第8話:執拗な勧誘
「君には首席判事直属の秘書というポジションを用意した。是非とも明日から──」
「お断りします」
「秘書は気に入らなかったか? だったら──」
「お帰り下さい」
「君は私のことを誤解しているようだね。一度食事でもしながら語り合わ──」
「お出口はあちらです」
あれからエイドルースは毎日のように庶務課を訪れ、リルゼムを王国法院の花形部署である法務部へ勧誘するようになった。仕事中にもかかわらず、人目も憚らず。おかげで同僚たちは怯えるわ、上司もどこかに逃げてしまうわで庶務課は大変なことになった。
もちろん、リルゼムはエイドルースからの誘いをすべて断っている。法務部にいけば給料も今の倍以上になるとも言われたが、金を貯めたところで殺されてしまえばなんの意味もない。できれば一介のモブ職員のことなど早く忘れて、本来の自分の物語を進めていただきたい。どうせリルゼムがいようがいまいが、あの男は己の目的を果たすのだろうから。
ダークヒーロー。闇の粛清人。
清廉潔白な裁判長を演じる裏で悪人たちを粛清し、兄の死を突き止めていく。その過程で仲間が死んでも、あの男は決して歩みを止めない。あれから密かに様子を探ったところ、今はまだダークヒーロールートに入っていないみたいだが、おそらくそれも時間の問題だろう。
だから関わってはいけないのだ。それなのに。
「やぁリルゼム、奇遇だね」
「またですか」
この国の裁判長は暇なのだろうか。判事といえば複数の案件を抱えるのが当然と言われているのに、リルゼムに破滅をもたらす男は、文字どおり毎日遠慮なしにやってくる。
「いくら私が肝の太い人間でも、さすがに汚物を見るような顔を毎度されると傷つくよ」
「ご不快でしたら、どうぞ中央棟にお戻りください」
王国法院は三つの庁舎とそれらを繋ぐ渡り廊下で作られており、エイドルースがいる法務部や大法廷があるのは中央棟、そしてリルゼムが働く庶務課は東棟にある。ここにはわざわざ長い廊下を渡ってくる必要があり、さらにいえば法務部の人間が東棟にくる用事なんて皆無ゆえ、本来なら二人が顔を合わせることは偶然でもないのだ。
「相変わらず辛辣だね。しかしそこまで私のことを毛嫌いするんだい? 先日のことがそれほど気に障ったのなら、君が許してくれるまで、何度だって謝ろう」
「謝罪なんていらないです。ただ裁判長の近くにいると、とんでもないことに巻き込まれそうな気がするから嫌なだけです」
リルゼムはまっすぐ見つめ、そう言ってやった。するとエイドルースはかすかに目を瞠ってから、そのまま押し黙った。
一瞬、怒ったのかと身構えそうになったが、それならそのほうがいい。
「とんでもないこと、か。その根拠は?」
「ただの直感です」
「直感……これはなんとも太刀打ちしづらい理由だな」
明確な理由なら説得できたかもしれないが、直感と言われてしまうと困ってしまうと、エイドルースは難しい局面にでも出会したような顔をして溜息を吐いた。
「君はすごい子だね。ここでは誰もが法務部を夢見るのに、君は栄誉よりも自分の強い意志に従って生きている」
「おだてても秘書にはなりませんよ」
「だろうね」
「じゃあ──」
ようやく諦めてくれるのか。リルゼムの中に希望の光が生まれる。
が、その小さな光は何かを思いついたらしい男の笑みによって、あっという間に打ち砕かれた。
「確かに君から見たら、裁判長なんて畏怖の対象でしかないだろう。その点を考慮すべきだったんだな」
「は?」
「君とはもっと違った形で信頼関係を築くべきだったということだ。これは私の落ち度だが、改善点が見つかったことは僥倖だな。これでようやく君の攻略法がわかった」
改善点? 攻略法?
ちょっと待て。今、おかしなこと言わなかったか。ここまで言われたら普通、素直に引き下がるところだろ。なのに、なんでそんなに自信満々なんだよ。
「今日のところは引き下がろう。対策を立てたらまたくる」
ではまた次の機会に、とエイドルースは白い歯が輝くような爽やかな笑顔を浮かべて、軽やかに立ち去っていった。
今にもルンルンと軽快な鼻歌が聞こえてきそうな背中を見つめるだけのリルゼムは、誰もいない廊下に一人取り残される。
それから十数秒後。
「人の話を聞けよっ! オレは絶対、あんたのところになんか行かないからな!
ようやく我を取り戻したリルゼムの怒りの雄叫びが王国法院東棟・庶務課職務室に虚しく響いたそうだ。
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