス殿下が兄代わりとして私の保護者になってくださるとおっしゃって。しばし行動をともにしておりました」


 だから、転移門は森の中につながったのだ。

 あの時ザカリアスはオルファリアとパルカールの国境沿いの辺境にいて、あれからすぐエルンストと会ったのだ。


 エルンストを、連れてきてくれたのだ。


「ナタニエル殿下の不穏な動きにつきまして」


 ザカリアスが続ける。


「我が国でもそちらでの内乱を画策する愚か者どもがあったので、捕縛ないし処刑しております。必要であれば生きている者をオルファリアに引き渡します。これをナタニエル殿下の謀反の証拠としてお収めくださいませんか」


 フレデリク王が「うむ……」と眉間に深くしわを刻んだ状態で頷いた。


「そして、ナタニエル殿下を廃位し、エルンスト殿下の復位を」


 ザカリアスとフレデリク王の視線が、ぶつかる。


「我が国が――この俺が、エルンストを全面的にバックアップする」


 セシルの隣で、ヴァルトラウトが小声で、「なるほど」と呟いた。


「そういうことだったのね」

「何が?」

「エルンスト殿下がなぜ東ヒルデリアに追放になったのか疑問だという話をしていたでしょう? アリスは修道院送りと軽いざまぁになったのに、エルンスト殿下は危険な紛争地帯に送り込まれるとは、って」

「それが――」

「東ヒルデリアに行けば、エルンスト殿下とザカリアス殿下がエンカして、ザカリアス殿下がエルンスト殿下を連れてきてくれる――ザカリアス殿下の後押しでエルンスト殿下の名誉が回復する、というイベントを発生させるための、伏線だったのよ」


 セシルの顔に、笑みが広がった。


「王位を継ぐ王子様は、苦労しなくてはね」


 ナタニエルが転がるように駆けていき、兄であるエルンストの前に出た。


「兄上」


 エルンストは悲しそうな、それでいてどこか他人行儀な冷たい目で弟を見ている。


「ぼくは……、ぼくはそんなつもりではなかったのです!」

「では、どういうつもりだったんだ?」

「その……、兄上をこんなくだらないことで追放した父上をぎゃふんと言わせたくて――」

「誰がお前の言うことなど信じる?」


 エルンストが苦々しい笑顔を見せた。


「もう見苦しいことはよせ」


 ナタニエルは、その場に膝をついた。その顔が絶望に染まっていた。


「陛下」


 ヴァルトラウトが堂々とした態度で王のほうを振り向く。


「わたくし、王位は結構でございます。もしわたくしめに褒美をいただけるのでしたら、わたくしにそのような重荷を背負わせるのではなく、望む者のもとに降嫁させてくださいませ」


 セシルは思わず「あわわ……」と呟いてしまった。そう来たか!


「そなたに王位を認めるのは名案だと思ったのだが」


 フレデリク王が自らのひげを撫でる。


 ザカリアスがまた一歩足を進めた。


「まあ、陛下、よくよくお考えください。パルカールの王子である私があれこれ言った結果王位継承者が変わるようでは、それこそ内政干渉ですから」

「しかしそなたの後ろ盾があるとなれば安心なのも事実」


 そして「よろしい」と言った。


「とりあえず、エルンストの追放処分は解除する。エルンストはこの城に戻るがいい。王太子の位まで元に戻すかどうかはこれからゆっくり検討するが、継承権の剥奪は撤回してやる」


 エルンストが「ありがとうございます」と言って頭を下げた。


「ナタニエル」


 ナタニエルの華奢な肩が震える。


「そなたは継承権の剥奪だ」

「そんな……」

「本当は国家反逆罪で縛り首のところだが、まだ十四歳の子供であること、すべてが未然に防がれたことから減刑して、幽閉処分とする。一生涯城内の北の塔で暮らせ」

「父上……っ」

「連れていけ」


 兵士たちがやってきて、ナタニエルを拘束した。ナタニエルはまだ何かをわめいていたが、誰も取り合わなかった。


「これにて、一件落着!」


 今度こそ、誰もが納得のざまぁであった。




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