第5章
第21話
時は少し巻き戻る。
マルグリットは修道服へ着替えるために隣室に行き、面会室にはジルベールとオディロ修道士が残された。
「ほれ、おまえさんの修道服だ」
オディロ修道士は、机に置いてあるもう一着の修道服をジルベールに渡す。
受け取ったジルベールは畳まれていた修道服を手で広げると、すぐにあることに気が付いた。
「自分の修道服がもう懐かしくなったかね?」
「まだそこまでの時間は経っていませんよ……」
袖口に補修の痕がある。破れに気付いて、自分で繕ったものだ。
もう袖を通すことのない修道服だった。修道院から出る時に捨てていったはずなのに、オディロ修道士は大事に保管していたのだろうか。
ジルベールはオディロ修道士に背中を向け、今まで来ていた服を脱ぎ、修道服に着替えた。
「やはりまだ、その恰好が一番しっくり来るなあ」
「……先生、泣かせにかかっていますね? よくないですよ、それ」
「おまえさんこそ、茶化してごまかそうとする癖は直っていないな」
ジルベールは何も言わなかった。
マルグリットはまだ着替えから戻っていない。
オディロ修道士はよいせ、と椅子に座る。
「ジルベール。正直なところを話せ。あのお嬢さんをどうするつもりだ? 新たな世界をここで見せてやるのはいい。だがその後は? 下手すれば「ヨハン」のようになりかねん」
「わかっていますよ、でも僕は……」
普段は滅多に言わない「ヨハン」の名をわざわざ口にしたのは、オディロ修道士もそれだけ危惧しているということだ。
「……責任を持ちますよ。彼女は今まで恵まれない環境にいました。そこから逃れた彼女が、どんな夢を持つのか、とても興味があるんです」
言ったな、とオディロ修道士はジルベールを指さした。
「俺はたしかに聞いたからな。忘れるなよ。……にしても、おまえさんがここを出てそうそうに恋人を連れてくるとは思わなかったぞ」
「へ?」
「は?」
オディロ修道士は片眉をあげて、教え子を見つめたのだが、本人は明後日を向いた。
「おい! 二人きりでここまで来ておいて、そりゃあねえだろ。責任を持つということはそういうことも含んでいるつもりだったが!?」
「いやあ、それが少々複雑でして……」
ジルベールは苦笑いして後頭部を掻いた。
「いい加減にはしないですよ」
彼は短く告げた。
「ほら、軽く言っておかないと深刻になるじゃないですか。僕、深刻なのは苦手で」
ジルベールにもごまかしているという自覚はあった。
――僕が彼女に抱いている気持ちは、決して甘いものだけじゃない。
彼女からしたら彼は「悪いこと」をそそのかす悪魔かもしれない。
常々、そんな罪悪感がついて回っている。
オディロ修道士は思案するジルベールに諦めたような息を吐きながら、
「ところで家のほうはどうなった?」
そう話題を変えた。ジルベールはすぐに切り替えた。
「兄が死んだんです。ひどいものですよ」
「事故かもわからないのか」
「そうです。兄と甥が一度にいなくなったことで、席がひとつ空きました。それでも混乱は収拾されなくてはならないんです。……これも僕の運命なのでしょう」
――「魔女の後継者」。彼女と出会ったことも。
まもなくして、着替えからマルグリットが戻った。そこで内緒の話はしまいとなった。
「まあ、まあ、まあ……!」
私はバルバロッス修道院の図書室にいた。
広い。駆け出してもいいぐらいに。
オーク材でできた見事な本棚は天井まで伸び、壁際に本が入った状態で納まっている。
中央には大きな印刷機が鎮座し、隣室の写字室からは机にかじりつく修道士たちがかりかりと羽ペンを動かしている音が聞こえる。
地上の楽園は存在した。羽根の生えた妖精たちがお花畑で踊っている。
「素晴らしいですね……!」
案内するオディロ修道士はなぜか私の方を上から下まで眺めて「お、おう……」と頷く。
ジルベールさんはにこにこしながら私のフードをかぶせ直し、耳打ちした。
