7.性質

「……すまない、取り乱してしまった。雨音三弥子さんに連絡をするよ」

 俺は黙って頷いて、旭さんの動きを見ていた。旭さんは無言でスマホを耳に当てていたが、しばらくの後に言葉を発した。

「……ご無沙汰しております。立花です。お時間よろしいでしょうか。雪華のことなんですが――」

 電話が繋がったようだ。てっきり出ないものだと思っていた。旭さんの持つスマホからは僅かに女性の声が漏れ出している。しかし内容までは分からない。

 旭さんはちらりと俺の方を見ると、会話をスピーカーに切り替えてくれた。少し鼻にかかったような女性の声が聞こえる。


『ええ、本当に会うのが久しぶりで。すっかり話がはずんじゃって、雪華も連絡をし忘れちゃったんですよ。だってほら、もう高校生ですし。わざわざ家に連絡なんてしなくても、普通は友達と遊びに行くでしょう?』

 礼儀正しくはしているが、どこか圧のある言い方だった。まるで、こんなことで騒ぐなと言っているみたいだ。


「嘘はいけませんね。雪華は今日、私と約束をしているんです。それをすっぽかすような子じゃない。雪華に代わってもらえませんか?」

『今、お手洗いに行っているんですよ。それよりも、立花さんたちもこちらに来ませんか? 今、近所のレストランで一緒にデザートを食べているんです』

 三弥子は早口でそんなことを言った。好意的な口調が怪しすぎる。


「照人がそばにいるでしょう」

『えっ? いませんけれど――』

「あなたは嘘が苦手なようですね。わざとやっているんですか? 今までの事を忘れてしまったんですか。それに『立花さんたち』というのは誰の事ですか? どうして私のほかに、誰かがいると思っているんですか?」

 矢継ぎ早に言う旭さんに対して、三弥子は怯んだのか、口調が弱々しくなっていく。


『それは、立花さんのお父さんや……そう、お弟子さんもいるって聞いていますし』

「ほう、私の十人の弟子ですか。全員連れて行ってもよろしいので?」

 一瞬、耳を疑った。どう考えても嘘だろうけれど、実は俺の知らない弟子が大量にいるのかと考えてしまった。『……そ、それはちょっと――』と、明らかに三弥子は困惑している。

『……お兄ちゃん』

 そこに被さるように、急に雪華さんの声がした。

『えっ?』

「……雪華?」

 三弥子と旭さんの驚く声が、ほとんど同時に上がった。


『お兄ちゃん、ここ。うちの目の前だよ。車に乗って隠れてるけれど、雑木林の道の奥にいる』

 しっかりとした口調だった。良かった、ひとまずは無事なようだ。

「――大神君、フォンロンに電話してくれ。早く!」

「……はっ、はい!」

 旭さんに指示されて、俺は慌ててフォンロンに電話をかけた。そうしている間にも旭さんは会話を続けている。


「雨音さん。今、電話を切ったり動いたら、直接あなたを呪いますよ。うちは由緒正しい陰陽師の家系なんですからね。覚えているでしょう?」

『……どうして、そんな……わ、私は何も……』

「それに、照人にはもう新しい彼女がいるんですよ。元の奥さんと会っているのがバレたら大変なんじゃないですか?」

 なにその地獄。新しい彼女って俺の母親なんだけど。

『――はい。どうかしましたか?』

 そこでフォンロンに繋がった。

「雑木林の道の奥に、怪しい車とかいないか? 雪華さんがいるみたいなんだ!」

『分かりました。近いですね、すぐに向かいます』


 フォンロンの返事と共に、旭さんは電話をしながら俺に手招きをした。もう三弥子の声が聞こえないあたり、スピーカー機能を切ったのだろう。俺もスマホをポケットに押し込むと旭さんの背中を慌てて追いかける。少し離れていたせいか、すぐには追いつけない。

 距離にすると、大したものじゃないだろう。家の門を出て、すぐ脇にある小さな小路に入っていく。車が一台通れるくらいの幅しかない。すぐ横は雑木林になっていて薄暗く、足元は砂利になっていてタイヤの跡が残っている。

