第58洞 時を越えた贈り物

 玉座に座る女性は、聞いた話から導き出すとセブエイターン・バドナ・ハヤさんで間違いないだろう。


 左半身は美しい女性のあるがままの姿をしており、スラリと伸びた手足は陶器のように美しい。

 しかし、右半身…… とりわけ胸部は内臓が大きく破損しているのが見えるほどにえぐれ、しかしものすごい速度で修復もされているのだが、そのはしから腐り落ちて全く治り切る気配がない。

 皮膚に至っては残ってる場所がかなり少なく、筋肉はまだいいほうで骨や神経がむき出しになっている箇所も多い。


「……バドナ、ハリル、聞いて驚け。あのランビルドが生きておったわ。すぐにでも器を使い、勇者をこの世に戻す必要がある。……やつを魔王に変えてはならぬ」


 しかし、ハリルさんは眉一つ動かさず言葉を返した。


「この迷宮が現状を維持している以上、魔王の再誕はありえん」

「ハリル、問答をするつもりはない。この子に眠る勇者の力を目覚めさせねばならんのだ!」


 ラスキーさんはクリストリスを抱え上げ、事態の深刻さをつきつけるも肝心の彼には全く届いていないようで、彼はその場から微動だにしない。


「……ラスキー。もういい。探索者を引退しろ」

「ハリル? 妾が嘘を申していると言うつもりか!?」

「お前がランカーですらない探索者を連れてここまで来て、何を言うかと思ったらそんな世迷言を」


 確かにそのとおりだが、彼の言い草に俺は少し苛立ちを覚えた。


「ハリルさん、ご意見はもっともですがもう少しラスキーさんを、かつての仲間の話を聞きましょうよ」

「……お前は何か勘違いしているな。『無限の大地』のメンバーを手籠めにした程度で、自分の強さが俺たちに近づいたとでも思ったか?」

「そんなこと、これっぽっちも思ってませんが」

「口では何とでも言える」


 彼の口ぶりにイラついたのか、頭の隅っこに妙な引っかかりを感じた。


「ハリル! いい加減にせよ! 妾が多少なりとも力を貸したとは言え、真っ当にこの迷宮を制覇した者共ぞ!」


 だがハリルさんは顔色ひとつ変えず続けた。


「ラスキー、お前こそいい加減にしろ。この『空の玉座』に半端者が座ればどうなるか知らぬわけでもないだろう」

「この男を信じろ!」


 流石にかつての仲間が放つ怒号に何かを感じたのか、ハリルさんは玉座に座るバドナさんに耳打ちする。

 彼女も思うところがあったのか、二度ほど頷いてその場にて立ち上がった。


『……ディグラッドと言ったか』

「はい」

『話を聞こう。彼女ラスキーが男のことで、こうも熱くなるのは見たことがないの』

「バドナ…… 恩に着る」


 改めて俺は自己紹介をして事の経緯を話した。

 バドナさんは俺の話を聞くうちに柔和な笑みは少しずつ厳しい顔に変わっていく。

 ハリルさんは相変わらずの仏頂面だが、どことなく終わりの方まで耳を傾けてくれていたようだ。


「……以上です」

「話は聞いた。しかし器は起動できぬ」

「ハリル!」

『ハリル』


 即断したハリルさんに檄を飛ばすラスキーさんだが、彼を制したのは意外にもバドナさんだった。


「どうした、バドナ」

『彼の話から察するに、墓から取り出された力は彼の中にあるということ』

「真実ならな」

『それに加えて、彼の願いはあの子の力の開放なのでしょ? さほど〝欲望〟は使われないのではないかしら』

「確証がない」

『何かあれば、あなたがいるじゃない』

「……」


 そんな気はしたけど、めちゃくちゃ嫌な顔してこられると俺もいい気はしないんだが。


「ホーランの息子」

「なんでしょう」

「お前は、人のために死ねるか」

「……人のために死ぬのは、違うと思います」

「違う、とは?」


 ひときわ低い声で俺の言葉の真意を探る。


「誰かが助かったと思った時に、助けた人が死んだとしたら、その助かった人は悲しむと思うからです」


 ハリルさんの口がぐい、と横に広がる。


「ここに来ること自体が無謀だと思わなかったのか」

「ラスキーさんの試験にも合格しましたし、……約束したので。この子と」

「約束……」

『もういいでしょう、ハリル』


 バドナさんは立ち上がり、玉座を指し示す。


『ディグラッドくん。あなたの望み、願ってみて』


 俺は恐る恐る近づき、クリストリスを抱いたまま玉座に腰かける。

 先ほどまでバドナさんが座っていたにも関わらずひんやりとした玉座は、なぜだかどこか懐かしい感じがした。


「俺の名前はディグラッド・ホーリーエール。迷宮よ、俺の願いを聞き届けよ!」

『……汝の〝願い〟は既に聞き及んでいる』

「!!??」


 思わず、俺は言葉に詰まった。


「何だと!?」

『これは…… まさか』


 頭の中が真っ白になる。すぐ横の二人の会話が耳に全く入って来ない。

 何を間違えたのか? 何か足りないのか?

