第26話:謎の女性



 あれからほどなくして亀、もといツヴァルトは従者に呼ばれて挨拶回りに行ってしまった。どうやら彼も王族の責務があるらしい。

 場違いな場所に一人で置かれることになったリルゼムは、パーティー会場の端で小さくなりながら待つ。


「裁判長は……まだまだか」


 広間の中央で多くの令嬢たちに囲まれながら歓談している姿を確認し、ご苦労様です、と呟く。

 エイドルースの挨拶回りもまだ終わらなさそうだ。リルゼムは集団から視線を逸らす。すると不意に会場の脇に不自然に設置された長机と、その上にひっそり置かれた様々なレース刺繍が目に入った。

 華やかな会場内とは思えない静かな空間に興味を引かれ、リルゼムは長机に近寄る。


「すげっ」


 机の上に並べられていたのは、思わず感嘆の声が出てしまうほど美しいレース刺繍だった。

 薄い布地に透かし模様の刺繍を施したものに、糸を汲んで編み上げられたもの。それに刺繍部分だけが残るよう編まれたものや、白だけでなく赤、黄、青、紫など色糸を使った絵画のような作品が百点以上ある。

 高いクオリティの作品に圧倒されながら視線を巡らせていると、今度は近くの壁に飾られた、天上から床につくほど巨大なレース作品に心を奪われた。

 透きとおった生地の上に描かれているのは、地上に舞い降りた天使が祝福の雪を降らせ、それを街の人間が喜んでいるという構図だろうか。


「すげぇ……これ全部手縫いだよな?」


 この世界に刺繍を自動で編む機械はない。それにレースはドレスや髪を結うためのリボンと、実用品としての利用が多いため作られるの小さなものばかりだ。

 ゆえに、ここまで壮大なものがあるなんて知らなかった。

 これはもう芸術作品だ。

 刺繍の素人でも分かる。


「美術館で個展開くレベルだろ」


 自然と出た溜息とともにポロリと本音を零す。その時。


「──あら、嬉しいこと言ってくれるのね」


 急に聞こえた声にえっ、と驚いて振り向くと、リルゼムの背後に従者を連れた美しい女性が立っていた。

 まだ顔つきに幼さは残っているが、芯の通った強い瞳に艶やかな肌、そして緩くうねった長い金髪が印象的な女性は、着こなしが難しいはずの赤色のドレスを完璧に自分のものにしている。

 歳はおそらく十六、七歳ぐらいだろか。

 ただ、この会場にいるということは上流階級の人間に違いない。ツヴァルトの時みたいな失態を犯さないようにしなければ、とリルゼムは背筋を伸ばし、エイドルースに教えてもらった挨拶をした。


「こんばんは、私は王国法院のリルゼム=パルナと申します。貴女は……?」

「私のことはどうでもいいのよ。それよりこの刺繍、気に入ってくれたのかしら?」


 予想もしていなかったことを問われ驚いたが、刺繍のことを聞かれたならばとリルゼムは正直に答える。



「はい。ここに置かれた刺繍はどれも魔法でも使ったかのように精巧で美しくて、人の手で作ったとは信じられないものです。それに、この壁にかかってる作品には壮大な物語性も感じられて……ちょっと泣きそうになりました」


 自分に芸術を理解するだけの知識はないが、素晴らしい作品を見て感動する一般的な感性ぐらいは持っている。

 ただ────。


「でもちょっと残念だなって……」

「ざ、残念?」


 リルゼムの正直な意見に、女性が不安そうな顔を見せる。


「こんなに凄いものなのに、扱いが雑すぎやしないかって」


 刺繍が置かれた長机があるのは会場の隅で、パーティーの歓談スペースからも離れている。これでは展示に気づかない人も多いだろうし、巨大な刺繍も壁よりも丈が長いため下の部分が折りたたまれてしまっている。これでは作品の良さが、最大限に引き出せない。


「こういう芸術品は美術館できちんと展示したほうが、もっと輝くのに」


 美術館ならこの刺繍を主役として扱ってくれるし、適切に管理もしてくれる。それに街の人だって気軽に見に行くことができる。


「ってか作った方に失礼ですよね。こんな会場の端にひっそりとじゃなくて、もっと目立つ場所に置けばいいのに」


 この刺繍の作り手はきっと歴史に残る芸術家になる。それに今夜はたくさん貴族がいるのだから会場の中央に作品を展示すればパトロンが現れるかもしれないし、会話の種にも絶対になるはず。リルゼムは熱弁しながら女性に問いかける。


「貴女もそう思いませんか? ……え?」


 なぜか女性は顔を下に向け、肩を小刻みに震わせていた。その隣では従者の女性が、瞳を潤ませながら彼女の肩を優しく撫でている。

 これは、もしかしてでもなく泣いているのか。


「え? え? どうしたんですか? オレ、なんか失礼なことを?」


 リルゼムは慌ててハンカチを取り出し、女性に手渡す。このハンカチもエイドルースが用意してくれたものだから、悪いものではないはずだ。


「いえ、違うのよ。嬉しくて……」

「嬉しい?」

「この刺繍はね、実はすべて私が編んだものなの」

「そうなんですかっ? オレ、そうとは知らずなんてことを……」


 制作者本人の前で作品について語るなんて、超弩級に恥ずかしいことをしてしまった。顔から火が出そうなぐらい熱くなり、リルゼムは今すぐにでもこの場から逃げたくなった。

 

 

