偽葬家の一族
木古おうみ
序章:一、生き埋め
畳の上で家族に囲まれて死ねるような人生を送れと俺に言ったのは、婆さんだったか。
結局家族は散り散りになって、婆さんも施設で孤独に死んだ。そのときから、俺もマシな人生の終わり方なんてできると思っちゃいなかった。だが、こんな風に禿山の墓地で生きたまま埋められて死ぬのだけはごめんだ。
泥の中で、一点だけ齧り取ったように開けた視界から月が見える。
夜の雲と木々の影が俺にしなだれかかるように迫っていた。土で押し潰された胸が重く、呼吸のたびに痛む。目にも舌にも砂利が入り込んでざらざらと粘膜を削ったが、払うどころか指一本も動かせなかった。熱く湿った自分の呼気が冷たい土の中に充満して更に息苦しくなる。
何でこんなことになったんだ。
いや、理由はわかってる。
自分でもおかしいと思ってたんだ。山を掘り返すだけで日当十万円の仕事なんて。
だが、とうとう安アパートも追い出されて、財布に札が一枚も入っていない俺に選択肢なんてなかった。
集合場所の河川敷に集まっていたのは俺と同じ、汚れた服と暗い顔の奴らだった。俺が一番若かった。
依頼人として現れたのは、別世界の住人のように小綺麗なスーツ姿の、髪を七三に分けた男だった。男は俺たちに再三家族がいないことや、住む家も金もないことを確認してから、車に乗せた。
幹線道路を進むごとに、地方チェーン店のスーパーマーケットややたらとデカい靴屋なんかの店々がまばらになり、寂しい山道になっていった。おかしいと思ったが、そのときの俺は、先のことより車内で配られた海苔弁当の方が大事だった。
夕暮れになるころ辿り着いたのは、枯れた木が茜色の空を刺す針のように並ぶ、寒々しい山だった。
俺たちは配られたスコップを背負って山を登った。山の頂上は平べったく、地面には等間隔で四角い穴が開いていた。昔は墓地だったと直感した。少し遅れて、荷台に古びたタイヤや旧式の冷蔵庫を山ほど積んだトラックが現れた。
依頼人の男は俺たちを穴を掘るグループと、廃材を埋めるグループに分けた。俺は穴を掘る方だった。
俺は言われた通りに手を動かし続けた。スコップで土を跳ね上げるたび、泥が顔に飛んで、小石や百足の死骸が頰を打った。たぶん、あの男は不法投棄を担う業者だ。ここに各地から回収したここに粗大ゴミを埋めているんだろう。俺は何も考えないことにした。
薄いダウンジャケットに汗が滲み、抱きつかれているように重くなる。顔に飛んだ泥を腕で拭ったが、土を塗り広げただけだった。手を止めて息を吐くと、空は盛り上がった土と境がないほど真っ黒になっていた。
向かいで作業していた中年の男が俺に言った。
「にいちゃん、何かおかしくねえか。何で地面にたくさん穴ぼこが開いてんのに、俺たちが掘らなきゃならねえんだ」
知らねえよ、と言おうとしたとき、ごうと吹いた風が声を掻き消した。
真っ黒で巨大な竜巻がものすごい速度で山を駆け上がってこっちに向かってくるように見えた。風に色がついているはずがない。巨大な猪か、熊か。夜になって飢えた獣が迷い出てきたんだ。
そう思った瞬間にはもう黒い塊が目の前に迫っていた。渦を巻いて見えたそれは毛髪で、竜巻の目の部分に白いものがあった。顔だ、と思った。
脳が現実を受け入れなかったが、途轍もない嫌な予感がした。夏場に腐った魚を放置し続けたような、生臭い息が吹き付ける。
直後に視界が暗転し、気づいたときにはもう、土の中だった。
どこからか浅い呼吸と呻き声が聞こえる。
石と土で塞がれた鼓膜を舐るように低く響いていた。俺と一緒に穴を掘っていた奴らも同じように埋められたんだろう。
また遠くから風の音が聞こえる。どさどさと、土が雪崩れる音が聞こえ、呻き声が完全に消える。あれが近づいてきたんだ。埋められる前に見た、あの化け物が。