「マルグリットさん。とてもきれいなターンだった」
「あ」
念願の図書室に来られたあまり、すっかり興奮した私は辺りを見回すのと同時に喜びの舞を披露していたらしい。
知らぬうちに突き刺さっている何重もの視線。
またやってしまった……。
思わず顔を覆ってしまう。
「まあ気にするな。ほら、せっかくだから棚にある本、好きに開いていいから」
オディロ修道士が気遣って話しかけてくれたから、私も若干気持ちが浮上した。
「よいのですか?」
「おう。ここにあるのは保存状態がよいものだけだからな」
逆に保存状態が悪いものは補修に回しているため、別室に置いてあるのだそうだ。
この図書室並びに隣室の写字室では、本の閲覧、保存、修復だけでなく、写字、印刷、彩色も行っている。貴族の注文なども受けているそうだ。
私はオディロ修道士の申し出をありがたく受けることにした。
「あの本にします!」
私が指さしたのは、一番上の本棚にあった、分厚い本だった。
分厚い本が好きだ。その分、読み応えがあるから。
私の背丈では本棚まで届かないので近くの梯子をずらして、棚へ立てかける。
ジルベールさんが言った。
「重いし、僕が取るよ」
「大丈夫ですよ」
梯子を固定し、慎重に上る。目当ての本へ手が届く。抜き出す。ずっしりとした重みが右腕に伝わるが、なんとかなりそうだ。そう思いながら梯子の一段を下りようとしたが、本の重みでぐらりと身体が傾いでいく。
――しまった!
床に落ちる衝撃を覚悟したのだが、だれかの腕が私の身体を捕まえた。
背中から落ちそうになる私を抱きとめたのは、ジルベールさんだった。
「だ、大丈夫……?」
「ジ、ジルベールさん! ご、ごめんなさい……!」
「い、いや……。ははは、肝が冷えたなあ」
ジルベールさんに支えられながら床に足をつけた。
ほっとしたのも束の間。
「次からは僕が取るから言って」
爽やかに告げるジルベールさんの声が至近距離から聞こえてくる。
背中や腕に彼の触れた感覚がじわじわ蘇ってくる。とっさの出来事ながら、ジルベールさんに抱きしめられたことに気付いた。
――あれは事故だもの。平静に、平静に……。
現にジルベールさんは、私を心配する顔色こそあっても、動揺している様子はない。あくまで人助けをしただけなのだ。
はい、とジルベールさんに返事する。
「特に怪我がないようでよかった。気をつけなさい」
「申し訳ありません……」
オディロ修道士も硬い顔で頷いた。
「ジルベールは? どこか身体を痛めていないな?」
手首を振ったりしていたジルベールさんは「問題ありません」と笑ってみせた。
その時だった。私たちにまっすぐ向かってくる人物があった。まだ若い修道士で、彼の目はジルベールさんを目指していた。
かつかつ、と几帳面で早い足音がジルベールさんの前で止まった。
「ジルベールか」
「久しぶり」
ジルベールさんも相手を知っているようだった。軽く手をあげて応じている。
だが互いにぎこちなくも見えた。
「あれは長くなるかもしれんな。……マルグリット、この書見台で本を読んでいいぞ」
オディロ修道士が、話し込みはじめたふたりを眺めながら私を促した。
「ありがとうございます。あの、あの方は……?」
「ジルベールの友人だ。すまないな、あいつはジルベールが去った時、たまたまここにはいなくて、別れの挨拶すら満足にできなかったから」
「そうだったのですか……仲のいいご友人だったのですね」
「そうとも。あいつら二人含めた、悪童四人組で教師を出し抜こうとした仲の良さだ。ちなみにジルベールがリーダーだぞ」
「まさか」
ジルベールさんは優しい人だし、品行が悪いはずもないし、ましてや首謀者なんて。
オディロ修道士の冗談に私は笑った。
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