 呆然としていると、胸元が急に熱くなりだした。しかし、そこにはクリストリスが……


「熱っつ! くそ!」


 急いで抱っこ紐を緩めて彼女を両手で掲げるように持ち上げる。しかしその瞬間、熱さは胸から手に移った。つまり、のだと理解した。


「く、クリストリス!?」

「!? そこを退けろっ!」


 突然胸ぐらを掴まれて玉座から引きずり降ろされる。しかし俺は両手を上に掲げる姿勢のままだったので抵抗もできず段下の床に叩きつけられた。


「あぐっ!」

「クリスちゃんっ!? ディグ!?」


 しかし手の中にあった熱い感覚はもうなく、むしろ腹の下からおぞましいほどの冷気が昇ってきた。


「クリス、トリスはっ!?」

「――あそこ」


 マイナさんが小さく呟く。

 彼女の指さす先には玉座があり、その座上に俺が抱え上げた姿勢のままクリストリスは浮遊していた。


 ぞく、と背筋が凍る。


「なにが、起こっておるのだ」

「これは何の真似だ、答えろラスキー!」


 ハリルさんが剣を抜き、玉座の脇から早足で俺たちに駆け寄る。

 その時。


〝――揃った〟


 低く、空間を裂いて響く声。


〝――空の玉座に勇者と魔王、両方の種が〟

 

「んっ!! ぅぐ!」

「ディーやん!?」


 背骨を掴まれる感覚。


「せ、なかが……」

「背中? 痛むのでござるか??」

「う、ぐはっ!」

「どうしたのよ! 何もおかしなところはないわよ!!」

「!!??」


 真後ろ方向へ骨だけが引っ張られるような感覚が全身を襲われているというのに、彼女たちから何も見えないということは内側の痛みなんだろうか。

 そんな謎の激痛と内臓がひっくり返る気持ち悪さが、肉体的反応の齟齬となって脳に襲いかかる。


「見て――! クリスちゃんが」


 彼女に着せた幼児服のボタンが外れて全身があらわになると、それに合わせて体の骨がゴキゴキと音を立てながら急成長し、皮膚を突き破ってはその上に肉が被さり整っていく。


 それに反するように俺の体からは血の気が消え、体温を失っていく感覚が広がっていく。


「クリ…… ス…… トリスっ」


 視界が歪み、俺の目の前に見知った顔が浮かび上がった。黒くすすけたマナの搾りカスが俺を見つめてにやりと笑った。


〝待ったぞ。お前の『種』が芽吹くのを〟

「……お前、ランビルド、か」

〝我は種。我は若芽。我、魔王なり〟

『ハリル! その少年の前に!!』


 バドナさんが言うが早いか、ラスキーさんに剣を向けていたハリルさんは、一瞬で俺の眼前を一閃する。

 しかし、ただ暴風を巻き起こしただけの剣圧は俺だけを吹き飛ばすにとどまった。


〝くははは、魔力だ、魔素だ、迷宮のエネルギーが漫然と漂うとるわ!!〟

『きゃああぁぁっっ!!』

「バドナ!?」


 バドナさんの悲鳴が上がる。自らを〝魔王の種〟と名乗った黒いマナの黒煙は部屋中に突き出たマナクリスタルやバドナさん自身から怒涛の勢いでマナを吸い上げていく。


〝ふはははは! これだ、これだ!〟

『あああっっぐううううぅぅ!』


 マナを吸い付くされたクリスタルは黒く濁り、次々に床へ落下する。バドナさん自身も体内のマナを吸われるごとに侵食領域がどんどん広がり、人の姿をしていた場所までマナへと変換されていく。


