第39話 大徳

 安楽院にいる間に大和屋やまとや徳次とくじという者と知り合いになった。穀物問屋の主人で茶事、能楽、書画などに通じた趣味人だ。

 元来、為恭という人は公家風の屋敷や服装を自らあつらえるほどに美しいものや雅やかなものを好む。地味な寺の生活よりも風流のものに惹かれるのは無理もない。今は徳次の親類が持っている別荘の離れに住まわせてもらっていた。


 この大和屋徳次、通称を大徳だいとくという男は、任侠にんきょう気質で自分が庇護した者はとことん守り抜くことを信条としていた。為恭をかくまうにあたっても人の出入りには特に気を使っている。

 ここに来てからの為恭が落ち着いた様子に見えるのもそのためだろう。


「ただいま戻りました」

「綾野か、伯父上にはお会いでけたんか」


 綾野は永岳に近況を知らせよと使いに出され戻ってきたところだ。帰りが遅くなってしまったが、これには理由わけがある。


「お会いしましたし、ご一緒しました」

「なんやて?」


 綾野は後ろに声をかける。

 入ってきた人を見るなり為恭が目を丸くした。


「伯父上⁉ なんで来られはったんです」

「ご挨拶やな、大徳殿は儂も知り合いや」


 永岳がいつもの調子で鷹揚な笑顔を見せている。


「夢やあらへんよなあ」

「儂が知り合いのとこに絵の用事で来るんやったら、そうそう人目にはつかんやろ。ともあれ無事に会えてよかった」

「伯父上もお元気そうや。綾野の帰りが遅うてなんぞあったかて思てたら、こない嬉しいことやったか」


 嬉しさと懐かしさで胸が痛いと為恭が僧衣の襟を握りしめた。


「少し痩せたんちゃうか」


 為恭を上から下まで眺めた永岳が気遣わしげに眉を寄せる。


「いえ、ゆっくり過ごさせていただいとります。こちらに来てから少し肉ついてきましたわ」


 笑って言う為恭に、そうかとうなずくだけで永岳もそれ以上の言葉が出てこない。

 子どもの頃から可愛がってきた甥が、理不尽にも攘夷浪士に追いかけられる羽目になってしまった。憤りも悲しみもひと通りのことではない。再会できたことで思いがあふれ出し、余計に言葉が出なくなったようだ。


「伯父上の顔は辛気くそうてかなわんなあ」

「あほ言うな」


 おどけたように言う為恭を小突き永岳が一喝いっかつした。


「うっふふ……それでこそ伯父上や」

「お前のそないなとこは、いつまでも変わらんな」


 永岳が来たことで京が近くなった気がしたのだろう。為恭があれこれと京の様子を尋ねる。それに対して得られた答えは嬉しいものばかりではなかったが、それでも生まれ育った地のことだ。懐かしくも興味深そうに尋ねていた。


「綾衣はどないしとるやろ。実家に行っとるんやろか」

「儂はよう知らんが、確か親類の家に行っとるんやったかな」


 歯切れの悪い言い方に引っかかりを覚えたらしい。為恭が少し首をかしげた。だがそれはすぐに消えたようで何度も綾衣の消息を聞く。

 それに答えを持たないようで永岳も首をかしげていた。


「とにかく町ん中は前と比べもんにならんくらい危ない。絶対に京へ来るんやないぞ」


 永岳が帰り際まで京は危ないと繰り返していたのは、為恭が軽率に京へ戻りたいと考えないよう、釘を刺しに来たというところだったのだろう。状況が変わったら必ず知らせると口酸っぱいほど念を押して帰っていった。


「なあ、綾野」

「だめです」


 案の定、京へ行きたいと言いだした為恭を綾野は即座に否定する。


「永岳様のお話を聞いていなかったのですか。今は危ないとあれほど……」

「綾衣に会いたいんや」


 京を出てすぐの頃は風の音にも驚かされていたが、今、攘夷浪士の足音は聞こえない。ならば約束通り会いに行きたい。人肌恋しく思う心が止められないと為恭がねだる。


 永岳を連れてきたのは逆効果だったかと綾野は唇を噛んだ。こうなると意地でも京へ行こうとするところが手に負えない。


「少し状況を見てからでもいいですか。今は町中が殺気立っていて難しいと思います」


 連れていくと暗に聞こえるように含みを持たせ、綾野はなんとか為恭を抑えた。

 今、朝廷は攘夷派の独壇場なのだ。彼らは公家の屋敷にも当たり前のように出入りする。長州とつながるのは若い三条実美さねとみだ。尊攘派の彼は時に関白ですら従うと言われるほどの権勢を振るっている。

 この状況には孝明帝ですら不快感を示したが、己の主張を掲げひた走る彼らに帝の表情は見えない。


 攘夷浪士の起こした波は公家を揺らし朝廷を揺らす。まつりごとが揺れる。

 為恭はその揺れのただ中にいるのだが、隠棲している今はその揺れの外にいるような気になっていた。


「綾野、京に行ったらあかんか。綾衣に一目会いたい」


 どうしても我慢ができないと未練がましく為恭が言う。

 綾野は眉間に皺を寄せた。


「……一日だけ、綾衣様のお顔を見たらお帰りになると約束してくださいますか」

「ええのか! 一目見たら帰る。絶対、約束する」


 今なら行けるかもしれない。攘夷浪士も大半が国元に戻っているだろう今ならば。

 攘夷断行を約束させたいと朝廷の攘夷派は幕府に詰め寄った。だが幕府は外国の力を目の当たりにしているため開戦は避けたい。やむを得ず五月十日に攘夷を行うと仮の決行日を伝えた。


 これに長州藩士は勇躍狂喜した。彼らは己の信じるものに素直で純粋なのだろう。そこについては愛すべき人々なのだが如何せん行動に攻撃的なところがある。この日以降、下関を通過する外国船に砲撃をかけた。

 長州の興味が海に向いている隙に、為恭と綾野は京へ忍び込む。

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