[BL] 憧れの君

中頭

第1話

「お前、大丈夫かよ?」


 蹲った僕の肩に手が触れる。駅構内の薄汚れた地面から視線を外し、顔を上げた。そこには金髪に近い、色の抜けた髪色をした男子高校生が立っていた。着崩した制服と中身が入っていないであろうスクールバッグを持った彼は、片眉をあげて心配そうに僕を見下ろしていた。

 「すみません、ごめんなさい」。僕は咄嗟に立ち上がり、抱きしめていたスクールバッグを持ち直した。「駅でしゃがみ込んで、すみません。邪魔でしたよね」。回らない舌を必死に動かし、何度も頭を下げる。


「いや、別に邪魔じゃねぇけど。お前さ、ずっと車内でも気分悪そうにしてたろ? だから、大丈夫なのかなって」


 どうやら同じ車両にいた人物らしい。僕は恥ずかしさを覚えた。後頭部を掻きながら心配げな表情を浮かべる彼に「平気です」と言い、その場から少し離れた位置の壁に寄りかかる。まだぐわんと揺れる脳を休ませるため、深呼吸をして目を瞑った。

 ────あぁ、もう本当に、僕ってやつは……。

 自分を卑下しつつ、通り過ぎていく人の群れを感じる。朝の忙しい時間、混む駅内では人の音が塊になって、轟き、蠢く。カツカツ、ザリザリ、ザワザワ。


「おい」


 ピタリと頬に何かが当たった。「ぎゃ」と鋭い悲鳴をあげ、飛び上がった僕を見て、何処かから笑い声が聞こえる。振り返ると先ほどの高校生が立っていた。片手には新品のミネラルウォーターがある。それを「ほい」と渡され、おずおずと受け取った。


「これ飲んだら、ちょっとは良くなるっしょ」


 軽い口調(悪い意味ではない。むしろ今の僕にはすごく心地よい口調だ)で、そう言われ、頷いた。

 「あ、ちょ、待ち」と言われ、僕は固まる。彼は手を出し、くいくいと動かした。

 あぁ、お金か。そう思い、ポケットを弄る。


「何やってんの? ペットボトル、貸して」


 ぐいとペットボトルを掻っ攫われた。水滴がついたそれを持ち、蓋を開ける。そのまま、再び僕へ渡した。わざわざ開けてくれたことに驚いていると、彼が肩を竦める。


「フラフラだと、力が入らないだろ?」


 そう言いながら僕の隣に移動し、壁に寄りかかる。チラリと目を遣ると、耳にピアスが二個ついていた。ボコボコとした耳たぶを見て、ビクッと体を揺らす。

 ────こ、怖い……。


「お前、その制服……常夜義塾高校の生徒?」


 「え?」と素っ頓狂な声を漏らす。彼は僕の制服を見て「だろ?」と首を傾げた。


「頭、いいところだよな? すげー」

「ま、まぐれで入れただけだよ……」


 僕の通う高校はこの地域で一、二位を争うほど入るのが難しい高校だ。周りの生徒はみんな真面目な子が多く、学校の雰囲気も厳格である。故に、彼のような生徒を見ると、身が強張ってしまう。

 チラリと彼の制服を見た。きっと北米原高校のものである。北米原高校は、地元でも有名な高校だ────悪い意味で。

 僕は手に持ったペットボトルを傾け、冷たい水を飲む。乾いた喉を潤すその水が、徐々に僕のぼんやりとした頭を冴えさせた。


「なんでこんなところで蹲ってたんだよ? 気分悪いなら、学校休んだらどうだ?」


 その言葉に首を振る。


「大丈夫です。僕……その、乗り物酔いがひどくて。いつもは酔い止めを飲んで電車に乗るんですけど、今日は忘れて……」

「へぇ、三半規管が弱いやつって電車でも酔うんだな」


 ガハハと笑う彼に合わせて、笑みを作る。誰とでも打ち解けることができる彼を見て、気分が少しだけ良くなった。


「や、優しくしてくださってありがとうございます。あの、お金……」

「いいって。水の代金ぐらい。じゃ、あとは大丈夫か?」


 寄りかかっていた壁から起き上がり、彼が僕の前に立つ。ニコッと笑った彼の唇が綺麗に弧を描く。隙間から見えた白い歯が、健康的な肌と映えて美しかった。


「お前、名前なに?」

「石伊、コウ……」

「コウ、な。俺は知田ヒカル。よろしくな」


 ヒカル。彼にぴったりの名前だなと頭の片隅でぼんやりと思う。僕も彼に合わせて「よろしくね」と呟いた。


「名前の漢字は?」

「僕は、カタカナでコウって書きます」

「あ、俺も一緒。カタカナで、ヒカル」


 「偶然じゃん」と彼が笑う。確かに偶然だ。この世にカタカナ名は居ないとは言わないが、少ない方である。こんな場所で遭遇するのは、すごい確率だ。

 小学生の頃、両親に名前の由来を聞いたことがある。何故カタカナで名をつけたのか問うと「コウ」にはいろんな意味が含まれているから漢字で縛りたくなかったとの事だ。

 「そういえばさぁ」という間延びした声をヒカルが漏らした。


「コウとヒカル、漢字で書いたら一緒じゃね? 光って」

「あ……本当だ」


 漢字で書いて、光。先ほども思った通り、彼にはやはりピッタリである。しかし、自分も同じだと思うと、少し気が引けた。

 目の前で「こんなことあんのな」と笑うヒカルは、そのまま手を振り立ち去った。


「じゃ、コウ。またな」


 「またな」。その言葉が脳内でリフレインする。彼に答えるように、僕も手を振った。遠ざかる背中を眺め、手に持ったペットボトルを握りしめる。

 ────いい人、だったなぁ。

 壁に寄りかかり、目の前を通り過ぎていく人たちを眺める。

 ヒカルの笑みが忘れられないまま、僕は数分その場に立ち尽くした。

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