「謝る必要なんてないわ。私ね、小さい頃にお母様に編み方を教えてもらって、その時にレース刺繍の奥深さに感銘を受けて……すっかり魅了されてしまったの」


 レース刺繍には様々な技法があり覚えるのが大変だったが、初めて小さなハンカチを作り上げた時は心から嬉しいと思ったし、楽しかった。それから女性は時間があると、延々と刺繍に勤しんだという。そうして一つ作品を仕上げるごとに腕を上げ、五年ほどで彼女は本職の人間を凌ぐまでになった。

 神は彼女に天賦の才を与えたと語る従者曰く、彼女は編んでいる最中に次の構図がどんどん浮かんできて、編み終えるやいなや次の刺繍を始めてしまうらしい。

 確かに作品を見るかぎり、彼女には一流芸術家としての才があるのが分かる。



「でも私があまりにも熱中しすぎて寝食すら忘れることすらあるから、周りに呆れられてしまってね。お父様からは結婚を機に辞めなさいと言われたの」

「そんな……好きなことを辞めろだなんて酷くないですか? ……まぁ、寝るのを忘れるのは身体に悪いから、直したほうがいいかもしれませんが」


 寝食を忘れて没頭してしまう癖は身体に悪いから直したほうがいいが、好きなことは大切だ。そういったものは疲れてしまった時や落ち込んでしまった時の心の支えになると、心理学か何かの本で読んだことがある。


「もちろん抗議したわ。けど私の婚姻は重要なもので嫁ぎ先では皆の模範にならなければいけないから、失態に繋がるようなことは避けろと」


 そう語った女性の顏には諦めの色が浮かんでる。おそらく彼女は上位の貴族の娘で、婚姻で家と家の繋がりを強くするという役目を負っているため、自由がきかないのだろう。

 

「自分でも分かっているのよ。これまでずっと不自由なく暮らしてきたから我儘は許されないって。だからね、お父様に『今日のパーティでこれまで編んできた刺繍のお披露目をしたい』って頼んだのよ。きっと今回がみんなに見てもらえる最後の機会だから」


 心血を注いできた作品たちを誰かに見てもらいたい。それが彼女の婚姻前最後の願いだったという。


「けれど……」


 女性が悲しげな顏のまま、展示スペースに視線を向ける。


「皆、会話に夢中で誰もここに立ち寄ってはくれなかったわ……こうやって足を止めてくれたのは貴方だけだった」

「そうだったんですか」


 女性の話を聞いて、胸がギュッと絞まった。今夜のようなパーティーはコネを作ったり、令嬢が恋人を探したりする場として利用されることが多い。いや、むしろ交流がメインといっても過言ではない。だがそうであったとしても今まで頑張ってきた証を、一人でも多くの人に見て欲しいと願った彼女の気持ちを考えると、まるで自分のことのように辛くなってしまった。

 許されるならこの場で「ここにすごい作品がありますよー!」と大声を上げて宣伝したい。



「でもね、私の刺繍を見つけてくれた貴方が、心からの言葉で褒めてくれた。それだけで嬉しかったし、自信にもなったわ。だから──」


 彼方を見つめていた彼女が、リルゼムのほうに顔を向ける。


「やっぱり私、辞めない。婚姻しても刺繍を続けることにするわ」


 この思い出を胸に婚家で新しい人生を歩んでいく、とでも言うかと思いきや、女性は決意を固めた様子でそう言い切った。予想と大きく違った返答に仰天したリルゼムであったが、宣言した彼女は晴れた日の太陽のように煌めいて生き生きしていたので、なんだか見ているこちらも嬉しくなった。


 この国はまだまだ女性の地位が低く、自立も認められていない。けれど彼女のような才ある人間が台頭していけば、きっとどんどん良い方向へ変わっていくだろう。

 そんな世の中を見てみたい。


「いいと思います。もし将来、個展が開かれる日が来たら、どこへだって見に行きますから」

「ありがとう。その時は貴方に必ず招待状を送るわ。リルゼム、だったわね」

「はい。今日のパーティーには、王国法院のエイドルース首席判事に誘っていただきました」

「エイドルース兄様と? まぁ、貴方は兄様のご友人だったの?」

「はい……え、兄様?」

「小さい頃からよく遊んでもらっているの。血は繋がっていないけれど、本当のお兄様だと思っているわ」



 世間は狭いとはよく言ったものだが、まさかこんなところでエイドルースの名が出てくるとは思わなかった。

 しかし、エイドルースと兄妹のような関係ということは、やはり彼女は高位の貴族令嬢だと見て間違いない。

 侯爵あたりだろうか。


「あの、貴女のことはなんとお呼びすれば……?」

「あっ、ごめんなさい。まだ名乗っていなかったわね」


 ピンと背筋を伸ばしたまま片足を斜め後ろに引き、もう片方の膝を軽く曲げる美しいカーテシーを見せながら、女性は挨拶をする。


「私はルネリタ=ラーシャ。今日は私の誕生会に来てくれてありがとう」

「え、ルネリタ……ラーシャ……?」


 ソノナマエ、オレ、シッテル。


 右耳から左耳に通り抜けていった名を聞いた瞬間、リルゼムは石像のようにその場に固まった。

 国の名を持つ女性で、今日の誕生会の主役。

 そんなのたった一人しかない。


 ラーシャ国王の一人娘である、皇女殿下。

 言うまでもないが、エイドルースやツヴァルトよりもずっと尊きお方である。


 ──ああ、またやってしまった。


 リルゼムはここでは見えない空を心の中で描き、一人嘆いた。

 

 拝啓、異世界にいるお父さん、お母さん。

 貴方たちの息子はどうやら、自ら地雷を踏みに行くタイプのポ○モンだったようです。また一つ、大きなヤツを、たった今踏み抜きました。

 あ、でもここで雄叫びを上げなかったことはどうか褒めて下さい。敬具。

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