 しばらく走ると、黒いワンボックスカーが停まっているのが見えた。そこで旭さんが立ち止まり、スマホを切って懐に仕舞った。


 どこからか、覚えのある臭いがした。

 ――きつい香水の臭いだ。しかし、すぐに消えてしまった。

 それと同時に、何かを打ち付けるような大きな音がした。見るとフォンロンが、フロントガラスに向かって何度も拳を打ち付けている。手には大きな石を持っていた。

「や……やめてよ! 暴行罪で訴えるわよ!」

「こちらこそ、誘拐で訴えますよ」

 いつか見たような光景だった。フォンロンが俺の家まで助けに来てくれた時もこんな感じだった。

 たまらないと言った様子で飛び出してきた三弥子とフォンロンが言い争いをはじめて、開閉音と共に車から雪華さんが降りて来た。


「雪華っ!」

「お兄ちゃん!」

 二人はお互いに駆け寄って、砂利道の上で抱き合った。見たところ外傷もなく元気そうだ。良かった……。

「雪華……! すまない、怖い思いをさせて……」

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。七海君も無事だよ。でも、照人が逃げちゃったの。変なおばさんと一緒に」

「おばさん?」

 嫌な予感がして俺が問いかけると、「ええと、太ってて癖っ毛で、顔が真っ赤なおばさんが一緒にいたの」と返事があった。やはり良惠だ。軽い絶望感を覚えていると、雪華さんに気がついた三弥子が歩み寄って来た。

「せ、雪華。これは、あの……そういうのじゃなくて……」

「ああ、うん」

 雪華さんは母に対して軽い調子で返事をする。さっきまで拉致られていた人物とは思えなかった。

「お母さんは照人に協力して、私を誘拐したんだよね。分かってるから大丈夫だよ」

 雪華さんがそう言うと、三弥子は顔面蒼白になった。


「お母さんは、いくら貰ったの? 先払い? 後払い?」

 感情を失くしたような表情で続ける。冷静に振舞っている姿が、逆に可哀想だった。

「ち、違うわ! 雪華、それはあなたの勘違いよ!」

 雪華さんは眉根を下げて、困ったように微笑んだ。嘘だと分かっているのだろう。今度は旭さんに向かって説明を始める。

「お母さんについて行ったら、照人とおばさんが出てきて、変な術で寝かせようとしてきたの。七海君は寝ちゃったけど……私は一応、雨音家の血筋だし、そういうのは効きにくいみたい。寝たふりはしてたけど、ずっと起きてたから。照人たちが車の中で話してたことは、全部聞いてたよ」

「……な、何よ……照人の奴、すごい術が使えるって言ってたくせに……違うのよ、雪華は眠らせるだけだって聞いていたの。それで、騒ぎを起こして立花さんの家に忍び込んで、自分の私物を取ってくるだけだから協力してくれって頼まれたのよ。立花さんが家に入れてくれなくて困ってるって聞いてたし、私物を売ったお金を分けてくれるって言うから、それで……その……」

 三弥子は諦めたのか、悔しそうに唇を噛んだ。明るい色の口紅が血のように見えて怖い。


「ふっ、雪華の力を見くびるからだ。バカな奴らめ」

 どこか得意そうに旭さんが呟いた。さっきまで取り乱していた人物とは思えない。

「どうしますか? 取り合えずこの人は警察に突き出しますか」

 フォンロンが指をさすと、三弥子はびくりと肩を震わせた。

「そうしたい所だが、今の状態では証拠不十分じゃないかな。照人と良惠もいないし」

 旭さんは冷ややかな口調でそう告げる。続けて、雪華さんが俯きながら呟いた。

「いいよ。お母さんの車もボロボロになってるし。私ね、この人がいたから怖くなかったんだよ。本当に」

 確かに、彼女に怯えた様子は見えない。こんな母親でも信頼していたのだろうか。

「せ、雪華……」

 三弥子が自分の娘に近づこうとすると、雪華さんは片手でそれを制した。


「お母さんは、人を殺すなんてリスクのあることはしないものね。怖がりだし」

 三弥子は、目を丸くして固まった。

 俺は納得した。雪華さんは冷めているわけじゃない。とっくの昔に理解したんだ。俺がまだ受け入れられていないことを、彼女は受け入れている。

 自分の母親の性質を。

 淡々とした口調で、雪華さんは続きを話す。

「照人たちの狙いは、立花家や大神家、雨音家の力を手に入れることだって。そのために人の魂……エネルギーをたくさん集めて、呪いの素材にしようとしてる。そのために旭お兄ちゃんと、大神さんの力が必要なんだって話していたよ」

「家の力を手に入れるって、どうするつもりだよ。他人から霊力を奪うなんて……そんなことできるのか?」

 俺はつい疑問を口にする。

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