あれが何なのかはわからないが、俺や他の奴らを殺そうとしていたことだけはわかる。
泥の中で俺の心音が反響した。こんなところで、訳もわからず死ぬのか。
恐怖も、怒りも、酸欠で膜がかかったように霞んでいく。
ぼやけた頭で寒いなと思った。
あの日も同じくらい寒かった。
錆びついたバス停の看板の下で、顔も覚えていない兄が俺に手を振る。俺は婆さんに抱えられながら、何もわからず鼻を垂らしていた。前髪が凍って、針葉樹の葉のように目蓋を突いた。
兄は青いマフラーを解き、俺の首に回した。毛羽だったウールに体温が微かに残って温かかった。兄は向かいの道路に渡り、振り返った。
「
幼い声が俺に言う。緑色のバスが視界の端から滑り込み、兄の姿を掻き消した。俺の顔に貼りついた霜が溶けて、涙の代わりに顎を伝い落ちた。
結局、それきり兄とは会っていない。
何故、最期にこんなことを思い出すのか。
「嘘つきだよなあ、兄貴は……」
思わず呟くと、声の振動で剥がれた土壁が俺に降り注いだ。鼻に土がかかって息ができない。
無理やり顎を上げ、薄い酸素を貪る。真上に浮かんだ月が、人影で覆い隠された。
四つの目が俺を見下ろしていた。
死人のように青白い顔の男と、日本人形のように長い髪を垂らした女が、穴底の俺を覗き込んでいる。
ふたりは今さっき火葬場から出てきたような喪服を着ていた。
幻覚かと思った。こんなところに人間がいるはずがない。まして、普通の人間が生き埋めになっている奴を平然と眺めるはずがない。
嫌な幻覚だ。こんなことなら、さっきの馬鹿馬鹿しい走馬灯の方がまだマシだ。
目を瞑ろうとしたとき、ふたりが微笑を浮かべた。
「やっぱりいたね、兄さん」
「ああ、間に合ってよかった」
男が俺に手を伸ばし、顔にかかった土を払い除ける。僅かに呼吸が楽になった。
男は月のように鈍く光る目を細め、確かに俺に言った。
「おかえり」と。
何もかもが、現実とは思えなかった。
ふたりが消えたと思うと、俺の顔の真横にスコップの先端が突き刺さった。
男女は俺の手足ごと切断するかのように、迷いなくスコップを振るい、土を掻き出していく。泥が顔を打ち、埋まっていた小石が肩を殴りつける。
「
「弟を殺す訳ないでしょ」
男女の声が鮮明に響いた。
弟と、確かにそう言った。こいつら、俺を弟だと思っているのか。
このふたりが俺や日雇いの面々を埋めた"何か"と関わりがあるのかはわからない。だが、同じくらい理解が及ばない異常な存在だとわかる。
酸欠で思考が散り散りになってまとまらない。
呆然と夜空を見上げている間に、土が掻き出され、失われていた手足の感覚が戻ってきた。堰き止められていた、血が脳に向けて急速に流れ出し、頭痛と吐き気で戻しそうになった。身体中に纏わりつく冷たい湿気が汗なのか、土中の水なのかわからない。
ふたりはそれぞれ俺の腕を掴み、無造作に引き上げる。
身体が宙に浮き、さっきまで埋まっていた地面に両脚をついた。吹きつけた夜風が鼻に詰まった泥の匂いを鮮明に漂わせた。涙と唾液と鼻水が乾いて顔中がパリパリと音を立てた。まだ生きている。
男女は薄笑いを浮かべて俺を眺めていた。
「間に合ってよかったね、兄さん」
「ああ、本当に」
「他のみんなは?」
「残念だけど駄目そうだ」
女は夜闇に溶ける黒く長い髪を払い、俺に視線を送った。
「じゃあ、行こうか」
どこへ、と問い返したつもりだったが、情けない細い息が漏れただけだった。それでも、俺の疑念を察したように、男は口角を吊り上げて言った。
「勿論、家に帰るんだ」
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