「バドナ! くそ、くそう!」


 ハリルさんが懸命に剣を振るうが、その攻撃はただ空を切るだけで黒いマナが腫れることはない。


「っくうううあああああーーー!」

「よせハリル! マナ霊体スピリットは物理攻撃を受けぬ!」


 それを聞いて俺はこちらに来るときに父さんから渡されたナイフのことを思い出した。


「ラスキー、さん…… これ……」

「ディグラッド? ……これは!」


 ラスキーさんがそれを手に取って鞘から抜くと、俺が抜くよりも強く刀身が輝いていた。持つひとのマナの力も作用するのかもしれない。


「ハリル! これを!」


 力任せに投げるもハリルさんはいとも簡単に受け取り、それで黒煙を切り刻む。


「くそ、俺に魔力があれば! ちくしょう! バドナから離れろ!」


 まるで砂にナイフを突き立てたようなザリザリという音をさせながらも黒煙は散りつつもまた一か所に集まる。

 そうしている間にも俺の身体は謎の激痛と不思議な浮遊感に包まれ、ついに目を開けていられないほど症状がひどくなっていった。


「ディグ、痛む? どうしたらいい?」

「わか、らない…… 体が、熱い……」

「ディーやん、しっかりしぃ!」


 肝心の俺が症状を把握できていない。玉座ではついにクリストリスが神殿で見た姿になろうとしているも、俺は彼女を抱きしめることすらできない。


「クリス、トリス……」

「お父様!!!」


 遂にクリストリスが目覚めた。

 生まれたままの姿の彼女が、俺に駆け寄るのが見えた。


 だが、もう俺は声を発せなくなっていた。


〝期は熟した。芽はいただく〟

「させない!!!」


 クリストリスはここぞとばかりに俺を抱きしめると、そのまま俺にマナを流し込み始めた。

 しかし、そのマナも一瞬で止まってしまう。


「あ、あれ?」

「どうしたの!?」

「マナが、勇者の力が足りない!」

「――使って!」

「妾も手を貸す!」


 マイナさんがクリストリスと手を取りあって俺を抱きしめる。マナは再び俺に流れ出し、あの痛みが徐々に引いていくのを感じた。

 ラスキーさんも俺の手を取り、体に押し付けて強く念じる。祈りが通じたのか、体にかかっていた負荷がどんどん薄らいでいく。


「某も!」

「わっちもする!」


 イレーナさんとミサオさんも抱きしめる輪に加わる。理由は分からないが、どんどん痛みが消え、さらに意識がはっきりしてきた。


「ディグ!」


 最後にベルが俺にしがみついた、その時――


〝仕方ない。それは置いていくとする〟


 ずるり、と体から力が抜ける。

 

(……あれ??)


 俺が、を見下ろす。

 理解ができない。


「……お父様?」

「ディグ?」

「ちょ、心臓が……!」

「ディグ殿っ!?」


 黒煙が俺を包む。

 視界がかすみ、どんどんと暗闇の中に沈んでいく。


 落下してるような、浮かんでいるような、不思議な感覚が延々と続く。

 目には何も映らず、耳は何もとらえない。

 肌はなく、口を動かしても鼻を鳴らしても、それ以上の事を感じることはできなくなっていた。


 時折ふわりと何かが俺を撫ぜた。

 風とも知れず、人とも知れず、清いものにも邪悪なものにも感じないそれは、しかし子供のような無邪気さを孕んだ笑い声を携えて飛び回っていた。


――ランビルド、なのか?

〝我は魔王の意志、魔王の思考、魔王の化身〟

――俺をどうするつもりなんだ

〝魔王となり、迷宮の力を受け取り、迷宮を統べる者とする〟

――いやだ! 俺はみんなと一緒にいる!

〝お前は選ばれた。種を受け取り、見事芽を育んだ〟

――クリストリスの事か?

〝お前は選ばれた。新たな魔王として、新たな苗床として〟

――話を聞け! せめて分かるように答えろ!


 しかしその意識はそれ以上答えることなく俺から離れていった。

 体を動かそうにも、体に当たるものがないためかまったく自分ではどうしようもない。


――くそ、ここはどこだ? みんなは、ベルは? マイナは? ミサオは? イレーナは? ラスキーは? ……クリストリスは、どうなったんだ?


『あれ、こんなところで何してるんだい?』


 不意に、聞き覚えのある声が聞こえた気がした。


『気がした、って思ってるってことは聞こえてるんじゃないのかい?』

――って、これ、幻聴じゃないのか

『失礼だな。とはいえ、ここで君と会うのは二回目だからね。もうずいぶん前だから覚えてないだろ?』


 俺はできるだけ大きく目を開けた。


――ゼツリン?

『ふふっ。君って、本当に面白いね』

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