第36話

 そろそろロエベの中心街に入るところで、私とおじさま……新しいお父様は立ち止まった。

 これまではほぼ一本道だったが、ここから分かれている。


「手始めに、ジルベールおすすめの広場に行ってみるかね。雑貨の店が多いらしい」

「いいですね」

「これでも昔は何度か町歩きをしたことがあるのだ。よし、行こうではないか」


 張り切ったルイ父さま(そう呼ぶことにした)はポケットから折り畳みの地図を取り出した。目を眇めたまま、ぐるぐると回す。


「こちらかな……うむ。きっとそうだぞ……うむ」


 ルイ父さまはぶつぶつ言いながら前進しはじめた。

 私は思わず組んでいた腕を引く。


「あの、ルイ父さま」

「なんだい?」

「そちらの道ではない気がしますが……?」


 ルイ父さまが地図を取り出した時、私も同じように覗き込んでいたのだ。

 広場があると思われる方角を指差しながら言うと。


「そうなのかね?」


 地図を持ったまま、ルイ父さまはきょとんとしていた。


「地図を貸してください」

「うむ」


 地図を受け取った私は、太陽の方向と今の時刻を考えながら、地図を持ち直した。


「こちらの方向ではありませんか?」


 余計なことをしたかもしれない。初めはそうも思ったのだけれども、ルイ父さまは怒らなかった。


「そうなのかい。連れていってもらえないかね」

「はい……!」


 ほっとした私はそのままルイ父さまを先導した。

 いつも頼ってばかりのルイ父さまの役に立てるのがうれしい。

 道中で、ルイ父さまは少し恥ずかしげに、


「実は昔から地図を読むのが苦手でね」


 そう秘密を打ち明けてくれた。


「かなり前だが、従者もなしで町に出た時も迷子になってしまったのだ。その時も通りがかった知人に地図を読んでもらった。今、それを少し思い出したよ」

「その知人の方は……女性ですか?」

「そうとも。とても賢い女性だった」


 ルイ父さまの瞳がふっと翳る。

 過去形で語られたその女性は、今もルイ父さまの心の奥底に住んでいるのだろうか。

 深く聞くことはできないまま、広場への道を歩いていくのだった。




「追いつけてよかったね!」


 遠目で新米親子を確認したレオンは長めのパンをかじりつつ、隣の青年に話しかけた。

 顔立ちは鬱々としているのに、声だけは本人の心情を雄弁に語っているようだ。


「いや~危うく迷ってサスペンスになりかけるかと思ったけど、お姉さんのおかげで僕が助けに出ていく必要もないね! さてさて、これからどうなっていくでしょう~。うふふ」

「僕も口数が多いほうだけれど、君もおしゃべりだなあ」


 道中のどさくさに紛れて高級パンをおごらされたジルベールは腕を組む。


「お兄さんは旅の修道士の恰好がよくお似合いですよ~」

「はい、ありがとう」


 とっさに町の出入り口で売っていたフード付きの古着を着て、町に溶け込んだジルベールは適当な相槌を打った。




 さて。私とルイ父さまはロエベの町を探索した。

 港町でもあり、水路も張り巡らされている。エメラルドグリーンの海は白い帆の船を遠くへ運んでいく。

 仕掛け時計が名物の広場や、市場、市庁舎や聖堂を巡っていく。

 初めはうまく話せなかったけれど、時間が経つうちにルイ父さまとの話も弾んでいく。ロエベの解放的な雰囲気が私を饒舌にさせているのかもしれない。

 思えば、ルイ父さまとこれほど親密に話ができたのは初めてだ。すすめてくれたジルベールさんに後でお礼を言おうと思う。


「なんだろうかね」


 ルイ父さまが聖堂前にできている群衆を見つけた。私も目をこらしてみるけれど、人だかりの中心にあるものはわからない。

 私たちと同じように興味本位で人びとが集まってきていた。


「頭のおかしい男が暴れているらしい」

「聖堂の前で? 罰当たりなやつだな」


 だれかがそう話しているのが聞こえてくる。


「マルグリット。そろそろ帰ろうかね」

「はい……」


 私とルイ父さまは身を寄せあって、群衆を抜けようとした。

 しかし、もう遅かった。

 私たちはもう人の群れに取りこまれていた。人と人が押し合って、揉まれて……。


「ルイ父さま! ルイ父さま!」


 前、後ろ、左右を見回しても、ルイ父さまはいなかった。

ルイ父さまから預けられた地図を胸の前で握りしめていた。


――私ひとりなら帰れる。けれどルイ父さまは方向音痴だからきっと……。


 その時、腕を取られた。手が繋がれる。


「若い女性がこのようなところにいたら危ないですよ。どうぞこちらへ」


 紳士的な声。黒い修道服の背中が私の前を歩いていく。顔はわからない。

 彼の歩みには迷いがなかった。群衆は彼を避けるように動いていく。


――だれ?


 わからないまま、冷たい手に引かれるうち、聖堂前広場の端に出た。人混みから抜ける。


「ありがとうございまし、た……」


 私は振り返ったその人にお礼を言いかけたものの、言葉が途切れそうになった。

 足元の薄氷がばらばらに崩れて、奈落へ落ち込むような心地になるような眼光がそこにあった。


――なんて冷たい目……。私、ついこの間もこの目を……。


 そう、ジルベールさんと訪問したバルバロッス修道院で。

 夕方に見た修道士と思われる男。

 記憶にも強烈に刻まれていた。

 先日、レオン少年のカンバスに描かれていた男も、彼とよく似ていたと思い出す。


「どうかなさいましたか?」


 彼は口角を上げた。微笑んでいるのだけれども、どこか油断できない感じがした。

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