34 マリオの事情

 イタリアペアの女の方、茶金頭のマリオが俺たちの前に立ちはだかる。


「フロア転移陣、持ってんだろ? 寄越したら手は出さないでいてやるから、今すぐ出せ」

「……!」


 俺たちは、じり、と後ろに下がると各々武器を構えた。


 唇を噛み締めた龍之介が、「まさかここで待ち伏せされるとは……!」と呟く。


 これまで二回とも、カメラが回らないセーフティゾーンで凶行は行われた。昨日俺たちが途中でエンカウントして追いかけられたのは、たまたますれ違ったから。だから向こうもいきなり武器を手に持ち襲うんじゃなくて、話しかけてきたんじゃないかって思ってた。


 でも、違ったんだ。きっと彼らは、セーフティゾーンではもう警戒され過ぎて襲えないと思ったのかもしれない。階段だったら確実にエンカウントするから、これはイタリアペアの方が一枚上手だったってことだろう。


「おい、出せって言ってんだよ。俺がキレる前にさ」


 睨みを利かせながら、マリオが一歩出てくる。マリオの背後に突っ立っているドメニコという長身黒髪のお目付け役は、こんな状況だというのにずっと手にしたスマホから目を離さないのが、何だか異様に思えた。


「渡せと言われてはいそうですかと渡すと思うか?」


 スティーブさんが、ボウガンでマリオに狙いながら、呆れ口調で答える。すると挑発に乗ったマリオが、苛立たしげに地団駄を踏んだ。


「うっ、うるさい! いいから出せ! 俺は一番で外に出て、男に戻らなくちゃいけないんだよ! お前らとは抱えてるもんが違うんだっ!」


 余程精神的に追い詰められているのか、今にも泣き出しそうに顔をくしゃりと歪めている。なのにドメニコは、ちらりと見ただけでまたすぐに画面に目線を戻した。……さっきから何を見てるんだ?


 ジャンさんが、スティーブさんを横目で制す。


「ジャン、煽るんじゃない! 私はお前を人殺しにはしたくないぞ!」


 スティーブさんが、口元を歪ませる。


「優しいこった。ジャンのそういうところは好きだけど、俺は元々ジャンを傷付けたこいつらを許す気はないからな?」

「スティーブ!」


 ジャンさんが叱るように名前を呼んでも、スティーブさんは構えを解きはしなかった。スティーブさんは一見にこやかに微笑んでいるように見えるけど、近くにいると分かる。歯の奥が、ギ……と嫌な音を立てていることが。


 スティーブさんは、心底怒ってるんだ。最愛のジャンさんを殺しかけた相手に対して。それこそ、殺したいくらいに。


 気持ちが痛いほど分かるだけに、俺はどう声をかけたらいいのか、何が正解なのかも分からなくて動けずにいた。


 不安で泣き出したくなるような気持ちをひとりで抱えていることに、段々と耐えられなくなってくる。隣で長剣を構えてやり取りを固唾を呑んで見守っている龍之介の服の裾を、ぎゅっと摘んだ。


「亘……っ」


 俺の表情を見て瞬時に俺の心境を察した龍之介が、安心させるように俺の肩を抱き寄せ、頭に頬を擦り付ける。ぐり、とこめかみを龍之介の胸に押し付けると「とくん、とくん」と龍之介の心音が聞こえて、少しだけ不安が薄れた。


 緊迫の表情のジャンさんが、片手を横に広げてスティーブさんを制する。


「スティーブ、私に話をさせてくれ」

「ジャン? 相手はマフィアだぞ? 話し合いなんて応じると――」

「スティーブ、頼む。少しだけでもいいから」


 ジャンさんの懇願に、スティーブさんは小さく舌打ちをしつつも頷く。


「……怪しい素振りを見せたら、すぐに撃つ」

「分かった」


 ジャンさんは真剣な眼差しをマリオに向けると、問う。


「君は確かマリオ、だったね?」

「それがなんだよ」


 意外にも、マリオはジャンの問いかけに答えた。時折、不安げな視線を後ろで相変わらずスマホを弄っているドメニコに送っている。頼りにしている筈のお目付け役が全く援護する素振りを見せないので、不安になっているのかもしれない。


 考えてみりゃ、見た目からして俺たちと大して年も変わらない感じだ。精一杯背伸びはしてても、子供から毛が生えたくらいの年で、一緒にいる大人が味方をしてくれなければ挙動不審にだってなるよな。


「君が男に戻らないといけない理由はなんだ? 抱えているものが違うと言っていたが、それが何かを教えてくれないか」


 ジャンさんの言葉に、マリオが馬鹿にしたように「ハッ!」と鼻で笑った。


「なんだよ、俺の事情を聞いたら渡してくれるってのか!?」

「ないとは言い切れないかもしれないぞ」

「く……っ」


 ジャンさんは微動だにせず、じっとマリオを見つめ続ける。


 緊迫した時間が続く中、先に耐えられなくなったのはやはりマリオの方だった。分かる。ジャンさんの肝の据わり方って結構凄いもんな。スティーブさん絡みになると途端に乙女になっちゃうけど。


「お……俺の親父は、マフィアのドンなんだよっ」

「ああ、聞いている」

「うちのファミリーは、男じゃないと継げないんだよ……だから俺は何としてでも男に戻ってファミリーを継がないといけねえんだよ!」


 吐き捨てるように言ったマリオに対し、ジャンさんは冷静に問い返す。


「マリオ、君がファミリーを継ぎたいのは何故だ?」

「え……っ」


 思ってもみない質問だったのか、目を見開いたマリオは後ろのドメニコを一瞬だけ振り返った。だけど画面ばかり見ている彼に苛立ったのか、「チッ」と舌打ちをすると視線を前に戻す。


 ジャンさんを上目遣いで睨みながら、それでも答えた。


「……俺には跡目争いをしている兄弟がいるんだよ。あいつらは母親が違うから半分しか血が繋がってない他人みたいなもんだけどな」

「ああ、それで?」


 マリオが逡巡する。何度もドメニコを振り返り、やっぱり助けてくれないペアを諦めたのか、溜息をひとつ吐いてから答えた。


「……一番上と二番目の母親が同じなんだよ。二番目の奴は異母弟の俺にも話しかけてくる変な奴だけど、一番上のクソッタレが、俺の母親に無実の罪をなすり付けて殺しやがったんだ!」

「……!」

「母さんは後妻だったけど、親父のことを愛してた! 下っ端なんかと恋仲になんてなる筈がないんだよ! 母さんは無理やり襲われたんだ、その写真を親父に見せたのはあいつだ! そもそもなんで写真なんて持ってる!? どう考えたっておかしいだろう!」

「確かにな」

「だけど親父は母さんを許さなかった! 事件の後は一度も会いにこなくなって……だから俺は調べたんだ! 母さんを襲った奴は、あのクソの子飼いだったって!」

「なんていう……」


 マリオは話している間に感情が高まったのか、顔を真っ赤にしてボロボロ泣き始めた。


「母さんは親父に捨てられた後、俺に『信じてくれてありがとう』って言った後に自分の頭をぶっ放して死んだ! だから俺は必死で調べて、証拠を持って親父のところに行った! だけど親父は『もういい』って俺を近付けなくなって! クソッタレと二番目の奴も、俺をいないみたいに扱って……!」


 マリオが、七三に整えられていた髪の毛をガシガシと掻きむしる。


「親父は母さんを愛してた! だから俺にも目をかけてくれてたんだ! なのに裏切り者のレッテルを貼られて、俺は一気に跡目候補から転落だよ! だから俺は必死でファミリーの仕事を請け負った! 親父に認められて、跡を継いで、そうしたらクソッタレを罰せられるからなッ!」


 一気に捲し立てた後、はあ、はあ、と肩で息をするマリオ。彼の話が本当だとすると、やり方は問題しかなかったけど、母親の名誉回復の為に必死だったんだろうなと思えた。


「何度も危ない目に遭ったけど、たとえ殺されても俺は諦めない! ここに来たのだって、クソッタレの手下が俺を狙って追いかけてきたのから身を隠す為に前を通りかかっただけなのに!」


 涙まみれのマリオが、手を前に出す。


「これで満足だろ! 俺の人生は母さんの復讐しかもうないんだ! 俺からそれを奪ったら、もう生きてる意味なんてどこにも――」


 するとその時、マリオの華奢な肩に大きな手が乗せられた。マリオが苛立ちを隠しもせずに後ろを振り返る。


「なんだよ、止めるなよドメニコ! お前は邪魔ばっかりして、お前だってどうせ俺のことなんか――」

「マリオ、朗報ですよ」

「――は?」


 振り返ったマリオが、ポカンとした。


 これまでずっと無表情を貫いていたドメニコが、それはそれは艶やかな笑みを浮かべていたのだ。

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